「触覚から空間へと飛翔するイメージング」
ー 矢野作品からゴッホ、アルトー、ウッチェロへとめぐる “現実の中の神話” ー
ー 矢野作品からゴッホ、アルトー、ウッチェロへとめぐる “現実の中の神話” ー
この作品は、平面→立体→現実空間→細分化 によって、日常の場そのものが
生体として動き始め、現実が即、神話であることを提示する。
「 ----- 私には、こんどこそ、
まさしく 今日のこの日に、
まさしく今、
この1947年2月というときに、
現実そのものが、
現実自体の神話が、神話的な現実そのものが、
とりこまれつつあるように思
とりこまれつつあるように思
われるからだ。」
(アントナン・アルトー「社会が自殺させた者」粟津則夫訳 筑摩書房)
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及川廣信の <演出ノート>
矢野さんの作品について、氏自身の説明を聞いているうちに、私のこころは、勝手にいろいろ幻想を呼び起こして行ったのです。その矢野さんの絵の、支持体としてのカンバスは、最初、一面に黒で塗り潰すことから始めた、というのです。その後、画面のちょうど真ん中に縦の線を入れたように、二の面を対立させ、筆の代わりに割り箸を使って、絵の具で色を点描しつづけ黒の地を埋めて行ったのです。カンバスの側面が黒く残存しているのはその証拠です。
カンバス上に点描された色面のどこかが偶然に結ばれ、プロセスして行く中に、色価が浮上し、パサージュの経路がつくられている。また予定のサインとして口や△や十字の方向性などが小さく記されてもいる。氏はこれらの制作中、絵の具が渇いた時点で手で触れては、また仕事を進めてゆくというのです。
画面が対立する抽象的な2面のうちに、アメリカの画家、バーネット・ニューマンの言うように、「理念的な作品」を狙っているのでしょうか、それともカントのいう「崇高美」を望んでいるのでしょうか。
そこのところがもう一つ理解できないのですが、それよりも矢野さんのその制作プロセスについては大いに刺激されるところがあって、私はこの矢野さんの絵画と平行させ、絵筆(矢野氏のばあいは割り箸)の代わりに身体の通路を使って、自然界の中の物と生物との関わりを描いてみたいと思ったのです。東洋の身体メソッドを使用して。
30年前のことですが、アルトー研究を通じて、豊島重之氏によって矢野氏との結びつきが出来たことを感謝するとともに、この試みが少しでも新たな価値を生み出すことを祈るのみです。
第1場 “中(ちゅう)する” ということ
“易経” に “中(ちゅう)する” という言葉が出て来ます。
私が矢野さんのこのニューマンから受け継いだと思われる、カンバスの画面を2分し対立させた画面構成から、自然的に“陰陽”の対比を思わざるを得なかったのです。というのは、アルトーとの接触以来、アルトーが当時予測したものを、東洋の身体メソッドによって証明することを義務づけられた、と自認しているからです。
“中(ちゅう)する”ということは、どういうことかというと、上の2分され対立する画面の間に通路を置いて、たとえば右サイドを開放的な意味を持つ“陽”とし、左サイドを凝縮した力を持つ“陰”とする。そして、その間を歩行するということは、この右サイドの“陽”と左サイドの“陰”から影響を受けざるを得ない、ということ。“易経” の“中(ちゅう)する”という意味は、自然の中に生かされているわれわれとしては、その時の周りの様相に的確な処置をとるべきだ、という事です。そして 、“中(ちゅう)する” という意味は、からだの中心線の重要さに対して、タオが “中(冲)脈” という言葉を使用するのと相通じるのです。
からだの重要な中心線上に背柱があり、その中に脊髄が通っている。そこの造血機能を持つ赤色脊髄は、“元(原)気”を所有する腎臓の指示を受け、“血液細胞”を産出しているのですが、空海によると、そこは宇宙と合一する「アー」の音で、色彩は「黒」なのです。インドの古代語であるサンスクリット語の「ア」は否定の意味を表わし、「ア」が接頭語として付くと、その後に続くものを否定することになる。それ故に「アー」はすべての現象を否定して、その奥に隠れている宇宙の中の根源的なものと合体することになる。その絶対なる真理を「本不生」という。
