Thursday, May 20, 2010

マイムとパントマイムの違い


アルトー館第一回公演のカタログにマイムの歴史を私が書いているのですが、ざっと説明すると、それはアリストテレスの『詩論』の芸術論の定義「現実の根源を知るために、虚の場において実を真似または模写すること」の定義の中核をなすミメーシス(真似すること)から始まり、ローマ時代になってからは、mimeまたはpantomimeの2つの呼称が演者自身か、あるいは観るものからその内容によって交互に代って呼称されたのです。

panvitanという薬がありましたが、それはpan-vitaminを略したもので「すべてのヴィタミンを含んでいる」ことを示しています。panはpantoで「すべて」です。それでmime(真似する演技)もpantomime(すべてを真似する)も同じなのです。

つまり前にやっていた人たちのマイムと違うようにやるばあい、俺のやっているのはパントマイムだと言うわけです。
ルネサンス時代のコメディア デラルテのあと、19世紀後半あたりからパントマイムが衰弱し、フランスの女流作家のコレットあたりが最後のパントマイム役者だったでしょう。

それでもドゥクルーがあたらしく自分のやるものは近代マイムだと宣言してマイムと称するまでは、つまりその直前のアルトーの時代には、彼のばあいは根源的な動きの動作(つまり日本の民族芸能の原初の模擬的しぐさ)でもパントマイムと言わざるを得なかったでしょう。

そしてドゥクルーの弟子のマルソーが独自につくったスタイルを今度はマルソーがパントマイムと自称したのです。
それ以来、今はマイムというと芸術的なもので、パントマイムというとポピュラーな感じを持つようになったのです

しかし、このマイムの歴史の中で、いちばん過激で観衆の人気を呼んだのはローマの“マイムダンス”
だったようです。それと対立するのは中世の教会の神秘劇でしょう。これはほとんどマイム劇
です。

要するに、アルトーは演劇、ダンスの根源としてマイム(アルトーの時代はパントマイムと言った)を考えていたのでしょう。
原初のミメーシスから分離したダンスもパントマイムも演劇も根源的なものを失っているということです。
能楽の出発の“猿楽”も、あれは猿真似でなく、“実”を“虚”の場でミメーシスしたことでしょう。


マイム

アルトー館第一回公演のカタログにマイムの歴史を私が書いているのですが、ざっと説明すると、それはアリストテレスの『詩論』の芸術論の定義「現実の根源を知るために、虚の場において実を真似または模写すること」の定義の中核をなすミメーシス(真似すること)から始まり、ローマ時代になってからは、mimeまたはpantomimeの2つの呼称が演者自身か、あるいは観るものからその内容によって交互に代って呼称されたのです。

panvitanという薬がありましたが、それはpan-vitaminを略したもので「すべてのヴィタミンを含んでいる」ことを示しています。panはpantoで「すべて」です。それでmime(真似する演技)もpantomime(すべてを真似する)も同じなのです。

つまり前にやっていた人たちのマイムと違うようにやるばあい、俺のやっているのはパントマイムだと言うわけです。
ルネサンス時代のコメディア デラルテのあと、19世紀後半あたりからパントマイムが衰弱し、フランスの女流作家のコレットあたりが最後のパントマイム役者だったでしょう。

それでもドゥクルーがあたらしく自分のやるものは近代マイムだと宣言してマイムと称するまでは、つまりその直前のアルトーの時代には、彼のばあいは根源的な動きの動作(つまり日本の民族芸能の原初の模擬的しぐさ)でもパントマイムと言わざるを得なかったでしょう。

そしてドゥクルーの弟子のマルソーが独自につくったスタイルを今度はマルソーがパントマイムと自称したのです。
それ以来、今はマイムというと芸術的なもので、パントマイムというとポピュラーな感じを持つようになったのです

しかし、このマイムの歴史の中で、いちばん過激で観衆の人気を呼んだのはローマの“マイムダンス”
だったようです。それと対立するのは中世の教会の神秘劇でしょう。これはほとんどマイム劇
です。

要するに、アルトーは演劇、ダンスの根源としてマイム(アルトーの時代はパントマイムと言った)を考えていたのでしょう。
その根源的なミメーシスから分離したダンスもパントマイムも根源的なものを失っているということです。

