Saturday, July 28, 2007

“へび”と炎

“ねじれ”が内側に向って深部に達したとき、そこには“へび”がとぐろを巻いている。また爆発寸前の炎が渦巻いている。このようなイメージは“神秘主義”の教義にあるが、じっさいには人間の内部も社会の動きも、そのような解釈で納得できる部分がある。
“へび”はエネルギーとスピーディなねじれ運動を暗示する。舞踏の中では笠井叡の踊りがそれに相応する。彼のばあい、姿勢(アチチュード)を主眼とし、跳躍をしないことを原則として出発した舞踏から個性的にはみ出さざるを得ない結果となり、現在では自分の踊りを“ダンス”と呼称している。

しかし、炎という意味では、土方巽の直系の弟子、石井満隆の踊りはそうだった。ここで「だった」と言わざるを得ないのは、彼はその後何段階かの変化、進展を経過し、もはや舞踏の枠内に留まれない部分もあるからだ。

また、時代的にいえば、1955年からはじまるいわゆる“55年体制”継続期間の、初期としての1950年代後半の時期は、“大人たち”の体制に抑えられていた若者たち(“怒れる若者たち”)が反逆の姿勢で立ち上がった時代である。それぞれタイプが違うが、三島由紀夫、石原慎太郎、土方巽などが青年として大人世界に対峙した時代である。そして、60年代はその炎が外に吹き荒れた時代で、さらに1967年の全共闘の激化から70年代に入っての赤軍派の浅間山荘事件があった1972年までの時期は、“へび”と炎が空間的に散乱した時代ということになろう。

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