Wednesday, January 28, 2009
豊島重之(5)
「illumiole illuciole」
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー人は健康をのぞむように、心の病から救われるべきなのだー
“気“とは、宇宙が活動する電磁波のエネルギーと考えられれるし、身体自体も一塊の“エネルギー体”として捉えられ、スピリチュアルな面から見れば、“魂”を持った生物体なのだ。その“魂”が肉に浸透した状態を“魄”といい、2つを合わせて“魂魄(コンパク)”と称してきた。
古代からの日本は、アニミズムの宗教観を持っている。外気、または自然の中にひそむ霊気(カミ)と通じ合う生き方で、意識の働きのまとまりとして“精神”は、“魂”とは別のものとして捉えられている。
からだ全体の機能的な役割を考えたばあい、大脳は思考、感情、感覚、直観の判断機能の中でも特に思考の場所と考えられ、目は五感の中でぜんたいを統御するものであり、心臓は五臟六腑を統括する器官として考えられている。
中国から伝えられた“養生学”では、五臟の中でも肝臓がは魂”、肺臓は“魄”、心臓は“精神”が宿る器官として捉えられてきた。脾臓はこのエネルギー体の中では、生命の力としての“意”の役割を担い、大脳の「志向性」と連れば「意志」、地からのエネルギーを結集した腎臓の「欲望」と結ばれて「意欲」となる。
しかし、物事を便利にするために、このように特定の対象に部分的な役割を与え、機能的な解釈を行なうということは、より大切なものを見失うことにもなる、という事に気付きはじめたのである。
大脳皮質の中の「運動野」「感覚野」に対しても同じことである。
アルトーの「器官なき身体」からもいろいろな解釈の道が取り出され、それを逆転させたジジェクの「身体なき器官」という、今のウェブ時代を風刺する批評概念も生まれている。五線譜に書けないもの、共通のアプリケーションを超えた、個的な通路を求めはじめているのである。
科学で未だ証明されていない霊性の世界は、われわれにとって未開発の分野であるが、それを直観だけで安易なヒーリングの道具として使うのは危険が伴う。
心の病は、感情のコンプレックスから生じる。悪性の気の流れと、局所への凝結が原因と思われるが、原因が大脳だけの問題だとすることは間違いなのである。心は、内蔵の各器官にも分散しており、その上、自分をとりまく環境との関わりにおいてもつくられる。
心の病を持つ人が、社会から、また家庭から分離されて一時的に治癒されたと見えても、社会状況が政治的に替えられず、その家庭での関係がそのままなら、病状はまた元に戻る。
おそらく豊島氏は、理論だけの、経験のない、安易なユートピア的なセラピーやヒーリングに対しては、反対の立場に立つている。豊島重之氏の精神医師としての心情と構想が、この作品のなかに籠められている。
生命の根である“意”への重視と社会に対する政治的な攻勢。氏のコピーの中に見られる「生ー政治学的な古層」という用語は、そのことを証すると同時に、フーコーの“エピステーメ“の世界を彷彿させる。
この作品でいちばん思いがけなかったのは、ダンサー、田島千征さんの微笑みの演技でした。
あれはこの作品の中でどういう意味があったのかが、この作品の意味を解く一つの鍵のような気もするのです。
一見、その作られたような微笑みの演技は、田島さんの独創ではないようです。演出の豊島氏といろいろ2人でその表情術を試していたようですから。
あれは“タオ”の「内笑微笑」に通ずるものです。それとは別に豊島氏が発想し、田島さんにひとつの目的のために提案されたのでしょうが、そこに至る経緯が推測されるのです。
それには先ず、“タオ”の「内笑微笑」の方法から説明しておいた方が納得できると思いますので、以下にその仕法を順を追って説明致しましょう。
まず、目の前の90㎝ほどのあたりに微笑みの対象のイメージを浮かべます。その結果、表情に表れた微笑みの気を“第三の目”である眉間のツボから吸い込むように下方へと、胸腺から心包(胸部の中心にある心臓センター)へと下方に降ろし、“微笑み”を吹きかけるようにしながら次々と各器官に移し換えてゆく。この心包から次の肺あたりが、狙いの効果の中心なのですが、体内の五臟からつづいて六腑、さらに大脳の各部と脊髄の各部の“腺“の上を、一つづづ進んで、最後に下丹田に収めるというやり方なのです。
これは体内の臓器と腺に微笑みかけて、生活のストレスから生じた邪気をそこから脱ぎ払って、否定的なエネルギーを肯定的なエネルギーに変換しようとするもので、じっさいに大変効果のあるものと評価されています。
ですが、豊島氏の意図で作品の中で演じられた田島さんの演技は、結果としてはこのタオの「内笑瞑想」の微笑みの手法と似ているのですが、それは豊島氏の精神医としての経験から産み出された独自の手法なのだと思います。
つまり、患者の心の悩みを払底させるために、この方法が効果があるという、規定の治療法があってのことでなくいのです。患者の感情のコンプレックスを解くための方法を見出したという以前に、長年患者を診察していた間に築かれた人生哲学から生じたものだと思うのです。治療よりも患者の生き方の方が大事だという観点です。
それと同時に、演劇は、とかく愛と憎しみとの、世情の混乱の中での葛藤を演じるのが常なのですが、この作品においては、それらの日常的な感情の次元を超越したかたちで各種の演技が提出されていますが、これも患者との診察経験の上から発想されたもののような気がするのです。
その超越の標として“微笑み“が使われているのでしょうか。あるいは、メイエルホリドの消え行く生命に対比するものとして、あのような微笑みの場面が必要だったのでしょうか。
医師は“仁徳”を先ず心がけなくてはいけないと言われます。ですが、患者の閉ざされたこころを開くのは“徳”のモラルだと気付いたのかもしれません。タオでもこの“徳”のモラルを引き出すために、心臓センターに“微笑み”で働きかけているのです。それにつづいて“同情”ではなく“共感”の心としての“慈悲”がその背後に潜んでいるような気配がするのです。それは愛憎の愛とは違って憎しみの方、排除や怒り、殺意と相対するするものです。
“徳”とか“慈悲”とかの言葉は、儒教とか仏教の教えを思い出させるものですが、これらの概念を科学的に再考する必要があるのでしょう。