Monday, November 23, 2009

豊島重之氏の『マウストmouthed』公演


空海の中心的な思想「身・口・意」は、からだ、ことば、こころの三つが人間のこの世の人間の生活の様体を作り出している元である、ことを提示しています。
豊島氏のこの演劇は、この“口(マウス)”の言語表現のことばを、読むことでなく、聞くことから始まって、その対比として植物と動物と人間性の絡み合う系譜の断面を、フラクタルに描いている身体の“足の裏“から、視覚的にからだの上部へと光を投射し、演技者のアチチュード(固定した様態)の中に“意”のこころの内を辿って存在の真意をさぐっています。

そして、豊島氏のこの演劇では、ことばを外に向けるのではなく内側に入っている。各々の俳優は自然的な発話なのだが、それは人に聞かせるためでなく、かすかに自分にしか聞こえない頭の中の暗闇から糸をたぐってはつなげて言語として意識化したもの、まだ発声されて有声になる前の無声の声を聞きながら話している。
ということは俳優は、矢野静明氏の書いた文を読むのではなく、自分の頭脳の“泥丸”からはじめて意識化されて出てきたような無声のことばを聞いて、それをひとりごとのように話しながら頭で理性的に確認しているのである。そして観客は矢野氏の書いた文を読むのではなく、そのような過程で聞くことになる。

なぜ、このような面倒な周り道をとらなければならないのか。なぜいつも地面を踏みつけている足の裏を感じなければいけないのか。
それは、これまで眼の明晰な意識と論理と理性に支配されてきた文化というものを、体内の五官が絡みあった細密な次元で、視覚を内側に向けて関わらせ、その明晰な明るさを曇らせたいからである。そしてその時、耳の聴覚がとらえる波長の旋律が隣り合っていることを知るのである。 


事柄の真実、または誠実を求めることは、“意”の生命的なものの奥をさぐることにある。いわば「存在とは何か」に付属するもの。
現実の表面の様相の奥にひそむ“真”をさぐるのは、芸術の“美”を求めるのと同等の役割だ、と歴史は伝えているように思われる。それらのことはアリストテレスの『詩論』の“実”の世界を“虚”のステージに「ミメーシス(真似または模写する)」することによって“真”を見出し、また観る者は感情的にドラマに同化して「カタルシス」の作用を起し、自身を振りかえることによって内部の広がりを得る。
そてとカントの『判断力批判」においては“美”の最高のものとして「崇高美」を挙げている。
  
この存在の真意をさぐる作用として、芸術の近代の歴史はムーブマンからジェスト、そしてアチチュードへと向かいつつある。これは演劇、ダンス、音楽、美術のすべてに亘ってのことのようです。
近代劇の出来事を追った数を基本とする三幕、五幕、あるいは序破急のムーブマンのながれ。
それに対して、ベンヤミンはブレヒトの演劇をジェストの演劇と評した。資本家とプロレタリアが持つ、衣装と動作のがちいに中心を置いている。いわゆるモダンのスタイルはジェストである。

西洋の近代とは違った意味で、日本の古典の能はムーブマンの演劇で、歌舞伎はジェストの演劇である。
それらに比してこの豊島氏の演劇は完全なアチチュードの演劇です。存在の真意を問うためには、このアチチュードの構造と数の配置が必要なのである。


この芝居の話題にのぼる丸山真男と滝口修造は、どちらも歴史的に誠実さをもって時代にいどんだ2人である。しかし歴史の洗いなおしにおいては、私の感じる限りでは、2人はイメージ的、観念的過ぎたのではなかろうか。歴史のつながりとして、というより歴史の穴埋めをするように、豊島氏が演劇のこの“虚”の場において提出する素材は、身体内部の臓器と細密に関わる眼と耳の問題である。食べ物を入れる口を通して、ことばだけでなく、目の働きも含めて外部から内部への方向性をとったのであろう。

そしてブルトンのシュールリアリズムの上に立った滝口修造の晩年の郷土への密着を肯定しているものの、ブルトンのリアリズム意識に反抗してグループを脱したアルトー、またブルトンに対立したバタイユ。あるいは眼と耳に迫ったベケット。声と触覚の問題に取り組んだデリダ。そして飽くまでも追求の筆と、彫刻の鑿を休めず、からだの中心線と宇宙との連結を求めつづけたジャコメッティ。それらが、この作劇の配置の内容を深めているように思われる。

公演終了後、鵜飼哲氏の黒田喜夫氏に関する地理的、風土的な別な角度からの話しがあり、公演内容とは関係がないように見えていながら、時間的ムーブマンからの見地から地理的、空間的、風土的な観点で観ることを暗示していた。
今の社会的、政治的な観点の傾向、それは『地中海』の歴史家ブローデルからはじまって、地勢学を基盤とする社会学のハーヴェイに至る線ではなかろうか。
それはまた、この豊島氏の重要な演劇のベースであり、現在豊島氏が関心を抱いている写真家の関口啓二氏のアイヌの痕跡を遡る仕事でもある。


