Friday, October 30, 2015

ヒノエマタ フェス での池田さん



宮田さんに
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桧枝岐フェスの最初の頃の論客といえば、粉川哲夫、池田 一、浜田剛爾、鴻 英良、川仁宏、豊島重之、竹田賢一などでした。その中でも特異な人物は池田 一氏でした。司会は星野共か私か舟木日夫(高松次郎の同期で、その友人)のいづれかでした。何かある度にシンポジウムを開いていたのです。
池田氏は何しろボイス パフォーマンスをやっていただけに声は大きいし、発想が次々と浮かんで止むところがない、というタイプですからいちばんの曲者です。しかし、シンポジウムというものは、相当の論客でないと、どこかの大学教授だというだけでは話しが面白くならない。
その中でも、池田 一というのは論理的というより、パフォーマンス的な観点から自然とその中に生きる人間として、何がいちばん大切かということから、「水」とか「アー」という発声とかを、情熱的に語り、相手を納得させる術をもっています。

それに対して、私のばあいは理論的な語り口のようでいて、そうではなく、実はその奥に隠れた繋がりを見い出そうとする方法です。ですからこの2つを上手く繋げたばあい、常識的でない解決を得て、客は納得して帰れるわけですが、池田氏と会っていた当時とはもう30年近く経っているので、互いに相手が何を考えているのか検討がつかないのです。そして、2人の考えの接点を見い出せないと宮田さんも河合さんも纏めようがないのです。

でも、おそらく池田、及川の2人とも「自然と人間の関わり」をテーマに考えているような気がします。しかし、それに思うには、2人は多分、同じ方法でなく違った道筋を通っているのでしょう。そして、その2つの脈絡を通じさせることによって思いがけない視野を「開く」、展開への役割りが宮田さんと河合さんのやるべきことことでしょう。そう考えると、この私が最初の池田氏の提示に対して、どう次ぎの手を打つかで展開の様相も変わってくるでしょうし、受け手の私が下手すると収穫のないシンポに終わってしまうのです。でもこれを始めから決めたらば、国会の議会と同じでちっとも面白くない。
ですから、池田氏の出方を大体推測して、こちら側は、相手の出方によって変形可能な3通りの提案を用意しておいたら何とかなるだろう、と思うのです。
それで来週の頭までにこの3通りの提案を用意いたしますので、それをご検討下さい。

1)

私のパソコンは購入してからもう8年ほど経ちますので、もう限界にきているのです。でも、あきらめて今日1日密教関係の本を讀んで、自分の頭を整理して、昨日とは別の角度から池田一氏との対談に当たろうと思っていますし、折角の今度の宮田さん、河合さんの招待のこの機会に対して、有意義な成果を挙げるべく努力しようと心しております。

なぜ、空海の密教か、それは私個人の、現在の宗教的、芸術的立ち場でもあると同時に、ボイスやパイクに共鳴して、独立したパフォーマーとして出発した池田氏の立ち場は、最初から西洋向けに行動しているようですが、彼の基本的なアート観としては、この空海の“自然”に対する考えと殆ど同一なのだ、と確認したからです。

そういうことで、私が現在考えている事と、池田氏がボイスに次いでサンパウロ ビエンナーレにメインゲストとして招待された作品が制作されるまでのことを語り、当日のシンポジウムに少しでも役立つ資料にしたいと思っております。

先日の宮田さん、河合さんにお会いしたときは、突然「アビダルマ」や「唯識論」を語りはじめて当惑された、と思うのですが、そしてあの時の会話の限りでは、私が「唯識論」の立ち場に立っていると思われたでしょうが、決してそんなことはないのです。ただ、「唯識論」を否定するには、この「宇宙」の限界が証明されないかぎり出来ないわけで、それは今のところは、「ヨーガ(座禅)のやり過ぎだ」と反論する他ないのです。
そして、われわれの心と密接な関係を持つ身体があり、その外側に外界があることは、われわれが持つ身体感覚に依存する限り、外界の存在を知覚していることは科学的に確かなことなのですが、われわれは、あまりにも身体中心主義、また自分中心主義なため自分から離れて自然とか他者、他物を観ることができないのです。

自然というものを、その中にある自分から離して、それを自分のため利用すべき対称と観るか、あるいは親しむべき美しい対称物として観るかではなく、基本的に先ずこころを除外して、自分のからだと同列に他者、他物が在り、また自分の意識以外に地、水、火、風、空が存在し、それらも宇宙の中に平等に存在する。そして、人間はこの外界を「自然」と称するのですが、その自然の中に空海のように「いのち」を感じる人がいるのです。そして、「いのち」の発祥地は「水」だと感じ、さらに「大地」に棲むことによって「土」の重要さを知る。そして空海のように梵字の阿(ア)字の発音のように「アー」と宇宙に向って大声で発声すれば、万物に通じ、無限に豊かな世界を象徴することができる。

こう言ってしまえば、ごくあたり前のことを言っているだけに過ぎないのですが。
次ぎの空海の『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』の中の一節をお讀みください。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の初めに暗く、
 死に、死に、死に、死んで、死の終はりは冥(くら)し。」
これは空海の青年時の浮かばれなかった時期の暗い心境ですが、こんな暗さを味わった人だけが、後で上記の「いのち」とか「水」とか「大地」の生命力を、特別に感じ取る力を持つことができるのではないでしょうか。

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2)

ヒノエマタの第一回パフォーマンス フェスでの池田一氏のパフォーマンスは、正に「いのち」とか「水」の根原的なものを訴えるものでした。そしてハイデッカーの美学が、ゴッホの描いた農夫の靴のデッサンから農夫の生活を浮かばせると同時に、その靴底に付着している「土」こそが大地の重要性を語っている、と教えてくれたのですが、池田一氏のパフォーマンスは、それらに真っ正面から当たっていたのです。

奥会津の平家村である桧枝岐村には、村の中腹の小高い岡に公園らしいものがありました。そこをわれわれはメイン会場としていたのですが、その岡の麓には川が流れていました。会が始まって間もなく、公園にいる私たちの耳に池田氏の大きな発声の「アー」という声が下の川の方から聞こえてきたのです。われわれは思いがけない方角からのこの突然の声に驚き、急遽声がする川の方向に降りて行ったのです。と、川の中に立ち泳ぎで浮かんで、大きな眼鏡をかけた池田氏の顔が多少恥じらいを見せながら、子供のように手で水面をばしゃばしゃと叩いて飛沫させ、また大きな声で「アー」と発声し、周りの山々に“こだま”させたのです。それを観ているわれわれの何人かはゲラゲラと笑い、何人かは「何だこれは?」とその場で考え込んだのでした。

しかし、それにつづく池田氏のグループによる公園内での、全員泥にまみれた「朝食会」のパフォーマンスには、観る者すべてが眞に驚いてしまったのです。
それは池田氏を含めた男3人、女性が1人に、10歳ほどの男の子が1名加わっていました。服装は普段着ですが、衣服は勿論、顔から頭、首から手足から足先まで全て泥で塗りこめられていました。しかも泥まみれの地面の上のテーブルと椅子、食器類の全ても黒一色の泥に塗られているのです。まあ「どろんこ遊び」といえば、それまでですが、こうまで全員が目だけが光っていて、あらゆる行動が黒の一色に描かれているのは、正に初めて見る生きた絵画場面だったのです。実際の食べ物はなく、食事に関しては無対称の黙劇でした。ただある者は途中でテーブルから離れ、近くの樹に抱きついたり、芝生に寝転ぶ者もいたのですが、その時間はだいたい20分ぐらいだったのだろうか、それとも1時間ぐらいだったのだろうか、普通に体験する時間とはちがったので、みな唯呆然としてそれを周りから観ていて、時々意識を日常に取り戻した者はくすくすと笑うだけで、周りは異常な空気に満たされていました。
そして最後は、パフォーマーの全員がテーブルと椅子を担いで下の川に向かい、どんぶりと道具ごと川に跳び込み、しだいに泥が川の水の溶けて行って元の姿が露われるというところまでが、池田一氏の作品だったのです。いや、当時の池田氏は「作品」という形態を嫌って、それを「行為ーパフォーマンス」と称することを主張していた筈です。

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3)

翌年、1985年の第二回パフォーマンス フェスも8月の真夏だったと思うのですが、池田氏のパフォーマンスは2日目の昼過ぎだったような気がします。
私たちは今度は池田氏がどんなパフォーマンスを提出するか大いに期待していたのですが、本人にすればこの間、いろいろと思案を巡らせたことでしょう。

『生命の海<空海>』宮坂宥勝/梅原 猛という角川文庫本がありますが、この本の『生命の海』のタイトルが、たぶん池田氏の中心思想だと思うのです。しかし、ヒノエマタの公園下の川は「流れる」ので、そこで演じるものは“現象”となるのです。たぶん池田氏はこのパフォーマンスを原理的なものに仕上げたいと思っていたのでしょう。それで万物と共鳴するサンスクリット語の最初の「阿(a)」字の発音を選んだのですから。

それに、あの「泥の朝食会」はどうか、と考えた時、主体はやはり太陽圏を支配する太陽であるべきで、地球と月の圏の付属的問題ではない。これらをどう統一するか、そして「アー」によって統合させる人間の身体構造を何によって象徴すべきか。------たぶん、このとき、池田氏は「1本の管を手に持つこと」を考えたのではないでしょうか。食道管から排泄器管、それに准ずる血管と神経管。又それに准ずるリンパ管から脈管などを総合する脈絡器官をシンボル化したものとして。

このようにして、彼の発想は、具体的にインスタレーションされた。
横10m、縦5mほどの足首が埋まるほどの水の浅い矩形のプールを作ること。
1本の管を手にした池田氏が1人でそのプールに入って、発声または宇宙に向って演技する。池田氏のまわりのプールぜんたいが、ブルー色であること。
そして観る者は観客としてでなく、立ち合い人として、このプールと同じ高さの土の上に立ち取り囲むこと。

パフォーマンスは緊張の上にはじまり、池田氏の思惑通りの進んで行った。ところパフォーマンスの半ばにして突然、黒雲が現れ、あっという間に豪雨に襲われた。だが、誰独りとして声を発して、その場を去ろうという雰囲気ではなく、その豪雨に抵抗するのにいっぱいだった。もちろん池田氏は最後まで演じて終わった。が、ヴィデオカメラはその時の雨の侵入で、第2回目のフェスの映像は失われた。
しかし、この池田氏のパフォーマンスが先述のサンパウロビエンナーレにメイン ゲスト作品として推薦されたのだ。

池田氏の当時のパフォーマンス思想というのは、観ると観られるの固定された関係を強要する額縁の劇場を拒否し、理想的には自然の中で行うことであるが、観る、観られるの関係が、行うものと、それに立合うことによって参加者となるような関係を結べるような「スペース」を選ぶことが大切だったのです。

そして、やがてはイギリスの哲学者のオースティンの説である「パフォーマティヴ」に池田氏は共感する。「言語は相手を遂行させる働きを持つ」の「言語遂行」から「行為遂行」へと転換してゆくのだが、美術史の中でこの「パフォーマンス」の位置づけが曖昧になっていく分かれ道が、このあたりが原因なのかもしれない。
美術家がオブジェまたはインスタレーションに対して行為することが「パフォーマンス」である、という表面的な行為に目を向け過ぎたためなのか、また一方、哲学的にもこの「パフォーマティヴ」に対してはフランスの哲学者のデリダが立ち向うことになるのだが、結局いい結果を生まないまま終わってしまう。
ちょうどこの頃の時代とは、物と人間との間に機械やコンピュータが介在することから「行為」が「操作」に変じ、介在する機械またコンピュータに予め動く仕組みや回数などがプランニングとして「代数学」が投じられると、どうなるか。

