Thursday, May 20, 2010

マイムとパントマイムの違い


アルトー館第一回公演のカタログにマイムの歴史を私が書いているのですが、ざっと説明すると、それはアリストテレスの『詩論』の芸術論の定義「現実の根源を知るために、虚の場において実を真似または模写すること」の定義の中核をなすミメーシス(真似すること)から始まり、ローマ時代になってからは、mimeまたはpantomimeの2つの呼称が演者自身か、あるいは観るものからその内容によって交互に代って呼称されたのです。

panvitanという薬がありましたが、それはpan-vitaminを略したもので「すべてのヴィタミンを含んでいる」ことを示しています。panはpantoで「すべて」です。それでmime(真似する演技)もpantomime(すべてを真似する)も同じなのです。

つまり前にやっていた人たちのマイムと違うようにやるばあい、俺のやっているのはパントマイムだと言うわけです。
ルネサンス時代のコメディア デラルテのあと、19世紀後半あたりからパントマイムが衰弱し、フランスの女流作家のコレットあたりが最後のパントマイム役者だったでしょう。

それでもドゥクルーがあたらしく自分のやるものは近代マイムだと宣言してマイムと称するまでは、つまりその直前のアルトーの時代には、彼のばあいは根源的な動きの動作(つまり日本の民族芸能の原初の模擬的しぐさ)でもパントマイムと言わざるを得なかったでしょう。

そしてドゥクルーの弟子のマルソーが独自につくったスタイルを今度はマルソーがパントマイムと自称したのです。
それ以来、今はマイムというと芸術的なもので、パントマイムというとポピュラーな感じを持つようになったのです

しかし、このマイムの歴史の中で、いちばん過激で観衆の人気を呼んだのはローマの“マイムダンス”
だったようです。それと対立するのは中世の教会の神秘劇でしょう。これはほとんどマイム劇
です。

要するに、アルトーは演劇、ダンスの根源としてマイム(アルトーの時代はパントマイムと言った)を考えていたのでしょう。
原初のミメーシスから分離したダンスもパントマイムも演劇も根源的なものを失っているということです。
能楽の出発の“猿楽”も、あれは猿真似でなく、“実”を“虚”の場でミメーシスしたことでしょう。


1 comment:

Unknown said...

猿楽は散楽が訛ってそのようになったものとも聞きます。散楽は大陸から来ました。その基はシルクロードを渡ってもたされたヘレニズム文化ともいいます。散楽は現在の能楽とは違う様々な要素がありましたが、その核となるものは「物真似」と呼ばれるマイム芸だったようです。室町期に「幽玄」という要素が入り現在はそちらのほうが能楽らしい、といった感じですが、実際は「物真似」を主とした表現がたくさん残っており、その表現もとても豊かなものだと感じております。
能楽「“実”を“虚”の場でミメーシスしたこと」という言葉がとても納得でき思わずコメントさせて頂いています。コーポリアルマイムと能楽の共通点てそこにありますね。