ここで作品制作者をさらに検証してみよう。
私が気付かなかったことであるが、ブラージュという俳優が立つ“光面”に、ひとつ俳優の誰もその上に立たなかった時があると、演出家の豊島氏から告げられた。それはたしかに重要な意味をもつと思う。しかしそれよりも、それは4番目の展開の時だという。この4という数。それに8という数が豊島氏にとって大きな意味をもつようだ。
ということは、このアチュチュードの劇においては4と8が大きな転換の意味をなしているということだ。
チェーホフの劇が他の劇作がすべて3幕か5幕で書いている時代に彼だけが4幕の芝居を書いていた。豊島氏のばあい、このチェーホフの4の意味とは違うようだ。4より8の方に重きをおいているように思われる。そして、その8はヨーロッパのキャラクターの類別の8とも違うようにも思われる。これは私のひとつの宿題としておこう。

音響担当の作曲家根本忍氏の今回の作品は画期的な仕事である。マイクをスピーカーにしてステージの周辺を取り囲ませたということは、豊島氏の外に向うべき話術を内に向わせたことを
的確に演出している。このように、器材が人間のように演技するという設定は、私は始めて経験する驚きであった。

最後に、演技者について語ろう。
鷹司章伍という俳優、この公家の出かもしれない男性の“たおやか”な声が「主張しない演劇」を、観客の瞼を閉じらせたままはじめる。
大久保一恵、田島千征、秋山容子、高沢利栄の4人の女優は“光面”の場を交互に入れ替えて演じる。4箇所の“光面”の場は、同じく肩幅サイズで狭く、位置を移動するムーブマンをすることができない。殆ど固定したアチチュードをとって下から光線が身体を仰ぐかたちとなる。
また、時にはアチチュードが変じて、からだの一部が動いたり、表情がついたりのジェスとの状態となる。

私が思わず眼を見開いて見たのは、これは理論的には考えてはいたのだが、移動できない位置にいながらステージの上にムーブマンが見えるのである。ここではじめて、大文字のアチチュード(Atttitude)が、小文字のアチチュード(attitude)とジェスト(geste)とムーブマン
(mouvement)を含みもつことができたのである。





Saturday, October 31, 2009

かもめマシーン(12)

3)萩原氏の「かもめマシーン」


チェーホフの『かもめ』とハイナーミュラーの『ハムレットマシーン』との繋がりは、だいたい推測できたと思います。

が、果たしてそのような結びつきを考えた上で、萩原氏が「かもめマシーン」を自分の劇団名としたかどうか分かりません。

しかし、彼が上演した『家族』を観た限りでは、テキストを大切にしていると同時に、それを再現するにあたって、ハイナー・ミュラーやロバート・ウィルソンなどの手法を頭のどこかに置いていたように思われます。


ステージに配置する役者の幾何学的構図

舞台ぜんたいの方角的な使い方

断片化したセリフのやり取り

会話の論理的な進展と、突然の頓挫

沈黙の場の息使い

薄明の中に浮かぶ赤いランプの光

精神病者の言葉にならない声

ラジカセから聞こえる外部の音楽


『家族』は家庭劇ではあるが、家族間の交流は閉ざされていて、外界は空間的には遮断されているのに家族に死刑犯が生じたために、外界からの空気の圧力が強く、家族全員が死に隣接したいのちの淵に立たされている。

そのあたりがチェーホフの『かもめ』とハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン]がのぞく世界と共通したものがあるような気がします。


演劇は“実”から“虚”の世界へ踏み込むことですが、その踏み込む跳躍のエネルギーが演劇の歴史の上の世代によってそれぞれ違う。

1997年以降に演劇の世界に入った人たちは、それを軽やかに飛び越えているように見える。

それは虚の世界と実の世界が平面化したコンピュータ世代の特徴かとも思うが、サブカルチャーの動きのせいもあって、日本の風土がじかに身に付いて、芸術の「形式」において底辺から変革が行なわれつつあるような気がします。


最後に、前にも触れましたが、「集団」のつくり方が求められる時代になってきたように思います。それは、芝居づくりをする時の集団の力の配分と言ってもいいでしょう。演出についても、すでに独裁的な演出家の時代ではないような気がする。

