Wednesday, January 30, 2008

ポストモダン(1)

ケイの関わったアメリカのポストモダンダンスについて、ここで触れておきたい。ポストモダンとポストモダニズム、あるいはポストモダニズムとデリダの“脱構築”との関係についは、詳しくは、このブログの後で1984年以降のパフォーマンス活動を語る際に検討する積もりだが、その前にこのアメリカのポストモダンダンスに触れるに当たって、その論議対象の全体の構図を設定しておきたい。
そうしないと、ポストモダンダンスの展開もポストモダンの傾向の範囲内で動いてきたわけで、その大枠を掴んでおかないと歴史の判断を誤ることになるかもしれない。

この問題はひじょうに複雑化しているので、その歴史的な区切りと、その傾向を動かした重要事項をおさえて置かないと、明確なイメージを描くことは難しい。そして、これはすでに歴史としてすでに過ぎ去った芸術の傾向または時代思想ではなく、私の思いでは、これらを釈明しないかぎり前へ進めない状況なのである。
そこで先ず直接問題を提案したことによって起こった、区切りから始めることにします。一つは1977年のイギリスの批評家、チャールズ・ジェンクスの著作『ポストモダンの建築言語』、もうひとつは1979年のフランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』という書物によるものである。

前者はポストモダンを、後者はポストモダニズムを問題としているのだが、やがて傾向と思想とが、モダンと近代が、さらにモダンと近代の時間範囲がそれぞれの対象によって違って捉えられ、論議が交差し、ますます混乱しているのである。
ポストモダンに関しては、前記のように、最初に建築の側から問題視されたので、その当初の状況と建築に関する傾向については『ポストモダンの時代と建築 磯崎新対談』(鹿島出版社)、『週間本17 磯崎新 ポスト・モダン原論』(朝日出版社)、『新・建築学入門』(隈 研吾 ちくま新書)などを参照していただきたい。

だが、ダンスについてはどうか。それはアメリカから起こったのである。そしてそれをモダンダンスのマーサ・グレハムの舞踊団から離れた時点での、舞踊家のマース・カニングハムと音楽家のジョン・ケージの仕事の発足に置くか、またはその後のトリシャ・ブラウン、イヴォンヌ・レイナーらのジャドソン・ダンス・シアターの創立の時点にするかだ。
その選択にはフランスの哲学者デリダが、1966年にアメリカのジョン・ホプキンズ大学で“脱構築”に関する講演を行なったセンセーションを契機に起こった“脱構築”の風潮を汲む必要がある。しかしケージに関する限り、彼は生まれながらにして脱構築されている人間なのである。そのためカニングハムのダンスはある意味で先行していたのかもしれない。
その他に、ポストモダンのもうひとつの特徴“差異と反復”の問題もる。これもデリダの“差延”と平行して、やはりフランスの哲学者のジル・ドウルーズの同名の『差異と反復』という著書の影響も、その後の80年代のミニマリズムのダンスの動きの思想的な背景となる。

だが、このポストモダンの傾向を単なる目先の時代の兆候として捉えていいものだろうか。音楽の歴史において、“差異と反復”はフーガやソナタ形式にしろ、それを土台にして創られていたので、その方法が壊されたのはロマン主義の感情を主体にした内面描写からなのである。ということは、近代のユーロッパはギリシャのプラトン哲学のイデア(理念)の“同一性”を基準とする知性の概念操作を芸術の伝統の基礎にしていたのである。
それがフロイドの無意識の世界と,20世紀に入ってからの分子化の進行によって、抽象化、還元化に向い、差異と反復の問題が無意識またはエクリチュールの深部でどのように織りなされているのかが問題視されてきたのである。脱構築というのは、これまでの構築のそれらの内部からのひび割れと解釈するといい。

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