要するに、「解剖学」を土台にした脳や内蔵を対象とした“形態学”の時代から、「分子生物学」を出発点とした“大脳科学”の時代に移行したということです。
また、意識を“指向性”の側から捉えていることです。“微笑み”が感情を逆転させているように、“眼球の動き“が演出家の思考と構想を自由に転じさせているのです。
豊島氏のばあい、バタイユの「眼球」がここで生かされているのです。
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー人は健康をのぞむように、心の病から救われるべきなのだー
“気“とは、宇宙が活動する電磁波のエネルギーと考えられれるし、身体自体も一塊の“エネルギー体”として捉えられ、スピリチュアルな面から見れば、“魂”を持った生物体なのだ。その“魂”が肉に浸透した状態を“魄”といい、2つを合わせて“魂魄(コンパク)”と称してきた。
古代からの日本は、アニミズムの宗教観を持っている。外気、または自然の中にひそむ霊気(カミ)と通じ合う生き方で、意識の働きのまとまりとして“精神”は、“魂”とは別のものとして捉えられている。
からだ全体の機能的な役割を考えたばあい、大脳は思考、感情、感覚、直観の判断機能の中でも特に思考の場所と考えられ、目は五感の中でぜんたいを統御するものであり、心臓は五臟六腑を統括する器官として考えられている。
中国から伝えられた“養生学”では、五臟の中でも肝臓がは魂”、肺臓は“魄”、心臓は“精神”が宿る器官として捉えられてきた。脾臓はこのエネルギー体の中では、生命の力としての“意”の役割を担い、大脳の「志向性」と連れば「意志」、地からのエネルギーを結集した腎臓の「欲望」と結ばれて「意欲」となる。
しかし、物事を便利にするために、このように特定の対象に部分的な役割を与え、機能的な解釈を行なうということは、より大切なものを見失うことにもなる、という事に気付きはじめたのである。
大脳皮質の中の「運動野」「感覚野」に対しても同じことである。
アルトーの「器官なき身体」からもいろいろな解釈の道が取り出され、それを逆転させたジジェクの「身体なき器官」という、今のウェブ時代を風刺する批評概念も生まれている。五線譜に書けないもの、共通のアプリケーションを超えた、個的な通路を求めはじめているのである。
科学で未だ証明されていない霊性の世界は、われわれにとって未開発の分野であるが、それを直観だけで安易なヒーリングの道具として使うのは危険が伴う。
心の病は、感情のコンプレックスから生じる。悪性の気の流れと、局所への凝結が原因と思われるが、原因が大脳だけの問題だとすることは間違いなのである。心は、内蔵の各器官にも分散しており、その上、自分をとりまく環境との関わりにおいてもつくられる。
心の病を持つ人が、社会から、また家庭から分離されて一時的に治癒されたと見えても、社会状況が政治的に替えられず、その家庭での関係がそのままなら、病状はまた元に戻る。
おそらく豊島氏は、理論だけの、経験のない、安易なユートピア的なセラピーやヒーリングに対しては、反対の立場に立つている。豊島重之氏の精神医師としての心情と構想が、この作品のなかに籠められている。
生命の根である“意”への重視と社会に対する政治的な攻勢。氏のコピーの中に見られる「生ー政治学的な古層」という用語は、そのことを証すると同時に、フーコーの“エピステーメ“の世界を彷彿させる。
この作品でいちばん思いがけなかったのは、ダンサー、田島千征さんの微笑みの演技でした。
あれはこの作品の中でどういう意味があったのかが、この作品の意味を解く一つの鍵のような気もするのです。
一見、その作られたような微笑みの演技は、田島さんの独創ではないようです。演出の豊島氏といろいろ2人でその表情術を試していたようですから。
あれは“タオ”の「内笑微笑」に通ずるものです。それとは別に豊島氏が発想し、田島さんにひとつの目的のために提案されたのでしょうが、そこに至る経緯が推測されるのです。
それには先ず、“タオ”の「内笑微笑」の方法から説明しておいた方が納得できると思いますので、以下にその仕法を順を追って説明致しましょう。
まず、目の前の90㎝ほどのあたりに微笑みの対象のイメージを浮かべます。その結果、表情に表れた微笑みの気を“第三の目”である眉間のツボから吸い込むように下方へと、胸腺から心包(胸部の中心にある心臓センター)へと下方に降ろし、“微笑み”を吹きかけるようにしながら次々と各器官に移し換えてゆく。この心包から次の肺あたりが、狙いの効果の中心なのですが、体内の五臟からつづいて六腑、さらに大脳の各部と脊髄の各部の“腺“の上を、一つづづ進んで、最後に下丹田に収めるというやり方なのです。
これは体内の臓器と腺に微笑みかけて、生活のストレスから生じた邪気をそこから脱ぎ払って、否定的なエネルギーを肯定的なエネルギーに変換しようとするもので、じっさいに大変効果のあるものと評価されています。
ですが、豊島氏の意図で作品の中で演じられた田島さんの演技は、結果としてはこのタオの「内笑瞑想」の微笑みの手法と似ているのですが、それは豊島氏の精神医としての経験から産み出された独自の手法なのだと思います。
つまり、患者の心の悩みを払底させるために、この方法が効果があるという、規定の治療法があってのことでなくいのです。患者の感情のコンプレックスを解くための方法を見出したという以前に、長年患者を診察していた間に築かれた人生哲学から生じたものだと思うのです。治療よりも患者の生き方の方が大事だという観点です。
それと同時に、演劇は、とかく愛と憎しみとの、世情の混乱の中での葛藤を演じるのが常なのですが、この作品においては、それらの日常的な感情の次元を超越したかたちで各種の演技が提出されていますが、これも患者との診察経験の上から発想されたもののような気がするのです。
その超越の標として“微笑み“が使われているのでしょうか。あるいは、メイエルホリドの消え行く生命に対比するものとして、あのような微笑みの場面が必要だったのでしょうか。