もし天才的な演出家がいたとしても、一人の才能では間に合わないものが今は演劇に対して求められてきている。それは脚本、美術、映像、音楽のそれぞれが芝居の中心的な部分に入って来ることが要求されており、各部門がこれまでのような一人の演出家のスタッフとして協力すれば済む段階を越えてしまっている。

これまでの劇団づくりとスタッフへの依頼の時代から、緩やかな集団づくりと同時に、関連する学問、芸術分野の研究体制をこそ考慮すべき時代となったような気がします。

かもめマシーン(11)

2)ブレヒト/ハイナー・ミュラー/ウィルソン

『ユリイカ』の「ハイナー・ミュラー特集号」の中で、聞き手のペーター・フォン・ベッカーのインタヴューの冒頭の質問「あなたは折り触れておっしゃっていますね。あらゆる芸術は、自分の書いたものを含めて、死者の記憶である、と。」に対してハイナー・ミュラーは「ふむ」と応じた後、次のように語る。

「私が戯曲を読み始めたのは、 10か12の時。確か最初はヘッベルで、それからシラー、その後クライストとシェイクスピア。そこにして死者たちのダイアローグです。そしてどの時代でも戯曲というものは後に生まれるもの。まず叙情詩、叙事詩、それから散文。それはつまり、戯曲は前もって作られた素材を、源を頼みとするものだとも言える。最初の特殊な例外はチェーホフであり、家庭劇に限りますがストリンドベリとイブセン。」(本田雅也訳)

私はこの中にハイナー・ミュラーの『ハムレット/マシーン』の秘密のすべてが含まれていると思う。


ハイナー・ミュラーが『ハムレットマシーン』を書いたのは、マテリアルなもの(素材)を対称にしながら、戯曲の形式では多くの大切なものが漏れるので思い切って詩の形に凝縮して、それを元にどのような形式の演劇でも演じれるマシーンにつくり変えたのである。
それには、最も矛盾を含んだ、複雑なテキストとして彼の記憶の中に残っていたシェクスピアの『ハムレット」を素材として使うのが最良と考えたにちがいない。

そもそも戯曲は演じるがためにあるもの。アリストテレスの「ミメーシス」論によれば、現実の問題を解くため、虚の場を借りて仮に仕組みを建て、事を起して、見えなかった現実の事柄の底辺にあるものを掘り起こして見せるのである。そして観る者は、それを見て「カタルシス」を感じ、己れを浄化し、外に開く。
それは祭りにも準じる催し物だったのである。

その上演にあたっては、劇の仕組みとしての時間的、空間的構造が必要で、またいづれも「数」の問題が重要だったのです。
たとえば、時間であるなら、日本では序破急という三段階がある。幕仕立てなら三幕劇、またその中の山場の“破”の部分を、さらに序破急の三段階に分割して五幕劇にする。
それに対して、四幕劇に三の破綻の元を含ませて家庭劇をつくったチェーホフという作家はミュラーの言うように変わった作家だったのだ。

芸術家の創作とはいえ、しょせん頭の中の過去の歴史の記憶の組み合わせに過ぎないので、それは形式づくりの競争にすぎない、とミュラーは言う。
そして演劇のばあいは、時間的なストーリーにこだわり過ぎた結果、再演(現実を仮の虚のステージに模倣、再現する行為。 ミメーシス represantation )の中で演出家たちはその演出法に足掻いて来たのである。
その代表的な演出家とは、まずブレヒトであり、その影響を受けたフランスのブレヒティアンのロジェ・ブランション。同じくフランス人のヴィテーズとシェローたちであった。

東ベルリンの“ベルリーナ・アンサンブル”を率いるブレヒトをハイナー・ミュラーは尊敬していた。それを正統に受け継ぐ者として自らを任じてもいた。1970年、バルリーナ・アンサンブルの文芸部員となる。
しかし、ブレヒトの若い時の「マテリアル」の時代は納得できたが、スターリン体制下の東ベルリンに移動してからのブレヒトの作品については、その演出法と演技術の“異化効果”は別として、共産主義へのプロパガンダ的な“教育”向けの戯曲については肯んじなかった。
ブレヒトの友人のベンヤミンは、ブレヒトの演劇を「階級闘争を明確化する“ジェスチュア”の演劇である」と評していた。
それは京劇または歌舞伎に類似した、一般民衆にも明確にその社会的位置とキャラクターが了解できるような演技と舞台構成だった。