その点では、池田氏のパフォーマンスは原理的なままで良かったのではないだろうか。
それはちょうど、形態学のゲーテの「根原(Ur ウア)」に近い、基本的な組織化の原型であって、曖昧な部分も含めた上での事を動かす重要な可能体でもあったのです。しかし池田氏のパフォーマンスと美術史との関係はどうなるのだろうか。
このあたりが論点の一つになるのかもしれません。


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4)

ちょうどわれわれがパフォーマンスを始めた80年代の当初というのはパソコンが本格的に開発された時期と合致し、また社会を透視するためのシステム論が確立した時期でもあったのです。具体的に言うと、それまでにも社会構造を組織化する意味でのシステム理論の社会学者としては、アメリカのパーソンズが存在していたのですが、かれのシステム論は純粋に分析的で機能的であり過ぎ、あまりにも複雑すぎたのです。
しかし、1980年代に入って突然、組織化の理論を好まぬルーマンという社会学者が現われ、一方、フランスに、これも理論的組織化を好まない実践的な社会学者のブルデューが対立していたのは時代の要請があったからなのでしょう。

それでは、ルーマンの社会学の特徴は、というと、それは人間の社会的様態というより、生物学の生理的原型を利用する方法だったのです。これは、もしかしたら前述したゲーテの形態学の「根原(Ur ウア)」からのヒントによるのかもしれませんが、その生物の生理学的特徴である「オートポイエティック(自己組織化的な)」コミュニケーションと、その逆方向の「自己自身への回帰性」のコミュニケーションでした。それをルーマンは南米チリの生理学者で認知科学を専門にするフランシス・ヴァレラの説から取り入れたのです。

では、それに対するブルデューの社会学の特徴は何か、というと、組織化の中の「分化」ということを問題にしたのです。この「分化」の時点で、それをコミュニケーションの共通問題として通過させるのと、個人の意志として切断する「実践的決意」を持つかで、つまりその人間の意志による「決断行為」によって、その後の状況は全く変わってくる、というわけです。
ここまで述べてきましたが、「行為」というものを、単に「物を動かす行為」、あるいは「インスタレーションに関わる」ことに留まった美術の上でのパフォーマンスは、ここで頓挫せざるを得なかったのでしょう。

その次の社会学上での大きな出来事といえば、1987年に朝日出版社から発行されたG・スペンサー=ブラウンの『形式の法則』で、これは大沢眞幸と宮台真司によって訳されたものだったのですが、世間に恐ろしいほどの反響を及ぼし、それ以来、代数学の採用が組織形成の基本となったほどです。
たとへば、音の編成でMax-mspがそれで、後には映像作家のためにはMax-mspーJitterが開発され、原音または原画に関心のある少数の音楽家あるいは映像作家以外の多くのアーティストは、幅広く利用できるソフトとして自由にそれらを使用したのです。
また、同時に構造主義の機能の意味での大きな改革として、「アルゴリズム」の用語を用いてこの方法を事業の上で、コンピュータ上でこの方法を大いに利用した。

1970年代に入って世界が最初に打撃を受けたのは、第一次の石油ショックでした。世界は慌ただしくその対策へ乗り出したのです。一方、都市は「闘争の60年代」からの脱皮を本能的にめざし、街のアート化と風俗のファッション化に向かい、日本では、正確には1974年の渋谷の“公園道り”の命名と、“パルコ”の開店からその風潮が始まったのですが、それは「ポスとモダンの時代」の始まりで、やがて80年代に入ってそれがピークとなり、80年代末には「バブル現象」がはじけ、おまけに80年代末から90年代にかけてソ連の共産圏が崩れてゆくのです。

日本はその後、90年代、ゼロ年代とつづく「空白の20年間」という恐ろしい時代に耐えざるを得なかったのですが、よく考えてみると、小泉内閣以来、アメリカの新資本主義の経済政策に巻き込まれていたのです。
『世界の99%を貧困にする経済』ジョゼフ・E・スティグリッツ の述べる世界的な「格差の時代」に入ったとすれば、今はもう、社会や政治どころか、世界の破滅に向かい出したこの資本主義経済をどうしたら救うことが出来るかの正しく「経済の時代」に入ったのだが、1975年からあの「湾岸戦争」が始まった頃までは、世は「社会学」が先端を切る時代だったのです。

そう思うと、あのG・スペンサー=ブラウンの『形式の法則』の2人の翻訳者であった大沢眞幸と宮台真司は、その後の日本を代表する社会学者としてどういう経過を辿ったかというと、大沢眞幸氏は「スペンサー=ブラウンからシステム論へ」ということで彼自身の『行為の代数学』や『戦後の思想空間』などの社会評論を出版しつづけており、一方の宮台真司氏は、G・スペンサー=ブラウンの『形式の法則』の翻訳後、この本の趣旨から外れ、日本独自のサブ カルチャーの世界に踏み込み、また当時流行した女子学生の援助交際の実情に実践的に当たって社会学的な意見を述べて、それなりにこの2人は夫々に社会学の先端として活躍して来たのですが、上記のヨーロッパのルーマンとブルデューの対比と、この日本の2人の学者の対比とが、どこか似ているようで、どこか違うように思われるのですが、どこがどう違うのでしょうか?


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5)

日本とヨーロッパとどこが違うか? 改めてそれを問うてみると、一つには、日本は他を追いかけているだけなのです。日本の最先端の哲学者たちは、あの「ニューアカ」以来、フランスの哲学物デリダを追い、その解釈に明け暮れていたのです。
なぜ日本の古代以来の文化の上で考えないのか?また明治維新以来、日本人は“小者”になり過ぎたのではないか? 自分というものを持つことを忘れたのではなかろうか。
しかし、風潮は、それ以前の東山文化を絶対なるものと見るところから始まっているのかもしれません。

前述した、ブルデューの社会学の特徴である「個人の意志として切断する実践的決意を持つ」ということは、金銭慾のため腑抜けになってしまった最近の日本人ではあまり例をみないが、数ヶ月前に起こったテレビ朝日系のニュース番組「報道ステーション」の報道現場の生放送で暴露されたメインキャスターである古館伊知郎と、本来は古舘のブレーンであるべき筈の元経産省官僚で現在古賀茂明政策ラボ代表である古賀茂明との生放送の現場で思わぬ争いの図が放送されたスキャンダルでした。

これは簡単にいうと、人も知るように古賀氏は、今の世に珍しく節を曲げない人物で、ブルデューが言うように「個人の意志として、切断する実践的決意を持つことが大事」なことを知っている、現代では珍しい人物なのです。それに対して最初この古賀氏に対して教えを受けていた古館が、最初の志と違って節を曲げて政府側に妥協しはじめている古館氏に対する古賀氏の現場でのクーデタだったのです。

易経に “中(ちゅう)する” という言葉があります。ふたたび先の池田一氏のパフォーマンスについて言っているのですが。
彼は場面の中央を進み、その結果、場面を二分し対立させる画面構成から、自然的に“陰陽”の対比を作らざるを得なかったのです。というのは、彼が自認し、当時予測したものを、東洋の身体メソッドによって証明することを義務づけられていた、と言えるかもしれません。
“中(ちゅう)する”ということは、どういうことかというと、上の二分されうる対立する画面の間に通路を置いて、たとえば右サイドを開放的な意味を持つ“陽”とし、左サイドを凝縮した力を持つ“陰”とする。そして、その間を歩行するということは、この右サイドの“陽”と左サイドの“陰”から影響を受けざるを得ない、ということです。“易経”の“中(ちゅう)する”という意味は、自然の中に生かされている我々としては、その時の周りの様相に的確な処置をとるということにほかなりません。

そして、“中(ちゅう)する” という意味は、からだの中心線の重要さに対して、タオが “中(冲)脈” という言葉を使用するのと相通じるのです。
からだの重要な中心線上に背柱があり、その中に脊髄が通っている。そこの造血機能を持つ赤色脊髄は、“元(原)気”を所有する腎臓の指示を受け、“血液細胞”を産出しているのですが、空海によると、そこは宇宙と合一する「アー」の音で、色彩は「黒」なのです。インドの古代語であるサンスクリット語の「ア」は否定の意味を表わし、「ア」が接頭語として付くと、その後に続くものを否定することになる。それ故に「アー」はすべての現象を否定して、その奥に隠れている宇宙の中の根源的なものと合体することになる。その絶対なる真理を「本不生」というのです。
あの沛然と、川の流れのように突然天から襲って来た豪雨は目の前を真っ白な幕で視界を封じ、耳も雨の音落ちる音で封じ籠められられ、誰も声を発し動きだすこともできなかったのです。ただ、その中央に立つ池田氏が発声する“阿(アー)”の音だけが「遠く、黒く」聞こえていたことを記憶しています。

空海の「声字実相義」については、先に紹介しました『生命の海<空海>』の第一部で宮坂さんが詳しく説明しています。また空海のことについても、同じ歴史の中での空海の経験についても、他の「空海」のどの本とも違って詳しく真実を突いています。というのは宮坂さんはインド古語のサンスクリット語の解釈から初めているからです。

私の今いちばん関心のあるのは空海の自然観で、その人間の身体中心でない、宇宙の中の他者、他物との平等な立場です。しかも宇宙は五大としての地・風・火・風・空の現象を起し、人間には“識”という、意識が残っているので、その解き放たれた自由な身体の動きで地・風・火・風・空からのイメージを表出できるのです。そして詩人はそれをからだでなく、ことばの音でやっているわけです。そしてこの表現はあまりにも多くのものを対称としているのでシンボル形式なのです。しかし能の場合は禅宗のため、からだの感覚的な自由さを奪い、動きを型に填めてしまったのです。

しかし、ここが大事なのですが、そもそも密教は「中観」の思想を生んだ智慧の“般若”から興っているので、仏の「五智」を大事にしているのです。そこが能面が四方の宇宙的現象を中心的に智慧で捉えて、自分のからだの感覚に振り廻されていない、というように面を使っているのです。ここは大事にすべき点なのです。

東山文化は「絶対なるもの」ではないのです。それは衰弱した南宗のすべてをこじんまりと纏めようとした文化のイミテーションに過ぎないので、なぜそのように固まったかという理由を調べると、それからの発展が出来るのが当然で、その東山文化の芸術を最高の典型とみることはそもそも大きな間違いなのです。

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6)

今日は、南米チリで、生物の自律した創造過程を想定し、師のマトゥラーナと討論の末、共にオートポイエーシス(自己組織化)の概念を提唱したフランシスコ・ヴァレラと仏教との関係につい語りたい。
私は南米の文学の隆盛は肌に感じていたのですが、チリと生物学、神経学、認知科学とは連結しがたかったのですが。
ヴァレラがアメリカのハーバード大学を出て、その優秀さに大学側からの申し出があったのを断って、アジェンデ社会主義政権の成立2日前にチリの大学に着き、その興奮のもとでの、師との“生命”に関する討論の結果得たもの、と説明されて、納得の糸口が見い出されてたのですが、チリという国は、南米の中でも特別に政変の激しい国のようです。

その後のチリは、軍事クーデターが起こるなど、危険は彼の身に迫り、結局チリから出国せざるを得ない状態に落ち入り、アメリカに渡ってコロラド大学やニューヨーク大学などで7年間を過し、チョギャム・トゥルンバなどと交流しているうちに、ナガールジュナ(龍樹)の中観派の「空」に興味を持ち、それなりの仏教の修行もし、その後パリに転居してからは、1988年から彼の死(肝臓ガンにより2001年に54歳で死去)まで、フランス最大の政府基礎研究機関である、フランス国立科学研究センター(CNRS)の研究部長を勤めた。その間にダライラマなど仏教徒との研究会議も行っている。
そして、彼の著書である、大乗仏教の「中観」の空論を薦める身体化された心―仏教思想からのエナクティブ・アプローチ』は、一つの「行為論」の主張として、参考になります。

