Wednesday, August 12, 2009

かもめマシーン(4)

この作品の製作を共に担った演出家と俳優及びスタッフたちは、作品に含まれた意図を、このばあいは事件そのもよりも、被告に課せられる死刑判決という事実を -----これまで日常の生活の上で感じとれずにいたのが、家族という役に身を置くことによって直接、肌身に感じざるを得なかったに違いない。
肉体的により緊密な固まりとして約束された家族という結合体を中心に演じられる芝居だからのでしょう。

この劇をつくる発端は作家、萩原慶太の死刑制度です。
この作家によってあらためて呼び起こされた“生と死への感触”に向って、俳優たちがそれぞれの役を担ったのでしょうか。
だが、この芝居の特徴はそれを表現する身体と言語による表層的な技術にあったようです。そのテーマを観念的なセリフでやりとりでするのでなく、語句または演技を諸制約によって配置し、オブジェ化し、線とフォルムを簡潔にすると同時に、始めてそこに現れたようにしている。

そのことによって、表面的に描かれる一方、その表に現れた意味性を越えて、深層の心理構造を垣間見せてくれるのです。
これこそが、20世紀の初め以来、あらゆる芸術が試みてきた芸術形式なるもので、その本質を突いているように思われます。

しかし、形式と言っても、それはパサージュや色彩や、灰色の効果または空間構造、ことばと演技による描写、かたちと光と影による交錯のあとに、今は“物への触覚的な探索”が中心となってきたのではないでしょうか。

それには、始まりとしての“もの”。つまりオブジェの問題があり、それを描く“はじめての線”、無意識から引きだされる“はじめての意識化(アウェアネス 気付きの心)”、それに本質的なヴァルールとしての<濃淡や明暗の度合い>が重要な要素となるのでしょう。

この芝居の室内に置かれた“赤い花”が、重要な場面転換で、その濃淡と明暗の度合いを微妙に変化させてゆく演出効果は、そのことをシンボリックに表出していました。

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