19777年にミュラーは『ハムレットマシーン』という作品を世に提出した。それはひとつのスキャンダルだった。この『ハムレットマシーン』をどのように演出するかが、世界の演劇界に与えられたテーマでもあった。
1979年に『ハムレットマシーン』はパリで自作『モーゼル銃』と合わせて初演されたのを皮切りに、幾多の演出家によって試みられた。1983年にミュラーはアメリカの演出家ロバート・ウィルソンと知り合う。
そして翌年の1984年、ウィルソンの『死・破壊そしてデトロイト1(DD&D1)につぐ大作『ザ・シヴィル・ウォーズ』ドイツ版のボッフム初演にテキストを提供。1986年にはミュラー自身から白羽の矢を向けられ、1988年に『ハムレットマシーン』はロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出される。東ドイツの国家賞を受賞。
そして1990年には、ドイツ座にて上演時間7時間半におよぶ『ハムレット/マシーン』をミュラー自ら演出する。またフランクフルトでは、ミュラーを17日間にわたって特集する<エクスペリメンタル6>が開催され、インタヴュー集『人類の孤独』が刊行される。そしてこの年10月3日に東西ドイツの統一が行なわれるのである。

ここでわれわれは、あのベルリンの壁のあった「鉄のカーテン」の時代に、このように自由に西側で自由に動いて仕事をしているハイナー・ミュラーという人間の不思議さを思う。
実際には、彼は東側のベルリンでは“ベルリーナ・アンサンブル”に籍を置いているものの、危険人物として作品を東側では発表することが出来なかったが.しかし西側でドルを稼ぐ人間として自由に「鉄のカーテン」を越えて出入することが出来たのである。

1990年にミュラーによって東ドイツのドイツ座で7時間半におよんで上演された『ハムレット/マシーン』(壁の崩壊と前後して構想されたこの公演『ハムレットマシーン』ではなく、『ハムレット/マシーン』となっている)は、本体の『ハムレット』をそのまま新解釈で上演し、進行する中程の、ハムレットがイギリスへ旅立つ場とオフェリアの狂乱の場の中間に『ハムレットマシーン』を挿入している。

それに対する1988年の、ロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出され『ハムレットマシーン』は、ウィルソンの質問に対して50分ぐらいが適当だろうとミューラーが応えたのだが、実際には上演が2時間半にも及んでいる。
それは最初、俳優の動きだけが振り付けされ、後からテクストが分割されて配分され、5つの場面のシークエンスがそのまま角度を変えて繰替えされるような、凝縮されたテキストをあらゆる面で拡散、拡大するような演出であった。

このようにして、上演不可能とされていた『ハムレットマシーン』がロバー『ト・ウィルソンによって(配置)と(イメージ)を主眼とした見事な静的ドラマツルギーが展開されたのだった。
ウィルソンはすでにフィル・グラスの音楽監督といっしょに1976年にオペラ『海辺のアインシュタイン』を上演していた。そして1995年、アメリカのテキサス州ヒューストンのアレイ劇場で『ハムレット ー独白』ウイルソン構成・演出・主演の一人芝居が上演された。
それはウィルソンのドラマツルギーとセノグラフィーの空間にハンス・ペーター・クーンの音の協力が加わったものだった。
その年の12月30日、ハイナー・ミュラーは癌に肺炎を併発し死去。


Thursday, October 29, 2009

かもめマシーン(10)

1)チェーホフのドラマツルギー

萩原雄太氏は『家族』では作家/演出家で、またプロジューサーでもあったが、ときには俳優の役を買って出ることもある。ただし役を演じるのは自分の「かもめマシーン」以外の他の劇団に依頼されたときである。じぶんの「かもめマシーン」の公演のときは彼は舞台には出ないそうだ。
以前、集団「たま」の公演のときには彼は俳優として出演していた。今度の『家族』の配役のなかに集団「たま」の中西彩華さんが出演しているのは、2劇団の交流を意味しているのだろう。

そのように萩原氏は多彩な才能を持っているのだが、本筋は劇作家ではないだろうか。ただ、書くだけの劇作家に止まることなく、演出構成を予測した描き方をする作家である。
それが新しいドラマツルギーの発生の傾向なので、戯曲の根幹としての「時間的な劇の流れ」としてのドラマツルギーから脱出した「空間的な場面構成」として演出法と密着する、新しい観点からのドラマツルギーである。

チェーホフは他の劇作家と違って、波乱を含んだ3幕、5幕の方式でなく、周期的な日常の循環性をベースにした4幕形式をとっているが、進行する機械(マシーン)の内側の微妙な軸のズレから土台柱が破損の道に向うかたちになっている。
とくに『かもめ』の劇進行においては、第三幕までの時間的な劇の流れのドラマツルギーとはちがって、第四幕は「空間的な場の構造」の新しいドラマツルギーへと変じている。そして現在の演劇・ダンス界のドラマツルギーへのフォーカスは、このチェーホフの作劇術を初原としているように思われるのです。