現在注目されている認識科学と、大乗仏教の教えとの間にどういう関係があるか。
それは「パフォーマンス=行為論』とした美術史が取り残した問題を認知科学の俎上に載せることによって、放り出されていた課題が突然現代の最前線の科学の
光を浴び、新しい意味で再び前面に引き出された感があるからです。
しかし、考えてみると、ゲーテが植物の「葉」を樹の“根原”として中心的に提出したばあいは、葉→枝→芽→花→葉という過程の中に「自己組織化」と「回帰性」の2つの定式を見るのですが、それに直接関わる要素のほかに、周囲の環境とか宇宙の知られざる影響の下にその「原型」の方式が行われているわけで、ゲーテ自身もそれを知った上で、それを称えていたのでしょう。

そして又、この樹に関する法則が、地球上のあらゆる生物の組織進展において同じように行われているだろうという無意識の思いがあって、それが人間が生活して編み出している社会の組織にも通用するだろう、という概念が確かに人びとの胸に浸透していたのです。それを「生命現象」としての原型として科学の上に実験し、発表したのがマトラーナとヴァレラで、さらにそれを社会学に利用したのがルーマンだったのです。
しかし、ここでその動きを生命的な「行為」としての「動力」に代行させ、予定されたオブジェまたはメカニズムを代数的計算の上に操作する、というのがこのルーマンからはじまる「システム論」なのです。

ところが、現代病として認知症が注目され,認知科学なるものが新たに考察されましたが、この認知と“ぼけ”と、認知と“非認知”との差が曖昧なのです。しかも科学上でも未知なる世界が充満する宇宙の要素が環境サイドから関係するとなると、その間に線を引かない限り計算できないわけです。
これは仏教の龍樹の「中観」の有るでもない、無いでもない「空」の世界にそのまま入ることになるのです。
ヴァレラのばあいは、それを「見えないが外に隠されて存在するもの」と捉えるよりも、座禅によって得た身体側から外に働く認知の働きを“エナクティブ”と称しているようですが、それは瞑想の結果得られる自律神経の働きにもあるし、また大乗仏教を支える般若経の般若(ちぇ)の働きとも取れ、それこそ言葉を必要としない、微笑みと、ちょっとした仕種だけで、自分の意を伝えることができる世界のことを言っているのです。
美術のパフォーマンスは、そんな大乗仏教の「中観」が考えるような思考を持つ筈はなかったわけで、物と行為を目に見えるリアリスティックな段階で考えていただけなのです。

しかし、ヴァレラの大乗仏教のこの捉え方には、私はあまり賛成できません。というのは、[中観」を称えたナガールジュナの“龍樹”は、密教の第一祖の“龍猛”と同一人物なのですが、インド密教から分離発生した独特なチベット密教の中でも、ダライ ラマが所属する無上ヨーガ タントラとインドから中国を経て、空海によって創られ日本独自の“眞言密教”とは根本的に違うものだからです。
ただ,パフォーマンスの“行為”という「キー概念」が、般若の“智慧”まで昇華されて捉えられるとは面白い現象ではあると思いますが。

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7)

池波正太郎の講談社文庫に『よい匂いのする一夜』という本があります。これが池波氏の本の中でも私が特別に好きな本で、寝る前に枕もとに置いてあるこの本を取り出してその中に掲載されているホテル、または宿屋の中からひとつ選んで眠る前に読むのを愉しみにしています。日光金谷ホテルとか、京都の俵屋とか、箱根のフ富士屋ホテルとか、今は果たしてどうなっているかわからない宿なども含んでおり、また、それが自分が泊まったことのあるものも未知のものもあるのですが、不思議儀に、どの個所を讀んでも「よい匂いのする一夜」に入ってゆくことができるのです。

「匂い」といえば、同じ講談社の文芸文庫の方に、白州正子の『お能 老木の花』という本がありますが、その中に「お香とお能」という章があって、次ぎような文章が書かれてあります。
「ーーー日本の香道も一つの道であるからには、かずかずの法はつねにつきまといます。その点、お能と同じほどの約束があるにはありますが、とどのつまり何をするかと言えば、[木片を火にくべる瞬間に芸術が成り立つ]それだけのことです。お香の場合、芸術そのものは形も色も音もないものによって表現されます。お香ほど抽象的なものはありません。
抽象的な香りの芸術をつくるうえに必要とする材料は、香木と火とあるのみです。香木はけっして目をよろこばせるに足るものではありません。火も日常私たちが見なれたものです。その見た目にはなんの感興もそそらないふたつのものが合するところにかなりの芸術は発します。そしてその存在は鼻で嗅ぐよりほかに知るすべもありません。」

私は池波正太郎の『よい匂いのする一夜』を読むとき、「よい匂い」を感じながら眠ることが出来るのは、池波正太郎氏の文章が「よい匂い」を感じさせるように状況を文で書いているからです。実際にまた、池波氏がその宿に泊まった時、「よい匂い」のするような宿のあり様で、万事に行きわたる、心地いい待遇だったのでしょう。
そして、白州正子氏は続いて次ぎの文章を書いています。
「 お能におけるシテは香木であります。
  シテ以外の部分は火であります。
  お能のシテが、シテを助ける背後のものとピタリと一致するときに、お能のか
 おりができあがるのです。その息もつけぬ微妙な瞬間は、芸術の歴史的字間であ
 ります。」

人間は五感の動物だが、とくに視覚と聴覚を中心にして生活している。その他の臭覚と味覚と触覚はそれに比較すると下位の働きをしているように見られる。とくに臭覚については犬、猫の段階の感覚と見られがちである。
しかし、これらの感覚は互いに隣接して、相通じ合っており、観音さまなどは、「音(うわさ)を観る」ほど感覚を過敏に、庶民の様態を注意して下さっている。日本の“香道”の人たちが「香りを聴く」のも、料理人が「味を見る」のも、それと同じなのでしょう。

ヨーロッパのローマ時代の演劇は、すでに失われているが、演技術は辛くも現代マイムの中に残存している。それが不思議なことに、精神分析のユングの名著『タイプ論』とほとんど同じ内容なのが驚きです。
確かにユングが開いた人間心理の内向性、外向性を土台にし、行動判断としては思考、感覚、感情,直観の4つ判断基準に分け、それに内向,外向の基本的な2つのタイプから見る判断から、人間を4×2の8つのタイプに分類した分類方法は、ローマ時代とは違う近代的な科学分類法だと思う。そして分類した結果の8つのタイプの特徴は、ローマの演劇術と同じである。しかし性格描写はローマの演劇術の方がより刻明である。
そして、これを知っていると、ダンサーのキャラクターなど直ぐ判明するだけでなく、その方法も推測が出来、結果としては、その踊られたダンスの中身があけすけに見えてしまい、そのマンネリズムな時代様相にうんざりもするのです。

もっと内密の関係を掘り起したようなダンスを見たいものだ、と長年の探索の後に探りあてたのがマンタクチャを先頭とする東洋のタオの研究でした。性格より深部の体質的な部分を。それこそ味や、匂いや,触覚などの、動物や虫や樹木に近い感覚組織の連合地帯を探ることができるのです。それによって何が判明されるのか。
それぞれの生物が持つ「原型」の、素材としての体質の可能性を掘り起こすこと。

また、日本の古代研究と山岳思想、神道,禅宗と武士道、空海の密教の夫々と、次ぎの A)〜F)の古代中国の歴史分析から始まる研究結果とを合わせ読むことです。

A) 紀元前5000年の易教の時代
B) 紀元前500年の孔子の時代
C) 紀元前2〜300年の老荘の時代
D) 紀元後2〜300年の道家の発生の時代
E)   紀元後700〜900年の唐の時代
F) 紀元後1100〜1276年の南宗時代


結局、今度のシンポジウムのためにこの4日間調べた結果を凝縮して、この章の後に付け加えようと思ったのですが、それは不可能で、結局この7)の文章をそのまま、4日前のままで送ることにします。それは何のための4日間だったのか、と今にして思うのですが、当日どこかで役に立つこともあるだろう、と自らを慰めているところです。

以上,及川

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8)

この間、仙台の教育大で里見教授が主催する「ワークショップ」がありました。ところが、青葉山の山中にあるその教室は、両サイドいっぱいの窓ガラスの両面が山の緑に覆われていて、それまで経験したことのない大いなる気の充満の中にあって、私は次ぎのような、初めての身体的秘密を知ることができました。
それは、先ずヨガと気功の身体に与える影響についてです。その実際的な経験から今日は身体の「精・気・神」の問題に入って行きたい、と思います。

私は偶然にも、その日のために「ヨーガ向けの音」と「木・火・土・金・水の五行のための、気功向けの音」を用意していたのですが、この教室のスピリチュアルな雰囲気に合わせて、さっそく17人の受講生を4組に分け、用意した「ヨーガ向けの音」で即興的に踊ってもらったのです。
その結果、各人の踊りはどうなったかというと、全てのダンサーは同じ組の他との関係を結ぶことを考えず、自分の個としての身体の筋肉の垂直的な緊張と天上に向ってのポーズに閉じこもり、同じ組の他との関わりを求めないのです。
つまり「ブラフマンという大宇宙(マクロ・コスモス)的視野から引きだされた原理と、アートマンという小宇宙(ミクロ・コスモス)的視野から引き出された原理とを垂直的に合一させる“精神性”に身を投じる感動に入って、他も己れも顧みないのです。
ヨーガが民間の身体修練からバラモン哲学の「サーンキヤ」と合一したために、このような、筋肉と骨による垂直指向が起こったのです。

次ぎに、今度は17人の受講生を「木・火・土・金・水」の5組に分け、用意した「五行のための気功向けの音」」で即興的に踊ってもらったのです。
ところが、こんどは身体内部の気の巡りを利用したいろいろな生理的感覚と感情表現が表出されると同時に、いっしょに踊っている他者との関わりにも注意を向け、それとの関係性の中に新しい解釈をつくって作品化し始めたのです。
その表現は「現象学的」なものも、「解釈学的」なものもありました。

「現象」ということを,西洋哲学の「現象学」以前の、インド哲学的な自然の現れの強さとして捉えるなら、クールベやバルテュスの絵を見るときの眼が必要とされますし、それを「解釈学」的に捉えるなら、より科学的に細分化した上での関係性を見い出すべきなのでしょう。

そして、これらの経験から、身体の原理として「精・気・神」の問題を、上体でそれを捉えると、胸の“神”はインドで、中腹の“気”は中国で、下腹部の“精”は、生命的エネルギーであると同時に、“大和魂”ともいわれる“肚”なのです。
日本人は「上・中.下の丹田」の中でも、歴史的にこの下丹田を特別にたいせつにしてきました。だから古典芸能はみな重心が下に下がりすぎているのです。


この前は、南宋と日本の鎌倉・室町の文化の関わりについて申しあげましたが、今日は、それに付属した歴史的な日本の思想的、文化的齟齬について、以下、簡略に問題点を提示します。

1 日本の場合は、仏教の理論が、西洋における哲学に相応するのですが、もっと龍樹(ナガールジュナ)の「中論」だけでなく、それ以前の「アビダルマ」に「般若経」、また、それ以後の「唯識論」と、「仏性論」を進化させた比叡山独自の「大覚思想」にも関心を持つべきではないでしょうか。