ここで、矢野さんが何故最初にカンバスに黒を塗ったか、の理由が釈明されるのです。その上、興味を持ったのは、矢野さんがゴッホの晩年の名作「黒い糸杉」のイメージを大切にしていることでした。
私のダンス作品の第1場は、日本の着物の帯が左右に敷かれた間を “中(ちゅう)する”ように歩いて行く役を、ゴッホの「黒い糸杉」に演じてもらうことにしました。植物である「黒い糸杉」はなぜ歩いてゆくのか。それは悪魔が退散した夜明けの4時ごろに、その黒い糸杉が 憤怒のため“青黒く” 変じ、「蔵王権現」のように怒りをこめて歩き出すのは、なぜか。
それは、人間の中心部である「植物性」が語る真実なので、ここにゲーテの 「葉」を“根源(ウル UR)” とする ”形態学”が絡んでくるのです。ゲーテの“根源(ウル UR)” なるものを代表する、植物の「葉」の意味するものは、果たして何なのか? それは「種子」のような時間的な起源とは違う。それを説明することに、大変な困難を要するのですが、植物が葉の葉脈を通じ化学的に自然との交流のバランスをとって生きてゆく、そのことが最初の易経が述べる “中(ちゅう)する” に相応するのでしょう。
では、人間の中心部にある植物性としての「黒い糸杉」が、なぜ青黒く怒りを込めて明け方に歩き出すのか。それを説明するためには、密教の「金剛界マンダラ」と吉野の「修験道」との関係を、以下に語るほかないのです。
修験道の聖地、吉野山蔵王堂に鎮座する蔵王権現は、恐ろしい神力を持つ。その怒りの形相と青黒い色で恐れられているが、この修験道独自の神も元を正せば、修験道と密教との深い繋がりによる「密教の構造とその教えの方法」に沿っているからです。
そもそも密教の中心的な仏は、釈迦から大日如来に変更していますが、それは変更というより、人間的な釈迦から宇宙の中の太陽を象徴する大日如来に昇華したと考えるべきでしょうが、一方、釈迦と大日如来との関係は、キリスト教のキリストと神との関係に似ています。
ただし、仏教の場合はそれより複雑で、仏身には次ぎの「三身」があるのです。つまり、釈迦が悟った真理が「大日如来」で、これは歴史的な人物というより「法・真理」なのです。ですから釈迦やキリストのように上から地上に「教え」のために応じて降りて来た「応身」ではなく、大日如来は「法身」なのです。そして仏身としてもう一人、阿弥陀さまがいます。阿弥陀さまは過去世において、この世の苦しんでいる人びとを救おうという願いをたてられた、その報いによって「報身」として加わったのです。
しかし、この顥教の「三身」の考えは、密教になると大日如来の太陽のシンボルの下に、東西南北を支配する金剛界の四仏に代わります。即ち、東の阿閦(あしゅく)如来、西の阿弥陀如来、北の宝生如来、南の不空成就如来です。
そして、この東の阿閦(あしゅく)如来は、けっして怒らないという誓いを立てた筈なのに青黒い顔をして、悪に対する「怒り」を表現しているのです。
密教は語り出すとなかなか複雑なので、今、目前の問題に添うために端的に述べさせてもらいますが、前述の修験道で大日如来の代理として崇拝されている“蔵王権現”は、この“阿閦(あしゅく)如来”の変身なのです。
この怒りというのは外部の悪に向うというより、本来は自分の心のなかの “貪”(どん、むさぼり)、“愼”(じん、憎しみ、いかり)、“痴”(ち、おろかさ)の「三悪」に向ってなのです。そして、本当は怒りと同時に、他人に対する暖かいゆとりもある心の、微笑みも同時に表わすべきなのです。
人間のからだの中の“樹”を表わすものは、「枝葉」につながる肝臓のはたらきと、眼の演技です。そこから歌舞伎の演技が参考になります。しかし樹が歩くとなると、道元の「山が動く」の難問を考慮せざるを得ないのです。これは先の“中(ちゅう)する” に通じるものです。
密教は、宇宙の原理と人間の実践修行の図を示すのに、胎蔵マンダラと金剛界マンダラの両マンダラを使用しています。この二つは対象的に解釈されていますが、歴史的には別々に創られたものです。胎蔵マンダラは“大日経を、金剛界マンダラは“金剛経”をそれぞれ教本としてつくられたものですが、胎蔵マンダラは「理」を、金剛界マンダラは「修行の実践」を意味しています。
そして、この両マンダラを通じて密教の趣旨が理解されるのですが、教えを説く如来と、それを聴く菩薩は表面的には地位が違うように見えますが、実は聞いている当人が説いている如来そのものでもある、という逆説が仕込まれてもいます。
