Saturday, November 10, 2007

仲野惠子の『自分の卵』

ステージ中央前にあるガラスの花。左右の天井からスポットライトが当たっている。それがこれから踊られる『自分の卵』と、どのような繋がりを持つのだろうと考えているうちにベルが鳴り舞台がはじまる。
儀式なのだろうか。上手奥から赤い衣服と白いターバンの一人の女性の踊り手が、地球儀のような金色の球を抱いて、明け染めた白光の中を、花に向ってすすむ。背面は黒一色の緞帳。微かに小鳥のさえずる声が聴こえる。そして、彼女はその球を銀色に咲きひらいた花の中に沈める。
方形に描く彼女の歩行の線が、聖なる域をつくりだす。そして、彼女の記号的な踊りがはじまる。冷たい、速度の早い、線的な踊りである。彼女のからだが踊っているというより、空中に描かれた記号そのものに見える。もう失われた古代民族の祈りを込めた仕儀のように。遠い古層の記憶の踊り。ヴァイオリンの響きが、見えない空間の殻を内側から少しづつ割っていく。混沌の中から、形のあるもの、意味のあるものが生まれようとしている。

ハンナ・アレントは名著『人間の条件』の中で、マルクスの理論が労働と消費の対比のみを中心にしていることを批判し、労働から仕事(工作)という、より人間的・精神的な面を強調して、取り上げている。また、老子の“タオ”、荘子の“混沌”から捉える方法もあるのだろう。あるいは“書”の墨で描かれた「一」という漢字の中に、記号の“意味するもの”と“意味されるもの”が分離される以前の、“全一なるもの”の生命のエネルギーを感じ取ることもできるだろう。
一つの卵、それは自分の卵であって、しかも鳥類、動物、人間、すべての卵でもある。
アントナン・アルトーはメキシコに渡ったとき、タラフマラの岩の上に神が啓示する記号を見た。そして古代人は記号的に踊ることによって、神との交感を得たのだ。

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