2 同じ禅宗でも、臨済宗は禅宗のことのみを論じ、仏教の歴史的な繋がりを重視しないのです。
しかし、道元系統の曹洞宗は、お釈迦様から始まり、浄土宗、浄土眞宗、日蓮宗、禅宗については勿論のこと、華厳経、密教までも一連のものとして仏教を語るのです。
というのは、曹洞宗は、密教の第一祖の龍猛が、先の「中論」の龍樹(ナガールジュナ)と同一人物であることを認識し、また、釈尊がちょうど西洋のキリストと同じように、人びとを教化するため地上に派遣された仏と解釈され、天空には太陽を象徴する大日如来(華厳経の“毘盧遮那仏(ビルシャナブツ)”から進展した)を中心に、四方を固めるためには、西方の阿弥陀如来を初めとして四如来が夫々位置することになった、それら仏教の歴史を包みこんでいるのです。

3 そして、もっとも大事なのは空海の『即身成仏義』『声字実相義』『吽字義』です。
空海の「アー は、頭骸骨と背骨で、黒。エー は、 臍で、白。イー は、腎臓で、赤。オーは、胸で、青。ウーは、鳩尾で、緑。」の説は、そのまま、ウランスの詩人、アルチュール ランボ−の「母音の詩」に通じるのです。
        参考文献:『空海の思想について』梅原 猛 講談社学術文庫

4 でも、空海は老荘のタオを道教と同一化していたのでしょうか。この紀元前400〜200の戦国時代の老子と荘子の教えはより現代的で、これからのわれわれの方向性にもっともヒントを与えてくれます。次に、老荘に関しての最良の参考書をご案内します。
        参考文献:『老子』金谷 治 講談社学術文庫
             『荘子』福永光司 中公新書

5 『易経』と仙骨との関係については、私なりの考えを持っていますが、これについて話すのは、後日に致します。

6 最後に、『論語』の現実的な効力の偉大さについては、その活用者である澁澤栄一の明治維新時の経済界建設の功績を思い起さざるを得ません。
        参考文献:『渋沢栄一の「論語講義」』平凡社新書

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9)

かって愛読した池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎の3人の作家は、小説のほかにもその随筆は優れていて、その作家の特徴は随筆の上によく顕われていました。
池波正太郎の多面的な人生経験からは前述した“肚の坐った”その性格と、人の心理を憶測する才能に長けていて、一方、藤沢周平は東北の鶴岡から東京に移住しても、つねに東北の自然から離れず、都会にあってもその生活方法を変えない、というのは異常でした。さて、最後の司馬遼太郎のばあいですが、この作家の時によって報じる氏の意見には、多くの人は感心すると同時にその意見には肯んじない人もいる、という特異性を持っていました。

私はこの三人の特性を、日本人が持つ伝統的な特性だと思っているのですが、それは私の師である人類学者の山崎 清博士が生前にふっと語ってくれた2つことを今にして思いだすのです。山崎博士の言うことは、今にして思えば、常に真実を突いていたのです。
その2つの内の1つの「及川君、これからは小説より、随筆の時代になるね」は、この話しの前哨になるのですが、博士が専門の人類学に関することとして、民族学的に日本人は蒙古系であることを顔面の特徴から語ってくれたことでした。

そして、系列ということは日本民族より蒙古民族の方が旧く、根源である、ということです。これは、もう誰も口しなくなったが、大相撲の日本人の横綱はもう望み薄になったのではなかろうか、と不吉な予感もするのですが、日本人の特性としては、日本の最初の髄・唐との交流の時代は、髄も唐も一族で、これは日本の基本的な特性を築いたと思われますが、平安の“漢”からの影響の方は、後の本居宣長だけでなく、平安時代にしても、利口げな“漢ごころ”は拒否されていたのです。

では、次ぎに日本民族に徹底的に影響を与えた時代は何時かというと、それは蒙古襲来以前、蒙古の一族の“元”が中国を北方から侵略しはじめ、北宗を南に追い込んで上海以南に南宗として閉じ込めた際に、優れた中国の和尚が鎌倉などに移住し、その後2度に亘る“蒙古襲来”があったのですが、暴風のため危うくその難を逃れたという経験と、その後、南宗から儒教と禅を主体にした文化を導入したことが大きかった、と思います。

その後、南宗は元に吸収されるのですが、問題は中国の元だけでなく、モンゴルぜんたいの当時の世界の中での勢いでした。
というのは、西暦の13〜4世紀、モンゴル帝国はユーラシア世界、また北アフリカを含めたアフロ・ユーラシアを統合した時代でもあり、それはあの西洋歴史の近代を飾る“大航海時代”の100年ほど前の事なので、世界歴史的にみると歴史家杉山正明氏が言うように、正しく歴史の分水嶺に相応するものなのです。つまり、「モンゴル時代の前提の下に西洋が海の出て、グローバル時代が始まった」ということです。
このようにして世界はその後、中国とイスラム地域のオスマン帝国と、ロシア帝国と中央アジアの4つに別れ、近代の歴史の到来を待つことになるのです。

しかし、ヨーロッパの眞の近代は18世紀からと見るのが正統で、その歴史の流れはそれほど長いものではなく、しかも既にそれが崩壊し始めると同時に、キリスト教世界に対するイスラム側からの反撃がつづき、中央ユーラシアの道があらためて確認され、かってのソビエット圏内にあった、ユーラシアの中央アジア地域のウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン、トクミニスタン、キルギスなどの今後の政治的なゆくえが問われています。
そして、われわれは、ヨーロッパの今後を考える上でも、またアジアの中でのプランを起す時でも、この中央のユーラシアの道を考慮に入れざるを得ない時期に入ったということです。そして横軸だけでなく、縦軸の関係も加わってきているのです。

と、いうことで、外語大で蒙古語を学び、これらの動静を内的に観察していた司馬遼太郎のばあいは、一般人とは観察の眼が違っていたのでしょう。

    この問題も、次ぎの2つの参考書を挙げておきます。
         『歴史と政治の間』山内昌之 岩波現代文庫
         『アジアの歴史』松田壽男 岩波現代文庫

これで、お粗末な私見を述べるのを終わります。14日の当日は、シンポジウムが3時に開始ということですが、2時前後には、相良さんといっしょに中野のゼロホールに到着する予定ですので、よろしくお願いします。
                     以上、及川

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10)参考資料の追補文

A)

 杉山正明「ーーーーー多くの方が、中国というと、初めから巨大で、その“かたまり”が4000年も続いたというイメージで語ってしまう。
中華文明という、ある同じような色彩は一面否定できない部分はありますが、地域の“かたまり”、国家の広がりという点では、こういう説明は歴史の現実に反しています。繰り返しになりますが、18〜19世紀にヨーロッパ人がアジアや世界を再認識し、それをヨーロッパ風に文明化していく視線の中で認識した文明世界論や文明圏イメージは、その時の真実ではあったけれど、人類史の真実ではない。これは大事な点だ思います。
 山内昌之「まさにそう思います。イメージの中で形成された中国、逆立ちした「虚の中国」ともいうべき存在ですね。ヨーロッパ人だけでなく、漢籍を通してのみ中国を見てきた過去の日本人にも似たようなバイアスが遊牧民に対してある。
 杉山「一方、モンゴル帝国は、帝国に至るまでの長い歴史があります。ユーラシアの東西を見てみると、たとえば中国と中東で同じ時期に同じ変動をしていることがわかります。それを中国と中東は違う文明で、基本的には孤立し合っていて、西洋人が来るまでは一体化されていなかった。というイメージで語ってしまうと、歴史や現実を見誤ります。
 巨大なユーラシアには真ん中に遊牧民とオアシス民との世界があって、それが良くも悪しくもつなぎ手だったのです。ですからローマ崩壊の動きが、漢の崩壊と連動するのも当たり前のことです。また、8世紀半ば、中国ではソグト人による安史の乱が起こり、唐が崩壊しましたが、まったく同時期に中東でも大変動が起きる。アッパーズ朝の出現です。アラブ中心に動いてきた7世紀以降のイスラームの世界で、もともと古代文明をもっていてイスラーム以前から中東の中心的存在だったイラン系の人たちが蜂起して、アッパーズ朝という新しいシステムを出現させる。ソグド人はそもそもイラン系のササン朝が滅んだ時に東方に広がった子孫といっていい。ほぼ同じ時期に東西で新しい国家運動を起した。今でいう中国地域においてはその運動は破産したけれど、中東では成功した。
 山内「中央アジアの遊牧・オアシス世界が東西文明の「配電盤」あるいはターン・テーブルの役割りを果たしたことになる。
 杉山「そう考えるといろいろなことがわかってきます。最近は中国で考古学的発掘が続いていて、当時の唐の都の長安、今の西安の街の中や郊外からソグド人関連の遺跡が発掘されています。山西省の太原からもソグド人のリーダーでその時の政権の要人でもあった人びとの墓や文化遺産が出てきました。中国史の北周や髄唐を研究している人びとは、それに十分に対応しきれない状態です。−−−−−−−−」
                            『歴史と政治の間』山内昌之 岩波現代文庫 より

B)

     松田壽男「ーーーーギリシャ的勢力は、地中海東辺に偏っていた。アレクサンダー大王の死後にヘレニズム文化の中心が、エジプト、シリア、および小アジアの沿岸に見出された事実がよくそのことを語るであろう。のちにイタリア半島から台頭し、カルタゴを征服(西暦前201年)して地球界の対抗勢力を断ち、その結果として西地球界に覇を称したローマが、東地中海を掌握するために、上記のアレキサンダー大王の轍を踏んだことは、まことに当然とはいえ、興味ある事実といわなければならない。すなわちそれは、ギリシャ(マケドニア戦争による)、シリア(セレウコス朝を亡ぼす)、エジプト(プトレマイオス朝を倒す)の順序だったのである。こうして地中海世界をはじめて政治的に統一したローマ帝国にとって、シリアとエジプトは依然として大きな立場を占めたのであった。
 シリアは、ローマ帝国がイラン勢力と亜欧通路(イラク)を争奪した激烈なそして長期にわたる戦争にとっての重要な基地であった。だからシリアは、帝国の辺境と見られる。しかし、エジプトまでローマ帝国の辺境視することは許されない。というのも、ここは、エジプト王国いらいの伝統ある文化に加えて、ヘレニズム文化に輝き、ローマ帝国領とはいっても本土に優る文化的地位を誇っていた。のみならずここは東方貿易の中継地として、ほとんど唯一の位置を占め、帝国もそれを充分に利用していたからである。エジプトを基地とするローマ人の東方通商がいかに華々しかったかは、前の諸章でその片鱗に触れておいたが、それが紅海貿易に著しい活気を帯びさせて、アラビア半島突端部のヤマン(イーメン)を賑わせ、またメッカ、メディナなどの沿岸の諸
オアシスの発展を刺激した。これは後代のイスラムの勃興にもつながっている。西暦後1世紀にエジプトで『エリュトラ海案内記』が公にされ、また同じころにはエジプトの船乗りヒッパロスによってモンスーンが発見された。これは、西紀後2世紀のエジプトで数学・天文学・地理学の大家プトレマイオスが有名な地理書を著作して、当時の地理的知識を集大成したこととともに、エジプトが保っていた国際的地位をみごとに告げているのではないか。 
 ヨーロッパの側からいうならば、カエサルのガリア戦争(西紀前58ー51)によって、はじめて二つの世界(西欧世界と地中海世界)の存在が明瞭になる。ところが、これほどの発展を示したローマ帝国も、五賢帝時代(西暦後96ー180)を過ぎると、質的に変化が目立ちはじまる。それは2つの新しい傾向にあらわれた。その1つは、海外からの奴隷の輸入や穀物の補給が、市民生活の向上に追いつけなくなったことから、中世の西欧で展開した農奴制に似た貢納制(コロナテトス)が社会に大きく浮かびあがってきたこと。その2は、帝国がその中心をビザンティウム(いまのイスタンブル)に置き換えはじめたこと、にほかならない_」
                                『アジアの歴史』松田壽男 岩波現代文庫より
 以上です。 これ迄参考資料として提出したものは、アジアに身を置くものとして、これからの芸儒家がバックボーンとして持つべき歴史観と身体意識と環境意識に関してのものですが、われわれアーティストとしては3.11以後の活動として、これまでのポストポダンの時代を模索したパフォーマンスの精神と、これからの時代に見合った芸術スタイルをどう探索すべきかという問題が、池田一氏と私を交えての今回のシンポジウムの中心テーマとなりそうですが、後はお相手の宮田さんと司会の河合さんに順を追って巧く結末へと運んでいただくことをお願いするばかりです。しかし、このシンポジウムの内容が単に面白かったということでなく、これからの時代への起爆剤であるような記念すべきシンポジウムになることを望みます。 及川