医師は“仁徳”を先ず心がけなくてはいけないと言われます。ですが、患者の閉ざされたこころを開くのは“徳”のモラルだと気付いたのかもしれません。タオでもこの“徳”のモラルを引き出すために、心臓センターに“微笑み”で働きかけているのです。それにつづいて“同情”ではなく“共感”の心としての“慈悲”がその背後に潜んでいるような気配がするのです。それは愛憎の愛とは違って憎しみの方、排除や怒り、殺意と相対するするものです。
“徳”とか“慈悲”とかの言葉は、儒教とか仏教の教えを思い出させるものですが、これらの概念を科学的に再考する必要があるのでしょう。
要するに、「解剖学」を土台にした脳や内蔵を対象とした“形態学”の時代から、「分子生物学」を出発点とした“大脳科学”の時代に移行したということです。
また、意識を“指向性”の側から捉えていることです。“微笑み”が感情を逆転させているように、“眼球の動き“が演出家の思考と構想を自由に転じさせているのです。
豊島氏のばあい、バタイユの「眼球」がここで生かされているのです。
Saturday, January 24, 2009
豊島重之(4)
「illumiole illuciole」
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー劇場空間が即、社会学の“場”なのだー
よく考えてみると、豊島重之氏のこの作品は、演劇形式をとりながら、動きとセリフが分離されて、また俳優が相互にドラマティックに絡み合うこともなく、各場面がそれぞれ切断されていて劇的誇張がない。
俳優の表現が、すべて日常的な行動の次元を土台にしているのです。
その上、流れのぜんたいの構成と、俳優の立つ位置の空間布置が、関係性を超えた一つの“磁場”をつくり出しています。テクストによる台本をベースにしているのではなく、構成と配置が演出によって操作されている。
俳優はそれぞれ、狭められた自由さの中で、その物質的な場と関わりながら、自然らしさを持って、“真実”を表出し、それが記録的な他者の口述と平行してすすめられて行く。
先に、スターリンに相応する役の俳優がステージの中央に屹立し、権力としての光を壁を背にした俳優に向って投射している、と表現しました。しかし、それは劇的な空間配置と、俳優の身体的な構え、読み上げられる文章のシンタックスから受ける意味性と、光の一方的な投射方法によって感じ取られた印象なのです。
もし、それを劇的な解釈を抜きにして客観的に観た場合には、スターリンに相応する役を演じた若い女性の秋山容子さんは、べつに厳めしい演技をしていたわけでもなく、普段着のまま普通に真っ直ぐ立って、相手を撮影するためにカメラを構えたポーズに過ぎないのです。
ということは、この作品は社会状況を“演劇空間”として捉えるギアツの社会学の方法とは、ちょうど逆の方向からの観察法なのです。つまり、演劇をテキストから分離させて、トポロジカルな配置において、現実の社会の中枢権力とメディアによって絡めとられた、限定された自由の状況を描きだすためにとられた、演劇空間を使用した社会学の“場”なのです。
「権力と自由」、あるいは「自由と平等」の関係が語られた段階から、ロールズの『正義論』を機に、“公正”としての意味での自由が討論され、それが人間の根源的な“こころ”の問題へと移行して行ったのです。
これらは「分析哲学」の言語による明晰化の動力方向性なのでしょうが、人間のモラル(徳)の“正義”、“愛(慈悲)“、あるいはギリシャ以来の哲学用語である“善”とか“真実”という概念が再検討されることになったのです。そして最終的には、これまで曖昧にされていた“神”と霊”の合一と分離、“心”と“精神”の区分けまでが論議されることにもなっているのです。
“自由”に対する制約を出来る限り取り除こうとするアメリカの1980年代以来の“新自由主義”と“グローバリゼーション”の破綻が見えてきた現在、改めて“自由“の問題が、その限界線において生命と絡んだかたちで捉え直されることになったのでしょう。
しかも、それはあくまでも現実的な政治的な尺度の上で語られなくてはいけないわけです。豊島氏がこの公演のチラシのコピーで「ーーー イメージの底をぶち抜いて、その形姿の根源に「微光」を掘削すること。そこには生ー政治学的な古層、いわば深海の発光体=イリュミオールがーーーーーー」と、「生ー政治学的な古層」という言葉を使用しているのは、そこから出ているのでしょう。
ちなみに、豊島氏のアーティストとしての政治的なスタンスはポストモダンの経過を踏んだ「差異の政治」の側にいると判断します。たとえば、サイード、スピヴァク、バトラーなどのような、“ポストコロニアル的な理性批判“を持ったアーティストだと思うのです。
日本にドイツからモダンダンスを移植した江口隆哉氏の下で、学校ダンスの制約に屈しなかった2人のダンサーがいます。ひとりは大野一雄氏で、もう一人は豊島重之氏の実姉の豊島和子さんだと、私は思うのです。モレキュラー シアターの俳優すべては、この和子さんのお弟子さんなのです。
豊島重之氏は仙台の東北大学の医学部の学生時代に、休みを利用して横浜の大野一雄氏のスタジオに稽古を受けに行ったことがあるそうです。あらかじめ電話をし、慶人さんが上星川の駅に出迎え、あの長い坂道を登って行ったということです。これも新宿で出合ったときの話です。
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー劇場空間が即、社会学の“場”なのだー
よく考えてみると、豊島重之氏のこの作品は、演劇形式をとりながら、動きとセリフが分離されて、また俳優が相互にドラマティックに絡み合うこともなく、各場面がそれぞれ切断されていて劇的誇張がない。
俳優の表現が、すべて日常的な行動の次元を土台にしているのです。
その上、流れのぜんたいの構成と、俳優の立つ位置の空間布置が、関係性を超えた一つの“磁場”をつくり出しています。テクストによる台本をベースにしているのではなく、構成と配置が演出によって操作されている。
俳優はそれぞれ、狭められた自由さの中で、その物質的な場と関わりながら、自然らしさを持って、“真実”を表出し、それが記録的な他者の口述と平行してすすめられて行く。
先に、スターリンに相応する役の俳優がステージの中央に屹立し、権力としての光を壁を背にした俳優に向って投射している、と表現しました。しかし、それは劇的な空間配置と、俳優の身体的な構え、読み上げられる文章のシンタックスから受ける意味性と、光の一方的な投射方法によって感じ取られた印象なのです。