顯教の禅宗では釈迦の両脇侍として扱われていた文殊菩薩と普賢菩薩が、大日如来の代理を務めたり、鬼神としての金剛薩埵(さった)が普賢菩薩と同体になるだけでなく、金剛手や金剛薩埵(さった)のような鬼神も、大日如来の役割りを演じることにもなるのです。そして、空海はとくに鬼神の不動明王を重要視し、大日如来の代理として捉えてもいたのです。このあたりに密教解釈の難しさと奥の深さがあるようです。
第2場 “ゆったりと、ただ無心で ” 行為する → 色価の顕われ
John Cage の in a Landscape に対する私の関心は、最初にそれを初めて聞いたときから始まったのです。これがあのジョン・ケージの曲なのか? という驚きからそれは始まったのです。
日本の音楽は浄瑠璃を初めとする「語り物」を土台にしています。義太夫、清元、常磐津など、すべてがそうす。そのことで「歌舞伎」は舞踊と演劇とが融合して、多幕物も演じれることが出来たのですが、オペラは別として西洋の器楽曲は、すべて純粋音楽です。演劇的、あるいは日常的行為に適合する曲は見当たりません。実験的な「シアターピース」は別でしょうが。
唯一、エリック・サティの「家具の音楽」だけが、純粋音楽から抜け出していますが、人間の行為には適合しません。そして作曲家の根本忍氏の説明では、この「in a Landscape 」を作曲した当時、ケージはこのエリック・サティに興味を抱いていたということですが、果たして、この「in a
Landscape 」のCDの中に組み込まれている in a Landscape 以外の他の曲は、サティの作曲法に似ているのです。しかし、この in a Landscape だけが違うのです。
当時のケージはダンスや演劇のからだの動きに対して興味を抱いていたようですが、一方、発明家だった父が抱いていた独特な考えに影響されていて、「熟睡したときに、一番いい仕事ができるし、アイデアがほしければ何か退屈なことをしたらいい」という父の考えに影響されてもいたようです。
そのためか、ダンスでも演劇でもない、その中間にあるパフォーマンス的な行為に関心を持っようになり、カニングハムと協同で仕事をするようになったのでしょう。
ついでに、根本氏に1950年代初頭までのケージの作品について訊いてみましたところ、以下の返答を得ました。
・単一原理で作品を統合するという発想
・構造と形式の二項対立
・自由の要素
を基本的な特徴としており、更に1940年代後半の「プリペアド・ピアノ」(シヴィラ・フォート振付によるダンス作品のために発案したのが最初)の時代において、
・作曲前に予め作品内で使う(少ない)音素材(「ギャマット」)を規定しておく
・予め決定された時間的構造/リズム構造内にこれらを嵌め込む
・予め配列した時間枠 を響きのダイナミズムで満たしていく
といった手法が中心となり、1940年代後半は前述の「時間枠が虚ろな反復で覆われたり、沈黙で埋める傾向が顕著」になっていきます。グリフィスは「あたかも自分の発明したリズム構造に基づく作曲法が本質的に受動的なものであることをケージが故意に暴露しているかのよう」だと評しています。
例の〈In a Landscape〉もこの時期に書かれたものです。
この〈In a Landscape〉を書いたのち、完全な「沈黙期間」に入ります。
つまり「書けなくなっていた(=行き詰っていた)時期」なのかも知れないと個人的には思います。
この沈黙の後、1951年、作曲プロセスへの「易」の導入を経て、1951〜1952年の「偶然性」の導入(アルトーのテクストによる〈シアター・ピース〉や〈4'33"〉等)という「急展開」から、漸く作曲家としても認知されるようになっていく訳です。」
と述べられていて、そしてだれも音楽の専門家の間ではこの in a Landscape を問題視していなかった、というこですが。
しかし、私はこの in a Landscape の中に、専門家に笑われるかも知れないのですが「フーガ」の匂いを感じるのです。
以下に、ケージの当時の「不確定性」のテーマを下に講演した内容の1部を掲載します。
「これは演奏にかんして不確定な作品についての講演である。カールハインツ・シュトックハウゼンの<ピアノ曲集十一番」>が、その一例であり、ヨハン・セバスチャン・バッハの<フーガの技法>も例としてあげられる。