Wednesday, October 21, 2015

10月公演のために


⓪ 特別通信5
清水さんに

通信がちょっと長過ぎるかも知れませんが、この作品の共同制作経過と内容の真意を、せめて批評家や後援者、仲間に知って頂くだけでも有意義なのかもしれません。それと同時に時代が社会・経済・文化・政治とどう関わっているかの問題ですが、先ず身体と心のつながりが大切で、環境としてはもっと自然に直接向い、他者としてはモノ、動物、植物などに対当に向うべきであることを反省するためにもこのような制作過程を纏めてみるのも必要なのかもしれません。

最近、新潮社から出版されて評判になっている単行本、高村馨の「空海」を購入し読み始めました。だいたい私の考えている方向と似ているのですが、私が “空”に対して量子力学的観点から捉えようとしているのに対して、小説家である高村さんは、空海が中国に渡る前の修行の段階や渡航時の難局に関してなど、これまで空海について書かれたどの本よりも克明に調べて記されているのに感心しました。

この本を読み進めるに当たって、何かこの作家なりの独自の視線が空海を新たに読み解く鈎を与えてくれそうで、それを期待しているのです。
ですが、その前に、元高野山真言宗管長の松永宥慶氏が、卷末に次ぎように記した文章がありましたので、思わず拾い読みをしてしまったのですが、その事について触れます。
氏は次ぎのように語っています。
「空海の思想は、モノと心は、本来一つだという考え方です。「地・水・火・風・空」の五つの物質的な原理に「識」という精神的な原理をいれた「六大」説です。それに基づく教えが現代社会に生きてくる点は三つあります。第一に人間だけでなく動物、植物まですべての生きものと互いにいのちがつながり合っていると考える点。人間を主体とする文明から、動物も植物も同じように生存してゆく権利を持つという考え方への転換は環境問題に役立ちます。
第二は多元的な価値観を持つ点。
第三は人間の欲望を頭から否定するのではなく、積極的に活用し、現実生活での実践を重視する点です。これは社会福祉活動と言っていいでしょう。」

これは、ずばり、われわれが2場の主題として求めていたものです。
第一の「六大」説に関しては、もはや問題はありません。しかし、この「六大」とか「五臟」とか言ってその中に、それこそ「大いなるもの」の関係性を解くことを読者に委ねる方式というものは、複雑系のものを単純化する方式としての「自己組織化」の方式と似ていると思いませんか。
しかし、同じ方式でもこの方式の方が、対象として排除するものがない宇宙的な広がりを感じるのです。

そして、第二の「多元的な価値観を持つ点」というのはどう解釈すべきでしょうか。
これも、われわれはいろいろな“意味”を持たせて検討して来た問題です。
「中観」が取り上げる“有るような無いようなもの”を、例えば“色が有るような無いようなもの”とするならば、それは仮の姿であり、ひとつの環境の中で、観るものは仮りの色を“認知”するが、それは“真相”でも“真実”でもないのです。この“色”と“かたち”は、“分節”によってそのものの“意味”が、またそれが置かれた“状況”によっては、そのものの“価値”が変わるのです。

又、このような分節と状況の変化のほかに、“次元”が変わる、という根源的な土台の変化もあります。前に述べた老子と荘子だけの影響で生きた次元を2次元世界とすると、それに孔子の教えが加わったばあいは、三次元の世界なのです。
空間的には絵画は2次元の支持体の上に描かれるのですが、画家の横尾龍彦の場合は、2次元の支持体の上に、立体派とは違った3次元の世界が開かれるのです。それに批評家の宮田氏が「遠心と拮抗」という命題を付したのですが、それを解く行為も又難業です。
なぜなら、その根底にあるのは「認知」の問題で、それはじょじょに視覚の問題として解決して行かないといけないのです。
しかし、それらの幾つかはこの公演で試みがなされ、大串、加藤両氏が相良、高橋両ダンサーの映像でそれなりの成果を挙げています。

第三の「人間の欲望を頭から否定するのではなく、積極的に活用し、現実生活での実践を重視する点です。これは社会福祉活動と言っていいでしょう。」については、それをどう捉えていいか、というと、眞言宗は「大日教」「金剛頂教」の二大経典を大切にし、それを元に両マンダラがつくられていて、その教えとしているのですが、それに並んで重要視され、儀式などでは禅宗の「般若心経」と同じように頻繁に朗唱されるのが、この“秘教”と言われる「理趣経」なのです。

その内容が秘教であるに関わらず、なぜいちばん朗唱されるのかというと、「理趣経」は「般若心教」と同じように“般若系統”の経典で、朗唱するに良く又写経するにも可なのです。
松永氏はこの人間の基本的欲望である性欲について書かれている秘教の「理趣教」について、それといっしょに人間のもっとも大切な「智」とその五仏についてよく説明されているので、この教典の教えをとくに大事にしており、それを分かり易く解説した氏の『理趣教』が中公文庫にあるのです。
その本の「あとがき」に氏は次のような文を掲載していますが、それが上掲の文と呼応するもので紹介しましょう。
「『理趣教』は20世紀後半の暗闇の時代に、光を求めて模索する現代人に、生きざまを教える経典だといっていいであろう。」

さて、ここまで、われわれは10月公演のための模索をヴァレラとルーマンの「自己組織化」の線に添って、ポスト モダンの経過と今後の展望に向かおうと、その思想的なバックボーンとして空海の思想に依拠し、西洋の自然への関心の無さを攻撃していたのです。
が、ここでわれわれ日本人が現在や行っている行動を反省するなら、地球環境として今いちばん人間がやってはいけない行為、つまり3、11以後の無対策と、日本人の環境意識に対する鈍感さこそが、世界の嘲笑の的となっていることを自覚し、強烈に反省すべきなのです。この日本人の恥じべき心情はどこから来ているのか。それが、われわれの差し迫ったテーマなのかもしれません。


Tuesday, October 20, 2015

10月公演のために



10 宮田さんに

あたま中心の記号学や後期構造主義の20世紀後半を過ぎ、21世紀に入るに及んで、期待していた次ぎの新しい近代を見い出すことが出来なかったのです。
反省して次ぎの世紀を迎える筈のものが、21世紀に入ってから20世紀後半のあの知の空騒ぎはいったい何だったのかと後から反省する始末で、本職の数学者や科学者から、哲学者たちの理論の土台の甘さが批難されて以後、俄然光りを放ったのはフランスの科学史の権威者であるカンギレムは当然として、数学者であり科学者であり、文学の面にも明るいバシュラールとセールの仕事が改めて注目を浴びる時代となったのです。
バシュラールは詩人の創作の想像と幻想の跡を追跡することによって、人類原初の形成期の心理に戻ることを試みていたのに対して、セールは彼の好きな旅をしながら、人間の智慧と知識が開かれて来た民族の歴史を観察していたのです。
そして、それと平行する作業は、日本の吉本隆明の「幻想論」の仕事です。

私は「絵画の技術論」が今ほど後退している時代はないような気がしています。絵画が目的を見失ない、漠然とした、単なる場の飾りに終っているような気がするのです。
もっともそれは一般的な傾向のことで、横尾龍彦、野見山暁治.、池田龍雄などの先端者は未だ顕在で毎回自分の道を切り開いているので、尚更ほかの画家達と対比的に孤立しているよう見えるのです。

それは写真やヴィデオ、またデザイン、マンガなどによって絵画の領分が完全に冒されてしまったからでしょう。
しかし宮尾さんの今度の11月のキッドでの展示公演の仕事は、その事とは別の次元として絵画の認知の2次元を、舞踊の「うごき」を吸い込んで3次元に換えるる画期的な試みなのです。その意味で、今度のその制作者の宮田さんの役割りは大変大事な仕事だと思いますし、その作品の解釈の一端を任された私と相良さんの2人の舞踊家は責任を重く感じているのです。

今朝になって、私の今やっていることを反省してみましたが、それは宮尾さんの11月の個展まで続くテーマで、「光と反射」のことです。
最近亡くなったシュウ ウエムラがそれを、水といっしょに仕事の原点とし、一生じぶんの中心テーマとして守っていたのですが、太陽の光りの「反射」があって、吸収される黒と完全に反射される白とがあり、観る者の視覚範囲と視覚目標によって「その人が意味によって対象を解釈するために」反射の色の3原色を決めるわけです。
なぜなら、このという数が曲者で、それをベースにして陰と陽のエネルギーが素粒子の段階も含めて動きはじめるからです。

このことを理解するためには、以下の身体の細胞をベースにした呼吸による生化学の上で行われる、細密な化学変化を知っておく必要があります。

アルトー館では今、踊りの段階を4つに分けて、その身体的技法を大雑把に言えば、次ぎの4つの方法に分けているのです。
赤血球と筋肉による躍動する動きを主体にしたもの/各器官の類別と交感神経の興奮による神経ベースを主体としたもの/リンパ(白血球)と副交感神経による気の流れとミトコンドリアが寄生する細胞をベースにしたもの/皮膚を境に内・外の圧力と、胸の中丹田と臍との中間にある太陽神経叢(脾臓と膵臓と胃、また肝臓とも関わる)によって、からだの内・外を取り巻くエネルギー(性と生命力と霊的な)をコントロールする動き。

しかし、これはインドの人間の3つのタイプ、活性的なラジャス/官能的なタマス/神秘的なサットヴァと、最後は人間の類別キャラクターを越えて宇宙との交感を感じさせるもの、つまり宇宙(ウパニシャッド)と個(プルシャ)の精神・霊的部分が合一したものを差しています。

さて、ここで人間の体内でのエネルギーの創り方の様態を次に簡単に説明しますが、それを知ると私が陰と陽で東医学で話していことが、西洋医学の生理学でもそのまま通用することが理解されるでしょう。
先ず、最初に人間の身体は基本的には細胞で出来ていることを理解すべきですが、この細胞は、38億年前の、この地球上にまだ樹木がなく、無酸素状態のときに発生したのですが、それは体内のブドウ糖を使ってエネルギーを生成し、また乳酸もつくる<解糖系>のもので、現在もそれを行っている細胞が残存しているのです。
しかし、地球上に苔状の光合成細菌が発生し、それに次いで植物が繁茂する時代になり、植物が空気中の炭素ガスを使って光合成して糖をつくり、老廃物として酸素を放出し空気中に酸素の量が拡大する。
と同時に人間の細胞の中にミトコンドリアという寄生物が住み込み、これが人間が外から吸った酸素を使って糖をエネルギーに変換する役割りをすることになる。
それ以後、人体にはこの酸素を利用する<ミトコンドリア系>の細胞と、酸素を必要としない前述の<解糖系>の細胞との2種類をもっていますが、酸素を使わず糖化する<解糖系>の細胞を使い過ぎるとがんに成り易いという試験結果が出ています。

そして問題となるのは次ぎの生理化学の現象なのですが、この際に水素のプロトン(陽子)が内膜の外に汲み出され、それが再び内膜の中に汲み入れられるとき、水力発電に似た仕組みで行われるのですが、野菜に含まれるカリウム40は水素を電子とプロント(陽子)に乖離させる役割りをしているのです。
この例を知るだけで、如何に陰子と陽子とが体内の生化学のはたらきの中で陰子と陽子が動き回って、自分の位置を決め、それぞれが役割りを演じているかを理解できるのです。

