Wednesday, January 14, 2009

豊島重之(2)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ーすべてが、波動なのだー
 
 ステージで、ということは無音の観客の前で、じっとしていることは辛いことだ。私自身も最初のマイム公演のとき、それをつくづく感じた。一時間あまり音楽なしで、緊迫した空間の中で演技し続けるということも、全く恐ろしいことである。それに反面して、そのような時に音楽というものはどれだけ自分の思いと動きを触発し、励ましてくれることか。正しく登山者が山中に湧き水を見出したときに感じるようなものである。

 この作品の最初の出演者の出だしの演技を観ながら、そんな自分の過去の経験を振り返ってみたりした。
それにしても、いま目にしている俳優は最も辛い姿勢のままでじっと立ち続けているのである。そんな時、からだが雁字搦めになってどう仕様もなくなっている時、人は宇宙の波動を感じるものなのだ。
 じぶんの“脈”と通じるような、“呼吸“と合っているような反しているような。空気の圧力とその中に微かに感じとれる微粒子の電磁波の一種かもしれない“気”の流れも。

 正面の白い壁を背に無理な姿勢で立たされているその前に、ちょうどステージの空間の中央に当たる箇所に一人の女性が、照明の投射機を抱えて屹立したまま、前面の身を屈めている俳優に光を投射している。
 口述が息苦しく聞こえる。客席の最前列に位置するナレーターによって語られていく。口述がすすむにつれ、前面の演技者はメイエルホリドの役であり、ステージ中央に立つ女性はスターリンに相応することが判明する。そして延々と口述されるその上申書の内容は、メイエルホリド自身の演出家としての良心から湧出される自由な表現に関する切々とした弁明なのである。

 しかし、自我を神のごとき絶対なものとするスターリンの側からは、個人の自由な発想など許される筈はない。すべては自分の意のままにすすめること、それが彼の共産主義の意図なのだ。
 自由を失われた世界。それが、この豊島演出では三次元の空間が失われた世界なのである。空間の中央に位置するの者は、唯ひとり“光”を保持するスターリンのみで、この後につづく全ての俳優は三面の壁の上の二次元の世界にいるだけである。

 “光”は生きている間にだけ(壁の前で演じている時だけ)、過去の記憶としての、写真の中に実像として動くだけである。ここで凝縮して感じられるものは、光も、呼吸も、脈拍も、又、セリフの音波も、すべて“波動”なのである。

 
 ここで思い出しましたのは、新宿で豊島さんとの会話の中に出た一つの、今度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏の「対称性の破れから物質が発生する」ということでした。
その時「南部さんは盛岡の南部の一族なんですよ」と私が言ったらば、同じ八戸南部に住んでいる豊島さんとしても、それは初耳のようでした。
 「盛岡南部は別地として、福井の永平寺の傍の大野というところに領地を持っていたのです。南部陽一郎氏はそこで生まれたのです」

 私は妙なきっかけで、と言ってっも多少の縁はあったのですが、陽一郎氏の従妹に当たる方と親しんでいたのです。妙なことで会ったというのは、彼女は偶然にも家の近くで小さな「依託の古着屋さん」の店を出していたのです。店前に置いてある小物が気に入って購入してから、時々立ち寄って話しているうちに、その女性は南部さんという人だと分かったのです。
 「もしかしたら、盛岡の南部さんじゃないですか」と聞いたところ、「なぜですか?」とちょっと驚いた風でした。

 陽一郎氏の若い頃の顔もそうですが、この一族は皆ゆったりとした特徴のある良い顔なのです。名前を訊いたら「明美です」という。「嘘おっしゃい!」と笑って受付けなかったら、「じつは“明美“という名前が好きでそれを使っているんです。本名はお店の名と同じです」という。
 どこか、学校の数学の教師をしていたそうですが、人間関係が嫌になって、今はデザインの仕事を店の奥でやっていて、古着の売り上げは野良猫のエサ代と、あとは社会奉仕としてどこかに寄付をつづけているそうです。

 彼女は下町のマンションにつつましく一人で暮らしているのですが、時々掘り出し物が店に置いてあったのは、知り合いの“シロガネーゼ”に依頼して店に出したものだったようです。
 忠臣蔵の「南部坂の別れ」の坂には南部家の上屋敷があった処で、港区の「有栖川公園」は下屋敷だった処なのです。「今はもう何も無いです」と微笑みながら語ってくれたのですが、戦前ならば、彼女は“伯爵令嬢”なのです。

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