<フーガの技法>では、全体の部分への分割である構造や、音から音への手順である方法、表現内容であり、継続の形態である形式のすべてが確定している。素材の振動数や持続という特性もまた、確定されている。音色や振幅という特性は指定されていないため、不確定である。
この不確定が、<フーガの技法>の個互の演奏に特有の倍音構造やデシベル度を生む可能性をもたらすのである。<ピアノ曲集十一番」>の場合、素材のすべての特性は確定されており、また音から音への手順、すなわち方法も確定されている。全体の部分への分割、すなわち構造も確定している。しかし、これらの順序は不確定であり、演奏のたびごとに、特有の形式、すなわち特有の継続の形態、特有の表現内容を生む可能性をもたらしている。
<フーガの技法>の場合、演奏家の機能は、与えられた輪郭に誰かが塗り絵をするのになぞららえることができる。演奏家がこれを、きちんと分析しうるような組織化された方法で行なうことができる。(アーノルト・シェ=ーンベルクとアントン・ヴェーベルンによる編曲は、今世紀にふさわしい例となっている。)
塗り絵師の機能はまた、意識的に組織されていない(したがって分析されえない)やり方で果たすこともできる。つまり、自我の命令にしたがって、手探りで気ままに行うこともできようし、自動速記におけるように潜在的な精神の命令にしたがい、自己の精神の構造に照らしながら内部に向かい、夢の地点にまで入りこむことによって、おおかれすくなかれ無意識的に行うこともできるのである。
あるいはユングの精神分析における集合的無意識の地点にまで入りこんで、種の性向にしたがい、人類にとっておおかれすくなかれ何らかの普遍的な利害となりうることを行うこともできよう。また、インドの精神修養である「深き眠り」----マイスター・エックハルトのいう根底-----にまで没入し、何であれたまたま起こる事態と一体化することもできるだろう。演奏家もまた塗り絵師の機能を気ままに果たすことができる。
つまり、自分の好みにしたがって、自分の精神の構造に照らしながら外部に向って感覚による認識の地点に至るのである。あるいは、自分の精神の外部の作用を用いることによって、おおかれすくなかれ無意識的にこの機能を果たすこともできよう。つまり乱数表を用いて確率にたいする科学的関心にしたがったり、チャンス・オペレーションを用いて何であれたまたま起こる事態と一体化するのである。」ジョン・ケージ『サイレンス』(柿沼敏江訳
水声社)
ここに書かれていることが、それとも、たまたまか私がこの第2場でやろうとしてい二筋の日本の帯の中間を渉りながら、偶然的に遭遇する私のからだの部分と帯の部分とが繋がることによって、どのように色価が変化するかの現象の顕われを、ゴッホが描いた「ひまわり」の絵の色価の問題と照合させようとする意図があるのです。
光は見ることと関係している。光がないと見ることが出来ないし、色も生じない。色彩は、表面的な感覚だけでなく、内的な意味と価値を持っている。そして向こう側の神秘世界と、日常の現実世界と、その間の境界の色が夫々異なる。そしてしの三つを繋ぐ緑の紐とそれらを覆う青色の段階がこの3場では重視されている。
そして、帯が持つ色彩との関わりの“パサージュ”と“プロセス”においては、「偶然性」と方向性の「十字」、また四角の安定性とそれを対角線で分解した八つの三角形を巡る「分子状の働き」が注意される。
また各人の価値(ヴァルール)も、その細部を見る力(光)が自分にあって、自覚することができ、他人に見る力(光)があってその価値が認められる。
内部に向う光りというのは、自己反省も含まれるが、第1場の「三悪」のばあいも、この反省の光りで細分化され溶けることもできるのである。仏教と神道はその力を持っているので、われわれはそれを誇りとすべきだ。
“光”というものが、このように象徴化されるが、本当は、物理的に現在、電子顕微鏡で原子の状態を静止状態を超えて,動く状態まで見ることができるのだ、それは強烈な光りをそれに当てる技術が発明されたからです。
この世とあの世の色。その境界線と飛び地の色。それらを結ぶ緑の色。総合する青い色。これらは理念でなく、糸と唇と舌が織物につながるのですが、縦糸はスートラ、横糸はタントラです。ここで太陽と大地と中空の気の関係を探るのですが、密教と繋がる修験の道でもあるのです。
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