Wednesday, November 21, 2007

仲野惠子

仲野惠子をはじめて知ったのは、international dance festival in theater X のGeneral Directer(第1回〜第3回) をやっていたときのことだった。その'94年の第1回のフェスティバルに彼女が選抜されていたのだ。
その時の作品についで3作品を観ているのだが、当時はある程度の水準には達しているが、なにか自分の殻を抜けきれないでいるところがあった。

それが2006年の“現代舞踊展”(東京新聞主催 於メルパルクホール)に参加した彼女の作品『アイネ・クライネ・ブルーネ』では、すっきり抜け切った青天のなかにいる彼女を見出したのである。その公演についで2007年の“現代舞踊展”での『コスミック・ダンス』と、今度の“わびすけ舞踊倶楽部”の『自分の卵』の彼女の作品を観ても作品のレベルが同じ次元を保っている。
当然、彼女自身も承知していることだろうが、『アイネ・クライネ・ブルーネ』の公演の直前に起こった、あの事が原因だったようだ。

それは、彼女がインドネシアのダンス・フェスティバルに招聘されて現地に趣き、公演直前に、彼女にとって何ものにも換え難い、大切な母の危篤を突然知らされたのだ。一応舞台を終え、急いで帰国し、やっと母の死に目に間に合うことが出来たのだが、その時の経験が彼女の存在を根底から変えたようだ。
存在を変えたことが、しぜん彼女の作品を変えたことになる。
踊りというものを“存在”をベースに創りはじめたのである。

仲野惠子の踊りと直接関係したことではないのだが、そこから連想するかたちで、次にモダンダンスとコンテンポラリーダンスの差異を“こころ”と“空間”の側から考えてみることにしよう。

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