チェーホフの『かもめ』の演劇史においての重要な位置は、はじめての記念すべきモスクワ芸術座の成功というだけではない。次の『かもめ』第四幕での、ニーナのトレープレフに向ってのセリフにもあるようです。
「------ 今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくて、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよー だわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」(神西清訳)
このチェーホフの主調音が『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』へと変わることなく伝わってゆく。それがソヴィエ連邦の社会主義リアリズムの方針に折よく吸収されて行ったのだと思う。

演出と密着する、場面構成と場の構造の「新ドラマツルギー」はやがて「間テキスト」の方向へと向う。一人の作家の文章だけでなく、幾人かの作家の文章をコラージュする。まさしく、ことばが俳優からも、聞くものからも離れて中間に位置し、たがいに他のセルフと結びつきながら自動的にすすんでゆく。この方法は豊島重之、イエリネク、ロバート・ウィルソンなどが使用している方法である。

私はここで言っている「新ドラマツルギー」というのは、かっての作劇術の意味とは違うもので、具体的に演出と溶け合ったかたちで構成を重要視する。劇作家が突出した、今の時代の傾向を指している。
それはかってパトリス・シェローなどが美術家の援助のもとに、歌舞伎的なステージの転位を行なって観客を驚かした「セノグラフィー」につぐ動きである。
つまり、ピラミッド型の演出独裁の時代ではなくなりつつあるのだ。
このあたりを理解するには、ブレヒトからウィルソン、ハイナー・ミュラーにかけての演出上の経緯を述べなくてはいけないのでしょう。
どうも今日一日では纏められなかったようです。



Wednesday, October 28, 2009

かもめマシーン(9)

最初、私は「かもめマシーン」というグループは普通の劇団なのかと思っていた。
その代表が萩原雄太氏だと思っていたのでした。ところが劇団と名乗っているものの正規の団員は萩原氏一人しかいないというのです。つまり、萩原氏がスタッフとか俳優を一人でかき集めて、自分の書いた作品を演出しているプロジュース・システムの仮の劇団システムなのです。
それで公演チラシの裏に<公演主宰者募集>の欄など載せている。またその下には<脚本公開>の欄もあって今作の脚本をwebにて公開します。読んでから来るもよし、来てから読むもよし、来ないで読むもよし。 
ぜひご欄下さい! とある。

ところが、その作/演出 萩原雄太 かもめマシーン『家族』の観想・批評をこのブログで10回に亘って書きつづける積もりなのですが、私は今になってもまだその脚本を読んでいないのです。その芝居を観たまま書きつづける内に、だいぶ台本の筋と食い違って理解しているような感触を持ちつつあるのだが、あえて私なりの考えがあって、観て聴いた限りでの観想・批評を述べつづけているわけです。それもこの今日の9回の後の、明日のブログで最終回にしたい。

それで、萩原氏のプロジュース・システムのことだが、今はそういう時代なのかと知ったと同時に、その方が面倒が起こらず、じぶんが思った通りに事が運べるだろうな、と気付かされたのでした。そういえば、ヤン・ファーブルの芝居づくりもその形態を取っている。
でも常住のマネージメント・ディレクターを抱えているし、最初募集した中からこれはと思った女優は今でも出演している。

劇団というものは、なかなか経営の維持が大変だし、団員を抱えていると人間関係が厄介で、とかく問題が起こり易く、そこから内部分裂が始まることが多い。個人の意見というものは、本人が有名ならば、納得してそれに従う人も出てくるのでしょうが、強引に自分の意志を通すためにはこのプロデュース・システムがいいのかもしれない。

「かもめ・マシーン」という名前からは当然チェーホフの『かもめ」とハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』を思い起すことでしょう。
萩原氏の芝居への道は『かもめ』から始まったようです。それに“マシーン”を付けた理由は、その後ハイナー・ミュラーの影響があってのことのようです。そしてチェーホフとハイナー・ミュラーとの間には創作の上でひとつの繋がりを見い出せる。

「かもめ」は単に最初にやった脚本だからという理由だけでしょうか。そもそも最初にそれを選んだ理由、それに萩原氏が惹かれた理由があったのでしょう。それとハイナー・ミュラーの「マシーン」というもの。その繋がりが今度の萩原氏の『家族」という芝居の演出を観察すると理解できるような気がします。