もし、それを劇的な解釈を抜きにして客観的に観た場合には、スターリンに相応する役を演じた若い女性の秋山容子さんは、べつに厳めしい演技をしていたわけでもなく、普段着のまま普通に真っ直ぐ立って、相手を撮影するためにカメラを構えたポーズに過ぎないのです。
ということは、この作品は社会状況を“演劇空間”として捉えるギアツの社会学の方法とは、ちょうど逆の方向からの観察法なのです。つまり、演劇をテキストから分離させて、トポロジカルな配置において、現実の社会の中枢権力とメディアによって絡めとられた、限定された自由の状況を描きだすためにとられた、演劇空間を使用した社会学の“場”なのです。
「権力と自由」、あるいは「自由と平等」の関係が語られた段階から、ロールズの『正義論』を機に、“公正”としての意味での自由が討論され、それが人間の根源的な“こころ”の問題へと移行して行ったのです。
これらは「分析哲学」の言語による明晰化の動力方向性なのでしょうが、人間のモラル(徳)の“正義”、“愛(慈悲)“、あるいはギリシャ以来の哲学用語である“善”とか“真実”という概念が再検討されることになったのです。そして最終的には、これまで曖昧にされていた“神”と霊”の合一と分離、“心”と“精神”の区分けまでが論議されることにもなっているのです。
“自由”に対する制約を出来る限り取り除こうとするアメリカの1980年代以来の“新自由主義”と“グローバリゼーション”の破綻が見えてきた現在、改めて“自由“の問題が、その限界線において生命と絡んだかたちで捉え直されることになったのでしょう。
しかも、それはあくまでも現実的な政治的な尺度の上で語られなくてはいけないわけです。豊島氏がこの公演のチラシのコピーで「ーーー イメージの底をぶち抜いて、その形姿の根源に「微光」を掘削すること。そこには生ー政治学的な古層、いわば深海の発光体=イリュミオールがーーーーーー」と、「生ー政治学的な古層」という言葉を使用しているのは、そこから出ているのでしょう。
ちなみに、豊島氏のアーティストとしての政治的なスタンスはポストモダンの経過を踏んだ「差異の政治」の側にいると判断します。たとえば、サイード、スピヴァク、バトラーなどのような、“ポストコロニアル的な理性批判“を持ったアーティストだと思うのです。
日本にドイツからモダンダンスを移植した江口隆哉氏の下で、学校ダンスの制約に屈しなかった2人のダンサーがいます。ひとりは大野一雄氏で、もう一人は豊島重之氏の実姉の豊島和子さんだと、私は思うのです。モレキュラー シアターの俳優すべては、この和子さんのお弟子さんなのです。
豊島重之氏は仙台の東北大学の医学部の学生時代に、休みを利用して横浜の大野一雄氏のスタジオに稽古を受けに行ったことがあるそうです。あらかじめ電話をし、慶人さんが上星川の駅に出迎え、あの長い坂道を登って行ったということです。これも新宿で出合ったときの話です。
Saturday, January 17, 2009
豊島重之(3)
「illumiole illuciole」
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー“光面“としての白い壁ー
白い壁は、あらゆる色の光りを四方に乱反射させる。
スターリンと想定される人物が投射する白色光。白壁を背にした俳優の表情と姿態を、それが余すところなく浮き出させた。それに反して、光を投じられた側からは投射するスターリンの顔は見えない。微動だにしない権威者の影が目に映るだけ。その背後から、他人の声で、自分の上申書のエクリチュールが分節化され、息苦しく読み上げられてゆく。
そこで、観客として感じとられるのは、演者が空間も、視覚も、セリフも剥ぎ取られている、ということである。ただ、白壁の上に投射されたスライド写真の中の人物だけは、固定された実像なのだが。
上体がやがて静かに持ち上がる。揺れる。腕がゆっくり放れてゆく。掌と指のかすかな動きがひとりの人間の、それはメイエルホリドなのだが、残された、少ない、命(いのち)の時間への標と見える。
これは演劇の解体、デリダの「脱構築」の仕組み、工作のようだ。しかし、「脱構築」というが、ポストモダンのオルタナティヴ、あるいは折衷主義とは違う。
ポストモダンが、モダンを前にすすめるものとすると、モダンから後ろに退けるプレモダンなのだろう。
最初のメイエルホリド役の俳優が長時間、上体を前に屈めたままで頭を前に向けているポーズは、あれは中国古代の“気功”の最初の「亀のポーズ」なのだ。それに、エクリチュールを記号化しながらも、魔術的な音声言語としている。それはデリダの『声と現象』の論とは別の方法である。
また、『グラマトロジー』の「差延」はデリダの「差異」に関する新解釈から生まれた哲学用語であるが、それに対して豊島氏のこの作品のばあいは、『イリュミオール・イリュシオール』のタイトルが示すように、魔術と詩想の光(イリュミナシオン)による、人間の自由をテーマにした幻灯演劇のように見える。また、見方によっては、魔術の世界に新しい「身体療法」への科学の通路を探っているようにも思われる。
私が小学生の時、正月に「鶴は千年、亀は万年」という細い色紙が茶の間の柱にかけられていたのだが、それを見た記憶が何時までも脅迫的に私の心に残っているのは、その記憶と組み合わせで思いだされることがあるからです。ちょうどその頃、町内の同じ年頃の子が、近くの貯水池でスケートをしていて、氷の割れ目から氷下に落ち込め、そのまま死亡した騒ぎがあったからです。
「亀のポーズ」というのは、ちょうどお相撲の構えのポーズに似ている。その時、背骨を真っ直ぐにするのがコツのようだが、脊髄にエネルぎーを集結させるのだろう。「鶴のポーズ」は太極拳の中に“白鶴亮翅(はっかくりょうし)“の「白い鶴が羽を拡げるポーズ」として残っています。亀のポーズは中国拳法の稽古で似たようなものをやりますが、その原型がやっと中国の少数民族の間から発見されたと、津村喬さんから教わりました。亀も鶴も二つとも、第1頸椎と頭骸骨との間のツボを刺激する方法なのですが、鶴のばあいは、顎を引いて、頭部を上から吊るされるようにするのです。その同じツボの操作で亀は万年も、鶴は千年も生きるエネルギーを持っている、ということでしょうか。