私がこう断言するのは、身体の生態学的構図がそうなので、その微細なエネルギーの動きを大きく囲むものは円か四角なのです。円には中心点があり、四角には対角線を結ぶと大小の三角形が8個つくられ、その構造の中でこれを直観的に掴んだのが、空海の胎臓マンダラと金剛界マンダラの両マンダラへの解釈なのです。

大串さんの黒の濃淡で描かれた墨絵の前に立つと、白は勿論ですが、何色の服でもその絵の中に吸収され、その絵の前で画面に平行してしずかに弧線で動くか、角ばってある点と点を結ぶように動くか、そこで細かい動きをして何かあたらしいものが生ずるかのように動くのが、ちょうど支持体の前で筆を動かして模索している画家の動きの姿と結局は同じなのです。

それを私は青と緑と黄色の画家の描く行為の三原色だと言うのです。
向こうの世界から生まれてくる色は「ひよこの黄色」か、江戸時代の小娘の頬と唇に指す「薄紅」です。この世と向こう側との間の色はピカソが愛した浮世絵の「紫」の色です。まさに、江戸の「浮き世」観にぴったりな江戸紫です。
そして現実の宇宙の深さに通じるものは空と海の「青」で、樹木の「緑」は枝から枝への連結を意味し、それはいろいろな「組織図」の繋がりを描くのによく使われます。そして反射させず色を吸収する黒に対して、太陽の「赤」があります。

今度のわれわれの10月公演は、「水鏡」が代表するこの反射を中心とする例です。太陽の光が水面に向った反射することかが「智慧」の原理で、「智慧」から「慈悲」の慈(他人と自然とに親しむこころ)と(他人の不幸を悲しむこころが生じることを中心テーマにしています。
知識と科学以前の人間が、持っていた感覚智慧の働き。それを失って、複雑系を自己に都合のいいように単純化したポストモダンの時代の後に、なぜ「リスク社会」が起っているかの原因を究明にしているのでしょうが、その一つは科学の土台である知識の真ん中に外部を入れないからです。大串孝二さんは、それを「中庭」という言います。

ルーマンの「社会システム論」の中心テーマであった「自己組織化」を提案した神経生理学者のヴァレラが亡くなる前に、『身体化された心』というタイトルの本を世に出し、ヨーロッパ人に向って現在問題になっている「認知」の問題と平行して、東洋仏教の「大乗仏教」の部分を研究すべきだ、と忠告したのです。
しかし、この本が忠告する「心が身体化される」と同時に、環境としての自然を大切にし、人間世界よりも、われわれを取り囲む宇宙とその中の地球を対象とすべきであることはこの10月公演で、宮田さんが企画する横尾さんの個展では「認知」と「動き」の問題から「遠心と拮抗」」というテーマに当たろうとしているのですが、それが又、われわれのヴァレラに対する返答でもあるのです。


Thursday, October 15, 2015

10月公演のために


9 宮田さんに(補      
    
    パフォーマンスの行為論とその後         
                              
 1 社会システムの「開かれた」と「パラダイム転換」

 社会学のシステム論の機能的部分は、生物学のシステム理論を土台にしている。
 具体的に言うと、檜枝岐パフォーマンス フェスティバルが始まった1954年の同じ年に、ドイツの社会学者、ニコラス・ルーマンの『社会システム』が出版されたのだが、これはチリの生物学者フンベルト・R・マトゥラーナとフランシスコ・ヴァレラの「オートポイエーシス(自己組織的システム)」というシステム理論の構想から影響を受けている。
 それ以前に、「サーモスタット」の機構を利用した「サイバネティックス」なるものがある。機械のシステムとかメカニズムを超えたものとして、生物が暑い時とか,寒い時とかに直ぐ生理的に反応する「ホメオシタシス」の生体機能に対して、あたかも生命的機能があるかのように制御工学の理論から人工的にフィードバック回路を自動的に演じる『サーモスタット」という機能的構造体を案出し、それを元に人工頭脳のモデル研究が行われ、「サイバネティックス」という人工頭脳の未来が期待されていたのです。

 しかし、ルーマンがマトゥラーナとヴァレラが開発した「オートポエーシス(自己規制)」を社会システムの中に取りいれたものは、「サイバネックス」と違っていたのです。というのは、この「自己組織的システム」は、むしろ自分自身を志向し、個別の現象や過程を生じさせるエコロジー的諸条件を自らつくり出すまでに至っていたからです。つまりマシンが機能的に生命的な「マシーニック」な働きをするようになっていたのである。
 機械的なシステムが機能的に生きているように見えたこと、これは当時大きな影響を与えていたクーンの科学革命の「パラダイム論」に相応すると思われた。檜枝岐においては、すべての事に「パラダイムの転換」を望んでいたような気がする。
 クーンの科学革命の意を成す「パラダイムの転換」とは、科学においてのレベルを越えた進歩過程を指し、先行するパラダイムと根本的に異なる新しいパラダイムが登場し、不連続な断層を後に残すような革命のことです。
 
 そもそも、「一般システム理論」は、1951年に動物生理学者のルードフィッヒ・フォン・ベルタランフィが最初に純粋形式として考え、それを社会学のルーマンに渡した感じになるのですが、ルーマンは「社会なるものは人間という生物が形成している限り、論理と数学から成る機械的な純粋形式のシステムで終わる筈がない」と、機能的なシステム部分をこの一般システム理論の中に取り入れたのです。
 さて、ここでこのシステム論の中に「開かれた」という言葉が使われているのは、何を指しているのでしょうか。それは生物と環境との関係を指しているのです。
                                    
 先に挙げた「一般システム理論」を構想したベルタランフィなる人物は生物学者だったわけで、物理学者は環境から切り離された、「閉じた関係」の中にいるシステムなのに対して、生物学者は本来的に環境に向かって開かれた有機体の生物を対象としいるのです。

 ヒノエマタ フェスにおいて「開かれた」というキー概念がよく言われたのは、それまでの芸術家が都市空間または劇場空間に閉ざされいたのが、突然、檜枝岐という開かれた自然空間に放たれたからでしょう。この「開かれた」感覚なるものは、自然環境の中での自ずからの実感だったのです。
 そして、この「開かれた」というキー概念の下に、それぞれの芸術家に、新しい作業空間が開かれて行ったように思われます。
 しかし、それとは別に、この社会システム論の影響のためか、もの事を「表層的」に判断する傾向に傾いて行った嫌いがないでもない。深部より表層を、精神性より事実の関係性を大切にし、生命とか霊魂などの語句は禁句のようになっていたのです。

 代りに、身体論は豊富に語られたのですが、「音楽家の身体」「美術家の身体」などと言語的には論争されたのだが、当時はまだ、分子生物学の時代で、量子力学や宇宙空間などは今ほどは解明されておらず、光とか音波などの次元で物事を考えるほどわれわれの思考が細分化されてはいなかったのです。
 従って、「全体と部分」の問題とか「断片化する」などの用語がよく使われたが、また観念的言語を使うより、身体からものを考えるべきだと言ったところで、からだの内部を知って、その構造と機能とじぶんの思考とがどのような関わりにあるのかは、実感されていなかったようです。
 そういう未知の分野を孕んだ状態の中で、「複雑性(系)」という言葉がどこからともなく聞かれるようになったのだが、この「複雑性(系)」というのは、システム社会と環境との対象において、社会システムと、社会を形成する人体システムと、またそれが対する自然環境がいかに複雑であるかという認識から発した用語だったようです。また複雑な自然と宇宙を削ぎ落とし、人間社会と人間が営む経済に対応するモだけを対象にし、しかも人間がつくっている社会すらも複雑なものとして、それを分化して「自己組織化システム」で単純化するこのシステムは、果たして「開かれている」いるのか、それとも「自己言及」に終っているのかかが問題とされていたのです。しかし、このルーマンの「社会システム論」とドゥルーズ=ガタリが称えるアルトーの「器官なき身体論」とはこのポスト モダンの世紀を動かす大きな動力だったのです。
 
 そして今にして思うのですが、この環境に対する関係は、それ以来大きな変転を経ているのです。時代的には、古典的な演繹と帰納の解釈の時代を過ぎ、経済学では「ワルサスの均衡論」を考える時代に入っていて、量子力学によってますます細密化するのと平行して、このバランスの測定も連立微分方程式によって計るようにもなっていたのです。
 社会システムが対する環境と世界にしても、国と世界との力関係が全く変わったと同時に、グローバルの名の下に資本の移動が国境を超えて乱脈な動きをなしていること。そして21世紀に「自己組織化」のあと「反復」を経て「自己反省」から最初に戻って、新し回帰的近代として前に向って進んで行く筈の世界が闘争の主義の明け暮れ、社会は「リスク社会」に変じ、自然を顧みず、各国が抱える公害の差から「環境問題」をすすめ得なかったことから「地球環境」の問題を放置したまま、新たに原発問題を抱え込むことになっているのです。
                                    
 システムに対する環境としての自然空間は、気候の歴史的な変動と地震の驚異、それに放射能の問題とが三重に畳み込まれ、宇宙という観念が太陽圏を超える広がりを持ち、一方、量子力学の世界は「 IPS細胞」 以来、われわれの身体に関しては密接に感じられるようになって来ている、という不安感があるのです。

 「均衡理論は経済学において発展し、システム理論は政治学において、その中心部に取り入れられ、それらに対して、機能理論は社会学に固有のものである。」と一般に言われている。
 しかし、社会学が現在のコンピュータ世界の共通の地盤の上で、これまで他の学問を圧して先陣を走れたのは、上記のルーマンによるシステム理論の導入によってである、と捉えることができる。
 社会学は、サン・シモン、コント、ミル以来、他の学問とちがって経験的な実証主義によるものなのだが、この現実のリアルな経験的な事象を対象とした社会学に経済学や政治学が絡んでくると理念的なものと経験的なものに分かれてくる。
 社会学というのは、本来的には人間が外環境に対して行為するための、また、その結果出来た組織構造に対して研究する学問なので、構造の分析が主体なのです。つまり「部分と全体」においての要素間の関係です。それを社会学のばあいは人間の行為と機能的観点から調べることがウェーバーから始まったわけです。
 その機能的な部分を主体とし、「機能主義の社会学」の土台をつくったのはデュルケームで、それを発展させたのはパーソンズであり、「機能主義人類学」として拡大したのはマリノフスキーとラドクリフ・ブラウンでした。そして社会学の立場から人体内部の機能的部分を組織立てたのはスペンサーだったのです。

 この経済学と政治学と社会学の三者のうちで、経済は数学的に処理でき、政治はウェーバーが言うように、官僚的な役人が保持する制度的なものが、本来機能的なものが機械的に固定されているので、半分は数学で処理することができる。それとは別に、「社会学」というのは、民衆がつくった社会組織を対象としていたものなので、本来は機能的なものであるべきなのです。


 2 パーソンズ の「機能主義」と アルトー の 「器官なき身体」
 
 自作『魂と形式』を持ってハイデルベルクのウェーバーのサロンに現れたのは、当時まだ無名のハンガリア人、ルカーチでした。ウェーバーのサロンは、社会学者のジンメルや詩人のゲオルゲなどが常連だったようです。ルカーチはその時は演劇経験のある文学志向の青年に過ぎず、政治に対してはさほど関心を持っていなかったのです。ただ、彼はその時点において、彼の書いたものの中で「開かれた」ということばをよく使っていたようです。
                                    