チェーホフの四大戯曲の中でもこの最初の作品『かもめ』は同じ四幕仕立てですが、いちばん矛盾を抱え込んだ作品だと思います。そして同じシェークスピアの作品の中でも『ハムレット』は、よく読んでみるといちばん分かり憎い面を持っていますが、そこが似ています。
ハイナー・ミュラーが『ハムレット・マシーン』という作品をつくった理由がそこにあるのですが、萩原氏が「かもめ・マシーン」というプロジェクト・システムをつくって、今後彼の作品を上演して行こうとする意図がそこにあるようです。

次のブログで、この萩原雄太氏の「かもめ・マシーン」の特徴を、私なりに箇条書きに記してみます。


Tuesday, September 08, 2009

かもめマシーン(8)

そろそろ、この辺りでこの『家族』の公演批評の結論に近づきたいと思います。
それには先ず“かもめマシーン”という劇団名(劇団員は萩原雄太さんだけで、その都度、プロジュースシステム方式によって演技者、スタッフを選択して公演を行なったいるようですが)から始めた方がいいような気がします。

この中の“かもめ”はチェーホフの戯曲『かもめ』からとったようです。
チェーホフの四大劇はすべて四幕で出来ています。その中で最初の作品である『かもめ』はいちばん演出の上で困難を極めた作品で、その原因は4の中に3の要素を多分に含み持っているからに相違ありません。モスクワ芸術座がこの作品を見事に成功させた記念すべき公演の記憶をその後も保つため、かもめのマークをモスクワ芸術座の座章としたほどです。

チェーホフの四大劇はすべて循環する、自然的な時間の流れの上に立っています。しかしこの『かもめ』の若い作家志望の主人公トレパーノフは、領地内の湖を望む一角に仮のステ−ジを設置し、湖面をバックに自作の実験的な上演を試みます。
観客といえば、ごく身近な人たちで、日常の循環的時間の中に安住している家族と、それを取り巻く一群の人ばかりです。

劇の内容は、もはや生き物が絶えた20万年後の地球の有様を、恋人ニーナのナレーションと鬼火と硫黄の匂いの効果によってイメージ演劇を現前させる意図を持つものです。
ト書きには以下のように書かれています。
(幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐っている。)
ニーナはナレーションを始まる。「人の、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、水に棲む無音の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、-----もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火(あかり)をともしている。----- -----」(神西清訳 以下同)

ところが、有名女優の母親のアルカジーナはそれを観て、小声で「なんだかデカダンじみてるね。」などとチャチャを入れるし、他の観ている人達も乗ってこない。作者のトレープレフは遂に我慢できず、芝居の途中で幕を降ろしてしまう。

その後、女優志望のニーナはトレープレフから離れ、アルカジーナと同伴していた流行作家のトリゴーリンに惹かれ、彼を追ってこの地を発つ。そして結局はトリゴーリンに子を産まされ捨てられる。噂では彼女にとって俳優の道はなかなか厳しく、いまは地方公演で巡業中だという。

第一幕から2年後の最終幕では、作家となってトレープレフは仕事部屋で一人作品について思案している。と、デスクの最寄りの窓を、誰かが叩くのを聞く。ガラス戸を開けて、夜の庭を覗くと、誰か石段を駈け降りる姿を見る。ニーナだった。急いで連れもどして部屋にかえり、久し振りに会う2人の感動した会話が交わされるが、やがて奥の間にアルカジーナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて帰り急いだ時の、次のセリフを下に記す。
「------わたしは楽しく、喜び勇んで演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き廻って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。------今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたののではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよーだわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」
しかし、トレープレフは自分の信念が持てず、何が自分の使命なのか分からない、混沌とした状態にある。
ニーナはじぶんを捨てたトリゴーリンのことをまだ愛していることを口走り、さらに2年前のトレープレフとの“晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活”を懐かしみ、ながながと2年前のトレープレフの芝居の最初のナレーションを朗読して後、発作的にトレープレフを抱いたあと、ガラス戸から走り出る。

私は前述のニーナの最後のセリフの内容とフランスの思想家アランとそれを継ぐシモーヌ・ヴェイユの「人間は決してあきらめてはいけない。他人を信頼すること。ねばり強く努力して生きること。」のモットーとの類似を知って驚いている。
チェーホフのこのセリフの主調は、この『かもめ』の後につづく『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』にも流れる。

