Wednesday, December 05, 2007

演出意図(2)

先のブログで[肉体]と[形態]ということばが出てきた。そのことばが出てきた背後に表現としての[舞踏]と学問としての[形態学]がある。
舞踏は神秘主義と生命哲学をベースに、モダンダンスやコンテンポラリーダンスの<ムーブメント>に対して、<アチチュード>を表現形態の基本としている。形態学は医学・生物学の身体と器官のフォルムを対象とする“差異”の比較から始まったものである。元は“人類学”で、分科系の“文化人類学”に対して“差異人類学”ともいった。やがて計測の対象が身体から顔面に向い、また内部は内蔵から大脳に移動した。それがユングなどの影響によって「心理形態学」「唯脳主義」となり、それらをより表出するものとして「顔面表情」が注目されている。ここで、能楽の「面(おもて)」の表情・キャラクターから始まる表現形式があらためて見直されなくてはいけない。

ここで社会学者コントの学説の宇宙的世界/形而上学の世界/リアリズムの世界から敷衍した、古典演劇の宏大な空間の中にいる表現/形而上の空間を感じさせる点と線と角度の幾何学的表現/皮膚と接触と感覚を基盤にするリアリズム表現を思い起していただきたい。
そして、この3つの世界の下部にラカンのいう想像界/象徴界/現実界がどのような位置を占めて交錯しているかが問題なのである。

映像はイメージである。それはラカンのいう想像界に属すると同時に、「実と虚」の“虚”に属する。だが、カメラで対象を写すカメラマンの行為は“実”である。
加藤英弘のつくった映像の、胎蔵マンダラと金剛界マンダラは、虚でありながらこの世界の実像を両面から伝えようとしている。

美術、音楽、舞伎については、次回に記します。

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