 ウェーバーはルカーチを無条件に受け入れ、何かと彼の面倒を見てくれたようですが、ウェーバーの社会学の中の「行為」の意味を知り、その影響でルカーチは政治の実践の世界に入ることになったのでしょうか。
 政治システム論の考えは、「政治システムは境界を越えて、環境とのあいだでインプットとアウトプットの交換を行う<開いたシステム>である。開いたシステムであることによって、環境からエネルギーや情報を取り込み、<エントロピー増加による衰退>を防止し、システムの存続を計っている」というのです。

 経済学や社会学と比べて、政治が客観的に学問として研究されるのが遅かったのです。それでサイバネックスないしシステム理論の政治学への導入が、他のマクロ経済学や社会学の場合とは違って、補助的なものとしてでなく、主体的な方法として取り入れられたのです。率先してそれを行ったのはアメリカの政治学者のドイチュとイーストンで、それが政治学の主流派となったのです。
 社会学のばあいは、機能主義が中心的になっていたので、それを補充するかたちでサイバネテックス並びにシステム理論が取り入れられたのですが、政治社会学の広がりにおいては、フーコーのように「権力」の側から<閉ざされた歴史>を調べることも行われたのです。

 それまでの伝統的な政治理論が「マキアヴェリ、ホッブズ、ロック以来の機械的政治論か、バークやアダム・ミュラー以来の有機的政治論であった」歴史的経歴に対して、「政治に指導的意志目的」を建てることの意味から「政治の意志決定システム」としてサイバネテックスを基にした「システム理論」を全面的に導入するようになっていたのです。
 今、客観的に、これまでのアメリカという国の意志決定と行動を見ると、確かにドイチュとイーストンの政治学がアメリカという国に浸透している、と思うのです。そして大衆の願いと政治方針とのバランスをシステマティックに計った上で慎重に意志決定している、ことが感じられるのです。

 さて、ここで社会学が経済学の「均衡論」や政治学の「権力論」とは違って、「機能」の要素を中心的な要素とし、あえてシステム論を導入してメカーニックなシステム形式にしながらも「機能」の面を大切に保持するのは、やはり社会学というのは政治的権力とか経済的バランスということでなく、国という構造体を基本に考えているからです。
 それでマリノフスキーとラドクリフ・ブラウンの人類学が機能主義を称えたのに対して、同じ機能主義でも社会学者のパーソンズは構造を視野に入れ、機能と組織の有機的な要素のほかに構造の要素「地位、役割、制度、社会過程、文化パターン、社会規範など」(マートン)を視野に入れたのです。社会の構造の中での「組織」とか「行為」というものを「機能」との関わりで考えてみると、機能は価値(ヴァルール)を対象にした、作用(ファンクション)と過程(プロセス)であって、それ自体なんらの実体のないものです。従ってこのばあい「組織」とか「行為」というものは抽象化されているのです。
 
 それに反して個人の身体が行為することは、それは身体の動きと他物との間の目に見える動きの経過と作用であって、そこで意味性も価値もリアルな次元に止まってしまう。それゆえ、「パフォーマンスはイコール身体の行為だ」という定義はそれ以上前へ進まないわけです。
 美術史の上での身体行為としてのパフォーマン アートの行き詰まりの原因は、このことにあったと思います。
 この機能的な部分の社会学の解釈の方が、イギリスのオースティンの『言語と行為』で説く、言語遂行の「パフォーマティブ論」より、われわれのパフォーマンスにとって重要なヒントを与えていると思います。

 社会学の「行為」については、ウェーバーのパラダイムを転換したものがあります。
 パーソンズが行ったことは、その後ルーマンがやったように生物学からの取り入れでした。生物学では電子顕微鏡の進化によって各細胞の分子の動きを観察することが可能になっている。そして、その化学的結合の結晶体は、すべて幾何学的な形態を取っている。その生理の微細な運きは、正方形の中に2つの対極線を引いてつくられるた大小8つの三角形と、それを取り囲む四角の枠の線上を走りつづけている。この生理学の微細な現象を、パーソンズは彼の機能社会学の理論の上に取り入れたのです。
 パーソンズはその構図を、彼の「社会システムの内部境界相互交換」の図に取り入れ、動きの4種類の交換メディアとして貨幣、権力、影響力、価値コミットメントを掲げているのです。

 アルトーの「器官なき身体」に関しては、彼の死の直前に書かれた『俳優を狂気にする』と『演劇と科学』の2つの論文への解釈によって次のように結論づけることにしました。
 人間を含めて動物の身体は心臓機能が止れば有機体としての生命を失うのです。それに対して中心的な政府の機能が失われても、構造的要素が存在する限り、中心的機能を変革することによって、社会の内実が変わって存続するのです。
 
 その意味で、人間の生命的機能を司る器官というものは「一方通行」で。宇宙が形成したものとしては半端な機能で、アルトーのいうように、この器官と組織と骨を粉々に刷りつぶして分子化しないと、宇宙の細密な関係や人間の生命的な魂から発した数式や芸術形式などに通じることが出来ない。
 岡潔の数学の難問を解くときに感じる情緒は、この器官のないときの微細な通路(プロセス)と作用(ファンクション)であって、身体の行為からではない。
 
 そして、この情緒は感情とは別なものです。それはライプニッツの頭脳と同じように、リンパ働きで新しい思考の回路を見い出した時に起る情緒なのです。
 
 厳密に言うと、身体内部をそのような状態(「器官なき身体」)に持って行かなくては、その境地に至れないということなのでしょう。
 しかし、それは老荘のタオと、大乗仏教の「中観」の思想が望んでいたことと同じ目標なのです。そしてそれに至る技術的な修行にしても、アルトーは同じような方法をイメージしていた、と解釈した方が正しいようです。




10月公演のために


特別通信 蒼さんに

リンパ腺を活動させるのは、副交換神経の方です。そして、それはあ座禅した時に感じるからだの細胞の細密な感覚と同じ状態なのです。
心の微妙な感覚的な動きの変化が、インスリンや成長ホルモンのようなリラックス系のホルモンに影響されている時の感覚なのです。ホルモンは理性ではコントロールが難しく,そのため、ホルモンを分泌させる元の、脳床下部や脳下錐体に直接影響を与えて、ホルモンを促進させることが必要です。
このように、リンパ腺を直接刺激するのは副交換神経で、それを納得するためには、座禅などによる瞑想状態、または、“気功”による態、亀などの呼吸運動の状態などを参考にして、習得、確認すべきです。

宇宙の膨張しつつある外部の力と、個人が内側から主張する外に向っての力がせめぎあうときに感じる、その融合するエネルギーのなかに見い出すのが、われわれが求めている<眞如>の姿なのであり、その時に感じとる宇宙の理こそ<法相>なのです。
そして、それ以前にわれわれがこの世に感じ、見るものは、“色とかたち”の「絵画の認知」と、“音とリズム”の「動き」とが典型となるもので、、それが “分節”すること によって“意味するもの”として現象するのですが、すべては“陰と陽との対立するエネルギー”が、仮の構造をつくるため、3と4の、または円の方式を選んでこの世に仮の姿と構造を描いているのではないでしょうか。

そして、からだが外に向って動いてゆく時の皮膚への圧力は、表皮の4層の下にある真皮の中の触覚細胞とそれを後ろから圧する圧覺細胞とが創り出すので、その際、内・外のせめぎあいを皮膚の上に感じるのですが、その時に感じる「強度」こそが「真相」であり、「真実」なのです。そして、そのことを暗示して教えているのが、アルトーのあの“呼吸”と“筋肉”の「聖なる三角形」なのです。


昨日の高橋さんの武蔵小金井での公演は最高でした。私が彼女の踊りを見て納得したことは、人類発生の最初期の“脊椎動物時代”が約5億年前と想定すると、腕、脚の先端部の手足が出来たのは両生類といわれる約3.6億年前で、その後に腕や上肢が出来上がるのが、今から700万年前の人類と命名される時代になってからである、という学説をそのまま彼女の踊りに見せられた、ということでした。

それに付け加えると、背骨は魚と同じように約5億年前の“無頤類時代”の後に出来上がったわけで、その中でも頸椎が手首、足頸と同じように、生活するための「智慧」の働きをしていたのではないかと、その動きを見て推測されたのです。そしてその後に、掌と足の裏の「知性」が発祥して行ったのではないだろうと、その高橋さんの演技を見ているうちに推測されたのでした。

このようなことから、「ダ・ヴィンチの顔の三等分」と「デル・サルティズム」の躯幹の三等分の意味と形成の歴史が了解されただけでなく、現在われわれが演技の上で身体の意味性で問題としている、肘や膝の「頭部の代理」と、頸椎と手首、足頸の「智慧」の働きが納得されるわけです。

そして、それだけでなく、私が今考えあぐねている、とそれが対象とする「地・水・火・風・空」の五大を合わせての、六大の関係性なのですが、今その中のを空間ではなく、大乗仏教の中観が言う、有るでもない、無いでもない空(くう)とする、と同時に、を、眼・耳・鼻・舌・身・意の対象を識別する働きを、素粒子の段階まで細密化することによって世界を量子力学の「空(くう)の世界になるところまで持って行くとすると、初めて身体が感じる眞如と宇宙に感じる法相の姿が見えて来るのです。

これをインドの“ウパニシャッドの哲学”から引用すると、それは宇宙のブラフマンと個人の魂であるプルシャとの合一であり、空海の世界で言うと、それこそが 空海が修行時代に、あの室戸の海岸線にある洞窟から聴いた波音に、眞言の域を垣間見たのではないでしょうか。

Wednesday, October 14, 2015

10月公演のために


特別通信3
相良さんに
 
 第2場を終って第1場のシステム論の問題に移ろうと思っていました。
しかし、その前に「社会学」というのは、そもそも社会全般のことを考えるために作られたもので、当然その中に文化も含まれているものと考えていたのが、そうでもなくて、いつの間にか経済と密着し、文化は政治の全体構想の一部として追いやられる状態になっており、一方理科系の「人類学」であったところに「文化人類学」という新しい分野が、それまでの民族学とは別方向に急に創り上げられたのです。

 それでも、「政治社会学」と同じように「文化社会学」という名目もあり、その新しい分野を確立して行こうとする動きは、イギリスのR.ウィリアムズがこれまでの上の階級から創られた文化とは違って、一般民衆の側から自然的な生活文化の道を選んだことから「カルチャー スタディーズ」の運動が起こったことを初めとして、「誰でもがアーティストになれる」を理想に掲げた“フルクサス運動”を引き継いだかのように日本の「サブカルチャー運動」が起こってもいるのです。

 また、それとは別に、今私が手にしている「文化の社会学」井上俊・伊藤公雄
という双書には、フランスのカイヨワ、ベンヤミン、フーコーやアメリカのギアツ、パレスチナのサイードなどが、名を挙げられているのですが、どちらかというと文化人類学の分野かと思われるポーランドのマリノフスキーとフランスのレヴィ・ストロースも入っているのです。

 そして、ここで私が最後に挙げたレヴィ・ストロースのところで、ストロースの「野生の思考」(1962)について書かれてあるところを読んでいると、今度の10月公演の第2場のテーマを如実に語っているのです。私がストロースの「野生の思考」を読んだのは60年代の後半のことで、こういうことを述べていたとは、不覚にも記憶に残っていませんでした。たぶん10月公演の2場のような直接的な現状になかったせいでしょう。日本の60年代末という時代は、それほど外部が騒々しく物事をじっくり考える余地がないほどだったのです。
 
 以下、レヴィ・ストロースが南米のブラジルで、現地の未開人を実地研修したその成果を、この「文化の社会学」という本に書かれているまま、以下に問題のその箇所を書写しますので参考にしてください。

