最初、この劇場の天井の高さと客席の狭さに戸惑った。
しかし、今じぶんの考えている日本の芸能の本質的な流れを、その空間形式によって試みることができるのではないか、と思ったのです。
私は、日本の伝統芸能のうち茶道を第一と考えています。それは禅の教えを基本とし、建築、華道、能楽、絵画、書、庭園、香りと食の道など、生活を基盤とした総合芸術である。
そこには主人の招きによって客人は参加し、なんらかの実世界にはない“ゆとり”と“精神性”を得て帰るのです。これには客席が少ない方がいい。
茶道の動作は能楽からきている。出演者の精神性が同じように求められる。場面の配列は、出だしの瀧と影の部分を一番目ものの「脇能」(全員)として、二番目ものは「修羅」(山下浩人)、三番目の「女もの」は「女面」(村田みほ子)とした。四番目は「狂女」(浅沼尚子)、五番目の「切能」は「切り」(及川廣信)とした。
演技形式に関しては舞踏の“アチチュード”に対して“ジェスチャー”部門を強調し、肉体の枠から逸脱する演技空間と、面からはじまる身体的表情を重要視した。ダンスの種別は舞踏と区別するため、あえて歌舞伎から歌を除いた“舞妓(ブギ)”とした。
天井の高さは歌舞伎的仕組みで工作し、場所の意味性を移動させることに務めた。「実と虚」の問題、“おくのほそみち”、舞台設定案とこれらの問題は、最初大串孝二から提案されたものである。大串孝二は、ほかに鐘の実音も演奏し、天井裏にて外部空間を演技者として受け持った。
音響の弦間隆は、スピーカーを上に向け、壁に反射させて空中に音響の渦を巻かせ、客席からそれを間接的に聴く音響構成をとった。
照明の坂本明浩は、光と影を精神性の問題として表現し、電燈のほんのりとした色合いから、場面々々の状態を色と捉え、白光の太陽の光りで宇宙の広がりを感じさせる構成をした。
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