Saturday, January 17, 2009

豊島重之(3)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ー“光面“としての白い壁ー
 
 白い壁は、あらゆる色の光りを四方に乱反射させる。
 スターリンと想定される人物が投射する白色光。白壁を背にした俳優の表情と姿態を、それが余すところなく浮き出させた。それに反して、光を投じられた側からは投射するスターリンの顔は見えない。微動だにしない権威者の影が目に映るだけ。その背後から、他人の声で、自分の上申書のエクリチュールが分節化され、息苦しく読み上げられてゆく。

 そこで、観客として感じとられるのは、演者が空間も、視覚も、セリフも剥ぎ取られている、ということである。ただ、白壁の上に投射されたスライド写真の中の人物だけは、固定された実像なのだが。
 上体がやがて静かに持ち上がる。揺れる。腕がゆっくり放れてゆく。掌と指のかすかな動きがひとりの人間の、それはメイエルホリドなのだが、残された、少ない、命(いのち)の時間への標と見える。

 これは演劇の解体、デリダの「脱構築」の仕組み、工作のようだ。しかし、「脱構築」というが、ポストモダンのオルタナティヴ、あるいは折衷主義とは違う。
 ポストモダンが、モダンを前にすすめるものとすると、モダンから後ろに退けるプレモダンなのだろう。

 最初のメイエルホリド役の俳優が長時間、上体を前に屈めたままで頭を前に向けているポーズは、あれは中国古代の“気功”の最初の「亀のポーズ」なのだ。それに、エクリチュールを記号化しながらも、魔術的な音声言語としている。それはデリダの『声と現象』の論とは別の方法である。

 また、『グラマトロジー』の「差延」はデリダの「差異」に関する新解釈から生まれた哲学用語であるが、それに対して豊島氏のこの作品のばあいは、『イリュミオール・イリュシオール』のタイトルが示すように、魔術と詩想の光(イリュミナシオン)による、人間の自由をテーマにした幻灯演劇のように見える。また、見方によっては、魔術の世界に新しい「身体療法」への科学の通路を探っているようにも思われる。


 私が小学生の時、正月に「鶴は千年、亀は万年」という細い色紙が茶の間の柱にかけられていたのだが、それを見た記憶が何時までも脅迫的に私の心に残っているのは、その記憶と組み合わせで思いだされることがあるからです。ちょうどその頃、町内の同じ年頃の子が、近くの貯水池でスケートをしていて、氷の割れ目から氷下に落ち込め、そのまま死亡した騒ぎがあったからです。

 「亀のポーズ」というのは、ちょうどお相撲の構えのポーズに似ている。その時、背骨を真っ直ぐにするのがコツのようだが、脊髄にエネルぎーを集結させるのだろう。「鶴のポーズ」は太極拳の中に“白鶴亮翅(はっかくりょうし)“の「白い鶴が羽を拡げるポーズ」として残っています。亀のポーズは中国拳法の稽古で似たようなものをやりますが、その原型がやっと中国の少数民族の間から発見されたと、津村喬さんから教わりました。亀も鶴も二つとも、第1頸椎と頭骸骨との間のツボを刺激する方法なのですが、鶴のばあいは、顎を引いて、頭部を上から吊るされるようにするのです。その同じツボの操作で亀は万年も、鶴は千年も生きるエネルギーを持っている、ということでしょうか。

 メイエルホリドの役は最初、私は「ああ、イケメンの男優が演じている」と観ていました。しばらくして立ち上がって、横顔になった時にそれが女優の大久保一恵さんだと分かったのです。私は多少驚いたのです。なぜなら、宝塚歌劇を観ても分かる通り、男が女形をやれても、女は男になるのは難しいようです。白州正子さんも永いこと本格的に能をやられていて、結局は止められたのは、男の筋肉でなくては耐えられなかったからだそうです。大久保さんがメイエルホリドに成りきれたのは、亀のポーズから始まったからかもしれませんね。

 そう言えば、新宿での豊島さんとのミーティングのとき、前述の津村喬さんの話も出ました。豊島重之さんと高沢利栄さんのICANOFが主催した、昨年夏の「68-72※世界革命※典」のグラビアが、雑誌「桿 HAN 特集1968」創刊号(発行所 白順社)の巻頭に紹介されていますが、それにつづいて掲載されている津村喬さんの論『反逆にはやっぱり道理がある』は、気功を通じて中国の「文化革命」当時の政治的状況がよく描かれています。
 豊島さんはかっての津村喬さんの活躍をよく知っていて、その詳論活動の内容を語ってくれましたが、60年安保以来、丸山真男、吉本隆明から津村喬へと時代の指針のバトンが渡されていたのに、なぜ中国の気功世界の真唯中に飛び込んでしまったのでしょうか。

 昨年末、はじめてお会いしたとき、失礼とは存じながら「気功はそんなに面白いですか?」と、冗談のように不躾な質問をしましたところ、ただ黙って笑みを浮かべていらっしゃいました。
 そして、正月の挨拶のメールには以下のことが述べられていました。
 
「気功を始めたのは16歳の時で21、2で本を書いて評論家になるよりも先でした。中国の激動に苦しみながら、結局どんな政治潮流よりも気功と太極拳をひっそりと続けていく庶民に中国民衆の原像を見いだして行った次第です。それでももう一度はっきり自覚をしてその中に入っていったのはやはり70年代後半以降のことですから、先生とも「方向転換」を共有しているかも知れません。私の著書はいろいろありますが、先生のホームページに書かれた物を拝読して、まずこれをお渡ししてと真紀子に頼んだ次第です。」
 
 戴いた著作本は『気功的生活』(発行 同友館)という、こころの暖まる随筆集です。それにお礼のメールを差し上げたのです。真紀子というのはダンサーのオトギノマキコのことです。二人とも京都で生活しているようです。先生と言われていますが、私が津村さんより先に生まれているからだけのことです。

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