 「本書「野生の思考」は出発点として、「心性」あるいは「思考」を、野生の思考と栽培・育成された思考とに二分している。野生の植物を栽培化し,野生の動物を家畜化することによって文明が生まれるという認識は一般的なものであるが、レヴィ・ストロースは、この二分法に、より特殊な歴史的基盤を与える。新石器革命を実現せしめたのが「野生の」の思考であり、17世紀に西欧に成立した近代科学の基礎をなすのが、栽培・飼育された思考であるという。
 重要なことは、「野生の思考」は感覚に基づく「具体の科学」であったのに対し、近代科学は、感覚と知性を分離し、抽象的、形式的アプローチを行うことである。 j. ロックの哲学において、真実の存在世界を構成している第一次事象と第二次事象(諸感覚の所与である、色彩、匂い、味、音、感触など)とは区別されており、近代科学は後者を捨象することによって成立したのである。」

---------ここまで書写していたのですが、左眼が痛み出し,字がぼやけはじめたのでいったん休むことにしたのが、夜の10時頃だったのでしょうか、そのまま不覚にも寝込んでしまい、目が覚めて慌てて起きたのが翌朝の2時55分でした。永年の習慣というものは恐ろしいもので、朝3時になると自然に眼が醒めるのです。しかし昨日のうちに相良さんから皆に発送して貰う約束を里見さんとしてあったので慌てて続きの文を以下続いて写し始めます。

 「レヴィ・ストロースは民族誌的研究から、一般を特殊に、抽象を具体に結びつける、無限の拡張能力をもつ分類体系ーーーそれは分別と対立を用いて時間を非歴史的に構造化するーーが「未開人」の思考の核にあることを示したうえで、これが野蛮の思考ではなく、西欧文明も含めて人類が新石器時代から生活手段の基本としていた野生の思考と同じであると結論する。かくして野生の思考は人類に普遍的に存在するものであり、それによって他者を理解する基礎となりうるものである。これに比べて西欧に成立した近代科学は、限定された時期と空間に発展した、人間にとっては特殊な思考様式であり、他に優越するものでもないということになる。」

 この著書によってレヴィ・ストロースはサルトルの現象学を打ち負かし、その破れ目からアルチュセールの「マルクスのために」と「資本論を読む」やラカンの「エクリ」、フーコーの「言葉と物」など、あらゆる分野で“構造主義”が花ひらくことになるのである。

 以上のことが参考になれば、思います。そして、「六大」といいながら、人間の意識を一段さげて「識」とし、他の「五大」と対させていることに注意していただきたい。

以上、及川

Tuesday, October 13, 2015

10月公演のために

特別通信 相良さんに



 ゲーテの樹木の「根源」としての「葉」と、
   ヴァレラとルーマンの「自己組織化」との違い

「根源」というもの、それを元にした「自己組織化」というものは、老子が語る以下のようなものである筈。混沌である「複雑性」は、その広がりをもつ課程で、重要な道筋が元の[根源」と繋がりを持っている筈なのだ。
その自然的な道を外して、自分たちの「利」の目的のために、重要な対象素材をねじ曲げ、あるいは重要な要素をシステム環境から漏らして勝手に創り上げるとどういう結果を生むことになるか。それは、目前に見る世界の現況と、危ぶまれる地球環境なのだ。

『老子』には、次ぎのようなことばが書かれている(福永光司訳)。

「混沌として一つなったエトヴァスが、
天地開闢(かいびゃく)以前から存在していた。
それは、ひっそりとして声なく、ぼんやりとして形もなく、
何ものにも依存せず、何ものにも変えられず、
万象にあまねく現われて息(や)むときがない。
それは、この世界を生み出す大いなる母ともいえようが、
わたしには彼女の名前すら分からないのだ。
仮に呼び名を道としておこう。無理に名前をつければ大(だい)とまで呼ぼうか。
この大なるものは大なるが故に流れ動き、
流れ動けば遠く遥かなひろがりをもち、
遠く遥かなひろがりをもてば、また、もとの根源に立ち返る。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。」

この孔子あるいは荘子の言葉を現代の人間は旧い、科学の洗礼を受けていない時代の、古代人の言うことばだと捉えるのだろうか?
時代が進むに連れて人類が進歩して来た、と考えることは幼稚なのである。
ひらめきを持った偉大な人物発生した時代というのは、永い人間の歴史のなかでほんの数える時代しかない、と言っていいほどである。
その数えるほどの時代の数えるほどに数少ない人間のお蔭でわれわれの科学も文化も開かれて来たのだ。

“スマホ”で知識が開かれた、と思うのは間違いで、それは、これまで発見された上辺の知識が簡易に手早く手に入るようになった、というだけのことで、苦にして手に入れた自分だけが取得した知識ではない。
歴史的知識にしても他人が前に集積された書物から得た知識と、苦労して古文書を発見し、その文意をじぶんで読み解き、ひらめきによって歴史の筋道を解釈できた、例えば中村直勝氏のような方が本当の歴史家だし、また同じ歴史に当たってもあらゆる面から奈良と平安の貴族と庶民の生活を調べ、今ではすでに忘れられている道教文化の侵入度を発掘された福永光司氏の功績とか、仏教信仰の原点として、これまで民衆の間で信じ、広められてきた足跡を辿った山折哲雄氏ような方の、本当の日本文化の“根源”というものを肌で感じ取っている方を大切にしたいものだ。


ここで、われわれが現在立合っている10月公演の第2部について考えて見よう。

根源的なものを中心に、対象とする「複雑系」を数式的に簡易化して結果を観測できる筈の「社会システム理論」に対して、空海は身体のみでなく、人間の意識と自然環境と宇宙の万物との関係をも包み込んだ、この混合的な複雑性そのものを抱え込む「自己と外界との関係」を、ひとつの「根源的な関係」として、識と地・水・火・風・空の五大とを組み合わせて「六大」としているのです。
これこそが空海こそが創り得た、この世の「空なるもの」で混沌とした[複雑系」の宇宙存在の、「根源的なもの」を中心にした「自己組織化」の方式なのだ、と思いたいのです。しかし、その中には数学的な数式は含まれていない。代わりに生命的な動力と、それをベースにした広がりのある「イマージネーション、あるいは「幻想」の動力が控えているのです。

現象学の開祖であるドイツのフッサールの現象学と、同じように現象学的な出発から科学と日常生活を対象にして来たフランスの科学哲学者バシュラールとでは、バシュラールが対象に対して想像と詩的イメージ、あるいは幻想的なものまで働かせるという違いが、バシュラールがその点で詩人により近く、しかし元は科学者であるだけに智慧と構造的な解釈で、老子、荘子のような道筋を発見する方法を選んでいるのです。
この方法は知識だけでは捉えることの出来ない道筋を、それは「空(くう)」の中に埋もれて見えない存在なのですが、量子力学者達がそこにあるものを信じて追求し、最後には思わぬものを発掘するようなものです。

それと同じようでいて、これは老荘のダオではなくて、空海の建てた宇宙の根源図なのですが、この識、すなわち識別と地・水・火・風・空の五大の根源的なものとの関わりから、六大構図の解釈の上に現代世界の情況が映し出されるとするなら、それを展開することによってわれわれの意図するものが達成されることになる筈なのです。

空海は「般若心経」以来の智慧を根底にして、宇宙と人間との全的関係を、空海が持つ哲学的直観によって透視していたのでしょう。それは知識を土台とするシステムによる簡易化とは違って、その複雑性の中に正しい筋道を通ることによって大事なものが漏れない方法なのです。
凝縮する方法、拡大する筋道、1点に集結すべきもの、横に配列すべきもの、周期的に現れるもの、すべては直観によってそれらのものが構図化され配置されるのです。

このようにして、心臓から頭部が、鰓から腕と手が、骨盤から脚と膝と足が生じる以前の、身体の根源的な要素と、地、水,火、風、空の「五大」の自然的素材とが空想的な関わりを演じること。
それはちょうどバシュラールの著書[火の精神分析」「水と夢」「空と夢」「大地と意志の夢想」「大地と休息の夢想」「空間の詩学」「夢想の詩学」「蝋燭の焔」「火の詩学」に描かれていたようなことが表出されることを望んでもいるのです。
バシュラールにとって想像されたイメージとは、常識的な想像力とは違って、それを否曲する能力でもあり、イメージの変化や、思いがけない出会いが生じる種類のものでもあるのです。
だが、バッシュラールは何故「風」については考えを提供しなかったのだろうか。しかし、禅宗の六祖恵能は「風」に対しては名言を残している。「風が動くのではない、自分が動いているのだ」と。

これらの事を演じるためには、からだのどこで、演じたらいいのだろうか。身体が演じる重要な技術要素は、表立っては呼吸と筋肉の使い方にあるのは確かだが、躰の内部の表現としては、天向っては五臟の「五」の働きが、地のエネルギーとしては、関係する六腑の「六」の働きが、それぞれ「横に配列するもの」の特性を呼びこんで、空想的次元に運ばれるのだが、それはただの空想でなく、「実」になるものを幻想的に呼び起すことによって、「真相」に向って可能性が開かれる筈なのです。

他律神経が外に向うときは運動神経で,内に向う時は知覚神経です。
そして自律神経は内臓と細胞と腺とに結びついているのだが、その連結した部分を興奮させる方を交感神経、安定させる方を副交感神経という。
そしてこの2つの自律神経を支配しているのが “白血球”でることが、西洋医学の「免疫学」で最近証明されたことです。

身体を上・中・下の三つに分けて、その各々の中心を“三焦(三つのセンター)”と称し、それが全身でなく、前述したような躯幹だけに凝縮したばあいも、同様に“三焦”と称し、同じように「神・気・精」の根源的な意味を持たせている。

そしてこの“白血球”の働きの場は、この“気”が支配する芸術の感覚,感情の情緒的な変化に及ぶ。全身の身体内部に気の働きが化学的変化をつくって表現に及ぶもので、そこでホルモンやリンパの働きが重要になってくるのです。ホルモンというと視床下部の脳下錐体や甲状腺ホルモン、副腎ホルモンなどが推測されるでしょうが、血管内の白血球と体表に帯をなしているリンパ腺と同質のものであることを、ここで先ず確認する必要があります。

白血球には、マクロファージ、顆粒球、リンパ球の三種類があります。無脊椎動物の時代までは、マクロファージだけだったのですが、その後機能が分化して顆粒とリンパ球に分化し、そのリンパ球が血管から体表に出るに及んで、免疫力の他に、東洋医学の“気”の分野と筋肉との間を取り持つはたらきをしていることに最近気付いたのですが、他にも感情の表出等の働きにも微妙な役割りを演じているように見受けられます。

38億年前、海中から陸に向った最初の生物は、当時の陸上の無酸素状態の中では体内の糖をエネルギに変換して、分裂して生きていた。この糖のグルタミンをエネルギーに変え,分裂して生きていた生物を「解糖系の生物」という。
その後、地球上に植物が発生して酸素が空中に混入してから、その酸素を使ってエネルギーを生成するミトコンドリアという、これも分裂して生きる「ミトコンドリア系の生物」も出来たのです。
そして人間のばあいのは、この他生物である微細な「ミトコンドリア系の生物」を自分の細胞の中に寄生させ、この「解糖系」と「ミトコンドリア系」の2つの細胞のエネルギーで生活して行くわけなのです。

そして、外部生活空間では、空気中にある炭酸ガスを使って光合成して糖をつくり老廃物として酸素を放出する植物とはたいへん親睦な間柄となって、植物が放出した酸素を鼻から吸って人間は生活しているのです。

その植物の“根源”は「葉」で、植物は秋になって葉が枯れて枝になり、春になると枝先に芽が出て花が咲き、そして花が散って「葉」が残るのです。これが「自己組織化」の1課程で、それを毎年繰り返しながら成長し、周りの自然環境のすべての生き物に幸せを与え、生活を安楽にし、美を感じさせるのです。

第2部のこれらとは違って、第1部のウィンメルテンの音に対する解釈はこれから始まります。