Wednesday, February 06, 2008

ジョン・ケージとカニングハム

ジョン・ケージとカニングハムはほとんど同じ思想を持っていた。思想と言っても観念的なものでなく、生きることに結びついて、そのまま彼らの芸術活動の芯になっていたものである。
あれだけ永いあいだ、いっしょに仕事をしていて2人は一度も言い争ったことがない、という。
私は2人の本は読んだことはあるが、実際には会ったことはない。ただ、ヴィデオで観たかぎりでは、考えは同調したのだろうが、性格が全く違うようだ。たぶん互いに相手の才能を尊敬していたのだと思う。
カニングハイムが、最初シアトルのコーニッシュ・スクールという芸術学院に在籍していたとき、ダンスレッスンのピアノ伴奏をケージがやっていたのだ。
先に、カニングハムがマーサ・グレアム舞踊団に誘われて入団し、その数年後にケージがグレアムのところに現れたとき、直ぐに「2人でコンサートの準備をしよう」と言い出したそうだ。じっさい、ケージもインタビューで「カニングハムをグレアム舞踊団から去らせたのは自分だ」と言っている。

彼らの尊敬する人物は、ソロー、フラー、マクルーハンであった。ソローからは自然とアナーキーを、フラーとマクルーハンからは有用性(ユーティリティ)とネットワークを学んだ。ついでインドの東洋思想から東アジアの中国の荘子・易と日本の禅へと関心がすすむ。それが2人の創作方法にそのまま応用されて行ったのである。

不思議なことに、マース・カニングハム舞踊団のカニングハムの振付けと同舞踊団の音楽監督のジョン・ケージの音とは別々につくられ、平行して演じられた。いわゆる音楽をもとにしてダンスが振付けられるということはなかったのである。
カニングハムは空間の中のポジションと動きに、ジョン・ケージは音の調性とリズムを。また、カニングハムは内側からのエネルギーの連続を、ジョン・ケージは反復と沈黙をベースにしていた。

しかし、考えてみると、これは“偶然”をベースにしたハプニングから出発しているのである。

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