メイエルホリドの役は最初、私は「ああ、イケメンの男優が演じている」と観ていました。しばらくして立ち上がって、横顔になった時にそれが女優の大久保一恵さんだと分かったのです。私は多少驚いたのです。なぜなら、宝塚歌劇を観ても分かる通り、男が女形をやれても、女は男になるのは難しいようです。白州正子さんも永いこと本格的に能をやられていて、結局は止められたのは、男の筋肉でなくては耐えられなかったからだそうです。大久保さんがメイエルホリドに成りきれたのは、亀のポーズから始まったからかもしれませんね。
そう言えば、新宿での豊島さんとのミーティングのとき、前述の津村喬さんの話も出ました。豊島重之さんと高沢利栄さんのICANOFが主催した、昨年夏の「68-72※世界革命※典」のグラビアが、雑誌「桿 HAN 特集1968」創刊号(発行所 白順社)の巻頭に紹介されていますが、それにつづいて掲載されている津村喬さんの論『反逆にはやっぱり道理がある』は、気功を通じて中国の「文化革命」当時の政治的状況がよく描かれています。
豊島さんはかっての津村喬さんの活躍をよく知っていて、その詳論活動の内容を語ってくれましたが、60年安保以来、丸山真男、吉本隆明から津村喬へと時代の指針のバトンが渡されていたのに、なぜ中国の気功世界の真唯中に飛び込んでしまったのでしょうか。
昨年末、はじめてお会いしたとき、失礼とは存じながら「気功はそんなに面白いですか?」と、冗談のように不躾な質問をしましたところ、ただ黙って笑みを浮かべていらっしゃいました。
そして、正月の挨拶のメールには以下のことが述べられていました。
「気功を始めたのは16歳の時で21、2で本を書いて評論家になるよりも先でした。中国の激動に苦しみながら、結局どんな政治潮流よりも気功と太極拳をひっそりと続けていく庶民に中国民衆の原像を見いだして行った次第です。それでももう一度はっきり自覚をしてその中に入っていったのはやはり70年代後半以降のことですから、先生とも「方向転換」を共有しているかも知れません。私の著書はいろいろありますが、先生のホームページに書かれた物を拝読して、まずこれをお渡ししてと真紀子に頼んだ次第です。」
戴いた著作本は『気功的生活』(発行 同友館)という、こころの暖まる随筆集です。それにお礼のメールを差し上げたのです。真紀子というのはダンサーのオトギノマキコのことです。二人とも京都で生活しているようです。先生と言われていますが、私が津村さんより先に生まれているからだけのことです。
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ー“光面“としての白い壁ー
白い壁は、あらゆる色の光りを四方に乱反射させる。
スターリンと想定される人物が投射する白色光。白壁を背にした俳優の表情と姿態を、それが余すところなく浮き出させた。それに反して、光を投じられた側からは投射するスターリンの顔は見えない。微動だにしない権威者の影が目に映るだけ。その背後から、他人の声で、自分の上申書のエクリチュールが分節化され、息苦しく読み上げられてゆく。
そこで、観客として感じとられるのは、演者が空間も、視覚も、セリフも剥ぎ取られている、ということである。ただ、白壁の上に投射されたスライド写真の中の人物だけは、固定された実像なのだが。
上体がやがて静かに持ち上がる。揺れる。腕がゆっくり放れてゆく。掌と指のかすかな動きがひとりの人間の、それはメイエルホリドなのだが、残された、少ない、命(いのち)の時間への標と見える。
これは演劇の解体、デリダの「脱構築」の仕組み、工作のようだ。しかし、「脱構築」というが、ポストモダンのオルタナティヴ、あるいは折衷主義とは違う。
ポストモダンが、モダンを前にすすめるものとすると、モダンから後ろに退けるプレモダンなのだろう。
最初のメイエルホリド役の俳優が長時間、上体を前に屈めたままで頭を前に向けているポーズは、あれは中国古代の“気功”の最初の「亀のポーズ」なのだ。それに、エクリチュールを記号化しながらも、魔術的な音声言語としている。それはデリダの『声と現象』の論とは別の方法である。
また、『グラマトロジー』の「差延」はデリダの「差異」に関する新解釈から生まれた哲学用語であるが、それに対して豊島氏のこの作品のばあいは、『イリュミオール・イリュシオール』のタイトルが示すように、魔術と詩想の光(イリュミナシオン)による、人間の自由をテーマにした幻灯演劇のように見える。また、見方によっては、魔術の世界に新しい「身体療法」への科学の通路を探っているようにも思われる。
私が小学生の時、正月に「鶴は千年、亀は万年」という細い色紙が茶の間の柱にかけられていたのだが、それを見た記憶が何時までも脅迫的に私の心に残っているのは、その記憶と組み合わせで思いだされることがあるからです。ちょうどその頃、町内の同じ年頃の子が、近くの貯水池でスケートをしていて、氷の割れ目から氷下に落ち込め、そのまま死亡した騒ぎがあったからです。
「亀のポーズ」というのは、ちょうどお相撲の構えのポーズに似ている。その時、背骨を真っ直ぐにするのがコツのようだが、脊髄にエネルぎーを集結させるのだろう。「鶴のポーズ」は太極拳の中に“白鶴亮翅(はっかくりょうし)“の「白い鶴が羽を拡げるポーズ」として残っています。亀のポーズは中国拳法の稽古で似たようなものをやりますが、その原型がやっと中国の少数民族の間から発見されたと、津村喬さんから教わりました。亀も鶴も二つとも、第1頸椎と頭骸骨との間のツボを刺激する方法なのですが、鶴のばあいは、顎を引いて、頭部を上から吊るされるようにするのです。その同じツボの操作で亀は万年も、鶴は千年も生きるエネルギーを持っている、ということでしょうか。
メイエルホリドの役は最初、私は「ああ、イケメンの男優が演じている」と観ていました。しばらくして立ち上がって、横顔になった時にそれが女優の大久保一恵さんだと分かったのです。私は多少驚いたのです。なぜなら、宝塚歌劇を観ても分かる通り、男が女形をやれても、女は男になるのは難しいようです。白州正子さんも永いこと本格的に能をやられていて、結局は止められたのは、男の筋肉でなくては耐えられなかったからだそうです。大久保さんがメイエルホリドに成りきれたのは、亀のポーズから始まったからかもしれませんね。