スターリン時代からの社会主義リアリズムにゴーリキーといっしょにチェーホフの戯曲が受け入れられたのは分かるような気がする。しかしドストエフスキやメイエルホリドが排除されたようにこの『かもめ』のトレープレフが否定的に解釈されることが残念である。
そこに「かもめマシーン」の“マシーン”の解釈の意味が浮上してくる。















Tuesday, August 18, 2009

かもめマシーン(7)

前回、「家族」の演出と能の形式との、本質的なところでの類似について気がついたまま述べましたが、じっさいには演出家の萩原氏が世阿弥、あるいは能楽そのものに関心を抱いているかどうか、私は知らないのです。
しかし、世阿弥の演出論においては、とくに彼が得意とする「夢幻能」においては、ギリシャ劇のように人間の運命をテーマとし、また作品を上演する演出上においては、その時代の空気、上演される場所の環境、その日の天候と客席その他の様相をつねに計算に入れいたということです。

その事は、当時の日本民族特有の、時間に対しての“易”、空間に対しての“風水”の配慮が演出術のなかに組み込まれていたと思うのです。それを基本に宇宙的な張りのある空気の波動と、劇の進行につれて調和が崩れてゆくことをバランスによって何とか支えようとする、その根底の“原理”と、それにまつわるテーマの最終的な筋道としての“真理”というものを求める人間の姿勢。それを描くための能楽の手法を観阿弥、世阿弥父子は求めつづけたのでしょう。

この室町時代につくり上げられて、日本の伝統としてこれまで受け継がれてきた能楽とこの「家族」の作品と演出法とが、どこかに連結したものを感じられる、ということがこの私の批評の中心テーマでした。
今日は昨日につづいて、さらに類似点を2つ挙げてそのことを強調したいと思います。

世阿弥は彼の論書「花鏡」の中で“せぬ所が面白き”という巧いことばを使っています。
 「見所の批判に云う、“せぬ所が面白き”など云事あり。是は、為手の秘する所の安心なり。まづ、二曲を初めとして、立ちはたらき・物まねの色々、ことごとくみな身になす態(わざ)也。せぬ所と申すは、そのひまなり。このせぬひまは何とも面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞いやむひま、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々のひまひまに、心を捨てずして、用心を持つ内心(ないしん)也。此の内心の感、外に匂面白きなり。」
萩原氏の演出においても、各場面でのセリフの終わり方、照明と音のフェイドアウトの“ひま”、その間(マ)の時間的な配慮に、私はこの世阿弥の演出意図を汲むことができ、その“内心”の面白さを充分に堪能することができたのです。

そして世阿弥の文は続きます。「かやうなれども、此の内心ありと、よそに見えては悪かるべし。もし見えば、それは態(わざ)になるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す安心にて、せぬひまの前後をつなぐべし。是則ち、万能を一心にてつなぐ感力(かんりき)也。」とあります。
充分に意を使って行ないながら、そのこころが無心であるため、何げなくつなげているように見える。それを「内心」と云っているのでしょう。

もう一つ。この劇の中で2度ほど、高度の認知症なのか精神病者なのか分からないのですが、母親の役がことばにならない、うめきに似た音の羅列をえんえんと発しながら室内を徘徊すします。
世阿弥のいわゆる四番目物として「狂女」の出し物があります。この「物狂い」について世阿弥は以下のように述べています。
「此の道の第一の面白づくりの芸能なり。(中略)夫に捨てられ、妻に後(おく)るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。よき程の為手(して)も、ここを心に分けずして、ただ一遍に狂ひはたらくほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂をば、いかにも気色を本意にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入て狂へば、感も面白き見所も、定めてあるべし。」

この狂女の例も、前述の“せぬ所が面白き”も、私が思うのには、その底に「無」があってこそなのです。先のブログで世阿弥の禅宗との関わりを述べましたが、世阿弥は足利義満から義教の代になってからは不遇の立場に追われます。
そして曹洞の竹窓智厳の門に入り、60歳になって出家します。曹洞宗の家に生まれ、臨済宗の五山を統率する将軍義満の庇護を受けて後、ふたたび曹洞宗に帰ったことになります。

私がここで云いたいのは、同じ禅宗でも臨済宗と曹洞宗では「無」の捉え方が違うということです。これはこの批評の本筋ではないので、ここでは詳しく述べませんが、しかし重要なことです。
道元と良寛は曹洞宗で、一休と利休は臨済宗です。一休、利休がつくった茶道と世阿弥の能楽との差異は、「無」への対処法から来ているのでしょう。それは両者の座禅の仕方に表れています。