Wednesday, July 25, 2007

土方巽のこと

先日、舞踏の土方巽のことを本にまとめるため、資料や関係者へのインタビューを求めて来日した、アメリカのMITの助教授・ブルースさんに会った。そのあと、間に立っていた橋本さんからメールがあり、当日聞いて分からなかった部分を問いただしてきたので、それを含めて土方巽の自分の感じている本質的な部分を数行にまとめてメールすることにした。

土方巽とは舞踏発足前後の1950年代後半と、1967年の草月ホールでのアルトー館公演『ゲスラー/テル群論』のときにのみ直接関わっただけで、あとは大野一雄・慶人親子を通じての間接的な間柄だった。だが、彼の没後、長い間を置いて元藤燁子さんから依頼を受けて、アスベスト館の“アイコン”という教室のプラグラム作成に参加し、また実際にクラスを持って教えもした。これは“アイコン”の後半期に当たり、約5年ほどの期間だった。ところが、事情があって突然アスベスト館を売却し、閉館する羽目になったのである。そして、これまでの繋がりからアスベストの最後のお別れ公演『江戸マンダラ』の演出を私が受け持つた、という経過も持つ。

元藤燁子夫人はアスベスト閉館後も、若い舞踏家たちとエネルギッシュに関西や富山まで飛び回っていたが、残念なことに銀座資生堂ビルの中の新しいホール開設記念での連続出演中に突然この世を去った。その5日ほど前電話があり、踊りのことを熱心に語って、ぜひ公演を観に来てください、と進められていた。前日、遅くまでウイスキーを飲み、そのまま床に就いたのが永遠の眠りとなった。

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