そう言えば、新宿での豊島さんとのミーティングのとき、前述の津村喬さんの話も出ました。豊島重之さんと高沢利栄さんのICANOFが主催した、昨年夏の「68-72※世界革命※典」のグラビアが、雑誌「桿 HAN 特集1968」創刊号(発行所 白順社)の巻頭に紹介されていますが、それにつづいて掲載されている津村喬さんの論『反逆にはやっぱり道理がある』は、気功を通じて中国の「文化革命」当時の政治的状況がよく描かれています。
豊島さんはかっての津村喬さんの活躍をよく知っていて、その詳論活動の内容を語ってくれましたが、60年安保以来、丸山真男、吉本隆明から津村喬へと時代の指針のバトンが渡されていたのに、なぜ中国の気功世界の真唯中に飛び込んでしまったのでしょうか。
昨年末、はじめてお会いしたとき、失礼とは存じながら「気功はそんなに面白いですか?」と、冗談のように不躾な質問をしましたところ、ただ黙って笑みを浮かべていらっしゃいました。
そして、正月の挨拶のメールには以下のことが述べられていました。
「気功を始めたのは16歳の時で21、2で本を書いて評論家になるよりも先でした。中国の激動に苦しみながら、結局どんな政治潮流よりも気功と太極拳をひっそりと続けていく庶民に中国民衆の原像を見いだして行った次第です。それでももう一度はっきり自覚をしてその中に入っていったのはやはり70年代後半以降のことですから、先生とも「方向転換」を共有しているかも知れません。私の著書はいろいろありますが、先生のホームページに書かれた物を拝読して、まずこれをお渡ししてと真紀子に頼んだ次第です。」
戴いた著作本は『気功的生活』(発行 同友館)という、こころの暖まる随筆集です。それにお礼のメールを差し上げたのです。真紀子というのはダンサーのオトギノマキコのことです。二人とも京都で生活しているようです。先生と言われていますが、私が津村さんより先に生まれているからだけのことです。
Wednesday, January 14, 2009
豊島重之(2)
「illumiole illuciole」
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ーすべてが、波動なのだー
ステージで、ということは無音の観客の前で、じっとしていることは辛いことだ。私自身も最初のマイム公演のとき、それをつくづく感じた。一時間あまり音楽なしで、緊迫した空間の中で演技し続けるということも、全く恐ろしいことである。それに反面して、そのような時に音楽というものはどれだけ自分の思いと動きを触発し、励ましてくれることか。正しく登山者が山中に湧き水を見出したときに感じるようなものである。
この作品の最初の出演者の出だしの演技を観ながら、そんな自分の過去の経験を振り返ってみたりした。
それにしても、いま目にしている俳優は最も辛い姿勢のままでじっと立ち続けているのである。そんな時、からだが雁字搦めになってどう仕様もなくなっている時、人は宇宙の波動を感じるものなのだ。
じぶんの“脈”と通じるような、“呼吸“と合っているような反しているような。空気の圧力とその中に微かに感じとれる微粒子の電磁波の一種かもしれない“気”の流れも。
正面の白い壁を背に無理な姿勢で立たされているその前に、ちょうどステージの空間の中央に当たる箇所に一人の女性が、照明の投射機を抱えて屹立したまま、前面の身を屈めている俳優に光を投射している。
口述が息苦しく聞こえる。客席の最前列に位置するナレーターによって語られていく。口述がすすむにつれ、前面の演技者はメイエルホリドの役であり、ステージ中央に立つ女性はスターリンに相応することが判明する。そして延々と口述されるその上申書の内容は、メイエルホリド自身の演出家としての良心から湧出される自由な表現に関する切々とした弁明なのである。
しかし、自我を神のごとき絶対なものとするスターリンの側からは、個人の自由な発想など許される筈はない。すべては自分の意のままにすすめること、それが彼の共産主義の意図なのだ。
自由を失われた世界。それが、この豊島演出では三次元の空間が失われた世界なのである。空間の中央に位置するの者は、唯ひとり“光”を保持するスターリンのみで、この後につづく全ての俳優は三面の壁の上の二次元の世界にいるだけである。
“光”は生きている間にだけ(壁の前で演じている時だけ)、過去の記憶としての、写真の中に実像として動くだけである。ここで凝縮して感じられるものは、光も、呼吸も、脈拍も、又、セリフの音波も、すべて“波動”なのである。
ここで思い出しましたのは、新宿で豊島さんとの会話の中に出た一つの、今度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏の「対称性の破れから物質が発生する」ということでした。
その時「南部さんは盛岡の南部の一族なんですよ」と私が言ったらば、同じ八戸南部に住んでいる豊島さんとしても、それは初耳のようでした。
「盛岡南部は別地として、福井の永平寺の傍の大野というところに領地を持っていたのです。南部陽一郎氏はそこで生まれたのです」
私は妙なきっかけで、と言ってっも多少の縁はあったのですが、陽一郎氏の従妹に当たる方と親しんでいたのです。妙なことで会ったというのは、彼女は偶然にも家の近くで小さな「依託の古着屋さん」の店を出していたのです。店前に置いてある小物が気に入って購入してから、時々立ち寄って話しているうちに、その女性は南部さんという人だと分かったのです。
「もしかしたら、盛岡の南部さんじゃないですか」と聞いたところ、「なぜですか?」とちょっと驚いた風でした。
陽一郎氏の若い頃の顔もそうですが、この一族は皆ゆったりとした特徴のある良い顔なのです。名前を訊いたら「明美です」という。「嘘おっしゃい!」と笑って受付けなかったら、「じつは“明美“という名前が好きでそれを使っているんです。本名はお店の名と同じです」という。
どこか、学校の数学の教師をしていたそうですが、人間関係が嫌になって、今はデザインの仕事を店の奥でやっていて、古着の売り上げは野良猫のエサ代と、あとは社会奉仕としてどこかに寄付をつづけているそうです。
彼女は下町のマンションにつつましく一人で暮らしているのですが、時々掘り出し物が店に置いてあったのは、知り合いの“シロガネーゼ”に依頼して店に出したものだったようです。
