Wednesday, January 16, 2008

ケイ・タケイの『ランチ』

ケイ・タケイは「今、思いだすこと・・・」の中で次のように語っている。
「ランチの創作に初めて入ったのは、ジュリアードの学生時代である。とても小さくて暗い北向きの窓が一つだけの部屋、その学生寮(インターナショナルハウス)の一室で私は何とも心晴れない日々を送っていた。そして、このベッドの上と、机とベッドの間の細長い空間が私のリハーサルルームであった。外へ出るのも明るいところに出てゆくのも嫌なそんな時期、しかし私には舞踊を志す親友たちがいた。チリのカルメン、ペリーのエルシーとノエミ、ウェルズのマール、彼らは私の発想や動きを“incredible(驚き)”といつも支えてくれた。『ランチ』のなかで私と共に動く女は、このカルメンであった。私は時々、カルメンのアパートへ行く。イーストサイドの貧しい地域、暗い生活を送る人々が集まるところだ。しかし、カルメンと私はこのアパートで踊った。夕方になると56丁目のウェストサイドにあった日本レストラン「ヒデ」にバイトに行く。そしてシーズンになると、カキをテーブルに運ぶのだ。ピカピカ白く光るカキの殻がお皿に残ると、私は嬉しくて、嬉しくて大急ぎでお盆にのせ、裏に運び懸命に集めた。そのカキの殻が『ランチ』の中で白くどこまでも続く細道になった。」

ケイがフルブライト留学生として渡米し、1969年にニューヨークで初めて上演して注目を浴びた作品、彼女がその説明に苦しんで“白昼夢のような”という、この舞踊演劇を観ることを私はながいこと待ち望んでいた。なぜなら、その作品を契機にその後70年代に入ってからの彼女は、アメリカの現代舞踊の最前線の5人のダンサーに選ばれたのだから。
他の4人のダンサーとは誰だろう。あえて彼女に問うてみなかったが、トリシャ・ブラウンとイヴォンヌ・レイナーについで、ローラ・ディーンとルシンダ・チャイルズだろうか、それともメレディス・モンクとトワイラ・サープなのだろうか。いづれにしろ、ケイはアメリカのポスト・モダンダンスの中心に位置を占めることになったのである。

幸いなことに、ケイのアメリカでのこのデビュー作『ランチ』を昨年2007年の12月29日、シアターXで観ることができた。ショックだった。“白昼夢”どころか恐ろしい衝撃だった。ケイが前もってそれを説明することができなかったように、私もブログでこのダンス劇を説明することができない。どうしてだろうか?
それは、あの1968〜9年という世界的な動乱の時を身をもって経験したものでなくては表出できないものであり、又その頃のアメリカと日本の生活の落差の狭間に放り込まれた一人の若い日本女性にしか描けないものである。

社会に生きるための衣をはぎ取られたままの孤独な女性の痛々しさと、ただひとつの支えとして心に燃えるダンスへの一途な熱意。ただ、それが直接的でなく、寓話的に一匹の猫と2人の女と、一人の男の昼食の場の会話を契機に、人が交わす無意識の流れと、社会の底辺にうごめく無意識と、猫の人間への変身とが同一平面に構成されてゆく。
シュールレアリスムの技法のパターン化をはずしているのだ。無意識がより細分化され、シュールと現実とが連結してシュール自体が現実なのだ。それが、まことに恐ろしい。
その恐ろしさが、あの時代と、ケイのあの頃に置かれた立場から遠く離れた今となっては、当時のアメリカの観客が受けた衝撃を感じれるかどうか疑問だ。
ただ、この『ランチ』があって、次の「ライト シリーズ」の作品に続くことで彼女のアメリカでの評価が決まったのだろう。

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