Thursday, July 26, 2007

土方巽と“ねじり”

一口に舞踏と言っても、その表現の基底となっている“からだの在り方”は、土方巽、大野一雄、大野慶人、笠井叡、石井満隆のそれぞれが違っている。たとえば、舞踏の中心的な存在だった土方巽を例にとってみると、これは典型的な“しぼりの表現様式”が習慣的に固定してキャラクターにまでなっている。それは先ず“立ち方の構え”としては片方の足が前方を向いているとき、他方の足が爪先を内側にしてその前に置かれる。ここから“ねじれ”の方向に向おうとするのだが、胴体と頸、頭、また腕の“ねじれ”、さらに手首と指の“ねじれ”にまで及ぶ。またその上、この性向は空間的に膝を折り曲げての下への凝縮した押さえと、上部の天空への爪先立った拡張の表現が加わる。このイメージにぴったりするのが、ルネッサンスの古典形式から“ねじり”様式に転位するミケランジェロの彫刻である。

この分節した相互の肉体の反乱は、古典からバロックへ移動する際のマニエリスムの特徴で、1950年代後半から60年代の半ば過ぎまでのにも相応する時代特性だった。それが1967~69年の全共闘のピークの頃から70年代にかけては、身体自体から空間への広がりの中に散乱する、歌舞伎の世界にも似たバロック状態に入る。大駱駝艦が活動を開始する時代である。その様式はミケランジェロの晩期の、殆どバロック的な混乱を現す「最後の審判」を憶い起こさせる。

マニエリスムのもう一つの大きな特徴は、イコン=アイコンである。奥に潜む理念的なもの。寓意の働き。土方巽のばあい、“馬”がかれの理念であった。そのことを知ると、彼の踊りが理解できる。

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