忠臣蔵の「南部坂の別れ」の坂には南部家の上屋敷があった処で、港区の「有栖川公園」は下屋敷だった処なのです。「今はもう何も無いです」と微笑みながら語ってくれたのですが、戦前ならば、彼女は“伯爵令嬢”なのです。
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見
ーすべてが、波動なのだー
ステージで、ということは無音の観客の前で、じっとしていることは辛いことだ。私自身も最初のマイム公演のとき、それをつくづく感じた。一時間あまり音楽なしで、緊迫した空間の中で演技し続けるということも、全く恐ろしいことである。それに反面して、そのような時に音楽というものはどれだけ自分の思いと動きを触発し、励ましてくれることか。正しく登山者が山中に湧き水を見出したときに感じるようなものである。
この作品の最初の出演者の出だしの演技を観ながら、そんな自分の過去の経験を振り返ってみたりした。
それにしても、いま目にしている俳優は最も辛い姿勢のままでじっと立ち続けているのである。そんな時、からだが雁字搦めになってどう仕様もなくなっている時、人は宇宙の波動を感じるものなのだ。
じぶんの“脈”と通じるような、“呼吸“と合っているような反しているような。空気の圧力とその中に微かに感じとれる微粒子の電磁波の一種かもしれない“気”の流れも。
正面の白い壁を背に無理な姿勢で立たされているその前に、ちょうどステージの空間の中央に当たる箇所に一人の女性が、照明の投射機を抱えて屹立したまま、前面の身を屈めている俳優に光を投射している。
口述が息苦しく聞こえる。客席の最前列に位置するナレーターによって語られていく。口述がすすむにつれ、前面の演技者はメイエルホリドの役であり、ステージ中央に立つ女性はスターリンに相応することが判明する。そして延々と口述されるその上申書の内容は、メイエルホリド自身の演出家としての良心から湧出される自由な表現に関する切々とした弁明なのである。
しかし、自我を神のごとき絶対なものとするスターリンの側からは、個人の自由な発想など許される筈はない。すべては自分の意のままにすすめること、それが彼の共産主義の意図なのだ。
自由を失われた世界。それが、この豊島演出では三次元の空間が失われた世界なのである。空間の中央に位置するの者は、唯ひとり“光”を保持するスターリンのみで、この後につづく全ての俳優は三面の壁の上の二次元の世界にいるだけである。
“光”は生きている間にだけ(壁の前で演じている時だけ)、過去の記憶としての、写真の中に実像として動くだけである。ここで凝縮して感じられるものは、光も、呼吸も、脈拍も、又、セリフの音波も、すべて“波動”なのである。
ここで思い出しましたのは、新宿で豊島さんとの会話の中に出た一つの、今度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏の「対称性の破れから物質が発生する」ということでした。
その時「南部さんは盛岡の南部の一族なんですよ」と私が言ったらば、同じ八戸南部に住んでいる豊島さんとしても、それは初耳のようでした。
「盛岡南部は別地として、福井の永平寺の傍の大野というところに領地を持っていたのです。南部陽一郎氏はそこで生まれたのです」
私は妙なきっかけで、と言ってっも多少の縁はあったのですが、陽一郎氏の従妹に当たる方と親しんでいたのです。妙なことで会ったというのは、彼女は偶然にも家の近くで小さな「依託の古着屋さん」の店を出していたのです。店前に置いてある小物が気に入って購入してから、時々立ち寄って話しているうちに、その女性は南部さんという人だと分かったのです。
「もしかしたら、盛岡の南部さんじゃないですか」と聞いたところ、「なぜですか?」とちょっと驚いた風でした。
陽一郎氏の若い頃の顔もそうですが、この一族は皆ゆったりとした特徴のある良い顔なのです。名前を訊いたら「明美です」という。「嘘おっしゃい!」と笑って受付けなかったら、「じつは“明美“という名前が好きでそれを使っているんです。本名はお店の名と同じです」という。
どこか、学校の数学の教師をしていたそうですが、人間関係が嫌になって、今はデザインの仕事を店の奥でやっていて、古着の売り上げは野良猫のエサ代と、あとは社会奉仕としてどこかに寄付をつづけているそうです。
彼女は下町のマンションにつつましく一人で暮らしているのですが、時々掘り出し物が店に置いてあったのは、知り合いの“シロガネーゼ”に依頼して店に出したものだったようです。
忠臣蔵の「南部坂の別れ」の坂には南部家の上屋敷があった処で、港区の「有栖川公園」は下屋敷だった処なのです。「今はもう何も無いです」と微笑みながら語ってくれたのですが、戦前ならば、彼女は“伯爵令嬢”なのです。
Tuesday, January 13, 2009
豊島重之(1)
「illumiole illuciole」
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 ー1ー
これは昨年11月9日に観た作品のことなのだから、今になってブログに書き込むなんて、おかしなことなのですが。
でも、これについてはすでに、公演あとに5日間に亘って書き済みで、「下書き」として保管してありました。しかし、
いろいろ考え過ぎて、そのままの状態で放って置きながら、何時も頭のどこかで気になっておりました。
それが年末になって突然、高沢利栄さんから電話がありました。「いま、豊島重之といっしょに東京に出て来ていますが、会えないでしょうか」。宇野邦一さんの台本の、勅使川原三郎のシアターXでの公演のための上京の翌日のことでした。
突然のことだったが、早速新宿の中村屋のカフェで待ち合わせることになった。在京中のご子息も一緒に見えて、そのあと場所を新宿南口の駅ビルの中の店に移動して、ビールを飲みながら話がつづいたのです。
豊島氏はつねに、時間と地域性に追い込まれ、つねに性急に問題の核心に迫って討論しがちなのですが、すべてが散発的な私との場合はそうも行かないようで、結局まとまりの付かない話になってしまうのです。
今になってはもう、その時に何を話したのか分からなくなってしまった状態なのですが、永いこと接触が途絶えていた豊島氏が今どのあたりに居て、ものを考えているかが朧げに分かってきたような気もするのです。
あの3日間の公演の内容と、演劇論の「アフタートーク」については、私は1日だけの参加だったので、正直なところ了解しかねている部分もあるのですが、自分としては、直観として何が目的であのように作品が布石されていたかは推測できた積もりでいたし、その後八戸から送って来られた3枚の新聞批評コピーを参考にしながら、私なりの、あの作品をベースにしての、作品批評ならぬ豊島論を、このブログにおいて何回かにわたって展開して行きたいと思います。
今日は、その導入部になるのですが、先ずその解析的な方向性を示しておきましょう。
豊島重之氏は、これまで精神医学の立場を軸に、言語学とフランスの現代思想を方法手段としてやってきたのですが、時代の流れを観るのに聡い彼としては、現在注目されている脳科学の最前線と量子力学の新たな発見に目を向けはじめています。
しかも、決定的なことは、脳と身体との対比から、こころの定義を脳と身体からも拡張して捉えるようになったことでしょう。
それは、おそらくドーキンスの生態学的アプローチの影響によるのかもしれないが、たとえばドーキンスが蜘蛛の巣が蜘蛛にとってそのまま、こころの表れとしての生活様態だとするならば、人間にとっての言語を手段としたウェブの世界も、さらに動きと言語を手段とした演劇も即、“こころ”の様態だということができる訳です。
そして、それはまた一方で、人間と環境との繋がりを行為によって展開してゆくアフォーダンス(環境が生体に対して行為の可能性を提供する)の文脈でもあるのです。ここにおいて、“こころ”は脳の中に閉ざされた段階から、身体各部の内蔵に分散され、しかも環境への繋がりの行為として延長されてゆく。しかも、宇宙の“波動”と“光”がそれに及ぶときどうなるかを提示しているのです。
さらに、これまでの“装置”を中心にした現象学的な手法から、パサージュ(通路)から文脈的な構造に変容させた演劇の構造体において、また一つ、氏によってその中心的なものを探るために文脈に対して工作がなされ、問題が提起される。
空間と時間とがねじ曲げられ、したがって幾何学と代数学とが分離される。その時、はじめてこころが、生命がどの位置に閉じこけれれているのかが判明される、という仕掛けになっている。
このあたりを、詳細にというより、漫談的にというか、渉猟してみようというのが私のこのブログの狙いです。
2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 ー1ー
これは昨年11月9日に観た作品のことなのだから、今になってブログに書き込むなんて、おかしなことなのですが。
でも、これについてはすでに、公演あとに5日間に亘って書き済みで、「下書き」として保管してありました。しかし、
いろいろ考え過ぎて、そのままの状態で放って置きながら、何時も頭のどこかで気になっておりました。
それが年末になって突然、高沢利栄さんから電話がありました。「いま、豊島重之といっしょに東京に出て来ていますが、会えないでしょうか」。宇野邦一さんの台本の、勅使川原三郎のシアターXでの公演のための上京の翌日のことでした。
突然のことだったが、早速新宿の中村屋のカフェで待ち合わせることになった。在京中のご子息も一緒に見えて、そのあと場所を新宿南口の駅ビルの中の店に移動して、ビールを飲みながら話がつづいたのです。
豊島氏はつねに、時間と地域性に追い込まれ、つねに性急に問題の核心に迫って討論しがちなのですが、すべてが散発的な私との場合はそうも行かないようで、結局まとまりの付かない話になってしまうのです。
今になってはもう、その時に何を話したのか分からなくなってしまった状態なのですが、永いこと接触が途絶えていた豊島氏が今どのあたりに居て、ものを考えているかが朧げに分かってきたような気もするのです。
あの3日間の公演の内容と、演劇論の「アフタートーク」については、私は1日だけの参加だったので、正直なところ了解しかねている部分もあるのですが、自分としては、直観として何が目的であのように作品が布石されていたかは推測できた積もりでいたし、その後八戸から送って来られた3枚の新聞批評コピーを参考にしながら、私なりの、あの作品をベースにしての、作品批評ならぬ豊島論を、このブログにおいて何回かにわたって展開して行きたいと思います。
今日は、その導入部になるのですが、先ずその解析的な方向性を示しておきましょう。
豊島重之氏は、これまで精神医学の立場を軸に、言語学とフランスの現代思想を方法手段としてやってきたのですが、時代の流れを観るのに聡い彼としては、現在注目されている脳科学の最前線と量子力学の新たな発見に目を向けはじめています。
しかも、決定的なことは、脳と身体との対比から、こころの定義を脳と身体からも拡張して捉えるようになったことでしょう。
それは、おそらくドーキンスの生態学的アプローチの影響によるのかもしれないが、たとえばドーキンスが蜘蛛の巣が蜘蛛にとってそのまま、こころの表れとしての生活様態だとするならば、人間にとっての言語を手段としたウェブの世界も、さらに動きと言語を手段とした演劇も即、“こころ”の様態だということができる訳です。
そして、それはまた一方で、人間と環境との繋がりを行為によって展開してゆくアフォーダンス(環境が生体に対して行為の可能性を提供する)の文脈でもあるのです。ここにおいて、“こころ”は脳の中に閉ざされた段階から、身体各部の内蔵に分散され、しかも環境への繋がりの行為として延長されてゆく。しかも、宇宙の“波動”と“光”がそれに及ぶときどうなるかを提示しているのです。
さらに、これまでの“装置”を中心にした現象学的な手法から、パサージュ(通路)から文脈的な構造に変容させた演劇の構造体において、また一つ、氏によってその中心的なものを探るために文脈に対して工作がなされ、問題が提起される。
空間と時間とがねじ曲げられ、したがって幾何学と代数学とが分離される。その時、はじめてこころが、生命がどの位置に閉じこけれれているのかが判明される、という仕掛けになっている。
このあたりを、詳細にというより、漫談的にというか、渉猟してみようというのが私のこのブログの狙いです。
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