Thursday, August 06, 2015

10月公演のために


4)  加藤英弘さん
         
             南部家の人たち(A)

大串孝二さんは、何時も思わぬ発想から意外なことを言い出す美術家です。前のメールでのデッサンの形に対する発言もそうですが、「ひも理論」の時もそうでした。美術と物理学と次元が違うのですが、そんな時、それを私はノーベル賞受賞者の南部陽一郎氏の学説と対比してみるのです。
この“かたち”あるいは“結晶”との“いろ”との関係については、南部陽一郎氏の「量子色力学説」について私は誤解していたようです。南部陽一郎氏の後を追って研究している学者の研究成果を読んでいた時に、「素粒子には色の付いたものがある」と不思議に思いながら読んだ経験があったのです。
しかし、その学者が南部氏の説を信じて、素粒子には色があると仮定して実験を進めていたからなので、結合組織を知るための「仮定の三色」だったのです。
では、大串さんの「デッサン論」の色は仮定でしょうか、これは真性に向う仮定とも思われますが、実際にそう見える場合もあるのです。

自己の真性が自ら働く時、そして真実性が実際に心の中に生じたとき、色とかたちが表出される。それは事実です。しかしそれを中心で動かしているのは、空海の論で言えば、心の中の“智慧”が悟りを開いた結果の、“般若”という状態になったとき、そう見えるのです。
その“本性”を全ての人が “こころ” の内に持っている筈なのですが、そこまで“悟る”ことが難しいのです。
一方、“こころ” なるものは、目の前の“大空”と同じような広がりを持った大きな空(くう)の存在ですが、それが外界で経験した記憶と関係性で充満しているのです。それらを無いものとする浄化した“こころ” の状態を「無相」の状態といいますが、“かたち” を描いても直ぐ消える、“真実性”や“本性”または“仏性”を見い出す前の座禅によって作りだされる状態です。

しかし南部陽一郎氏の「無相」はそうではなくて、新しい事を見い出す時にも、心の空間の中は外界で経験した記憶がそのまま残っていて、「それに注意を傾けながらもある意味で切断されていて」南部さんの心はいつも“般若”の状態なのです。“般若”の正しい思いでいる、ということは、あらゆることに関わっても、それに執着しないということです。なぜか、南部さんはすでに知らぬ間に自分の修行を終えていて、彼の心の“般若”という状態の中で、“智慧”を思う存分に周りの物と関わらせながら、自分の研究対象に向って無数の発想を作り出すことが可能な人になっていたのです。
なにしろ、あのアインシュタインと論争して、相対性理論と量子力学とが矛盾しないということを予現した方ですから。

実は、南部陽一郎さんは福井県の出身というこでしか、身を明かさないまま亡くなったのですが、出は岩手県の盛岡市の南部藩の家系なのです。この家系は優れた才能持つ家系で、陽一郎さんの従姉妹に当たる数学者の南部範子さんから直接聞いた話しですが、当時の福井県の大野村に、南部藩が所持していた別地があり、近くの寺(というと、永平寺に相応すると思うのですが)にその管理を依頼していた、というのです。が南部範子さんの父の代になって、父の弟がその別地に住むことになり、その子が南部陽一郎さんなのです。

南部家はすでに盛岡の城(石川啄木に「不来方 ( こずかた ) のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし十五の心」と詠われた)と、忠臣蔵の「南部坂での別れ」で有名な江戸の上屋敷と、今は「有栖川の宮公園」となっている広大な下屋敷など、すべてを上納させられており、南部陽一郎氏は第二次大戦では戦争にかり出され、帰国後は兵隊服のまま何も持たず、東京の研究所に直行し、夜はその研究室の机の上で寝泊まりして研究をはじめたのです。正しく座禅ならぬ、白隠和尚の“寝禅”で過ごした時期のことを考えると、氏の持って生まれた性質にもよるでしょうが、この仏道修行よりも凄い生活の明け方の目覚めのときに、数知れぬ発想が湧き起こったとしても不思議はないのです。


ここで空海に再び話しを戻し、空海がもっとも重んじていたマンダラについて触れたい。
もともと、曼陀羅には本質とか精髄とかの意味があり、その曼陀羅絵図の中に本質的なもの、あるいは事柄の精髄が含まれているということを意味する。仏の悟りの本質的なもの、あるいは悟りの領域の明確な図を描くために、最初は、土を固めて“壇”をつくり、その上に胡粉(ごふん)を塗って、それを幾何学的な線で区分けし、仏菩薩の集会を描いたのが最初の曼陀羅で、“壇”という字でマンダラを表わすことがあるのは、その歴史的理由によるのです。

曼陀羅には、胎臓マンダラと金剛界マンダラの2つがあって、胎臓マンダラは「大日教」に、金剛界マンダラは「金剛頂教」に由来しており、胎臓マンダラは大日如来の“理法身”、金剛界マンダラは大日如来の“智法身”によって表現されており、“理法身”は絶対なる理法を、“智法身”は完成した智慧を象徴しています。そして金剛界の方は男性的で、胎臓界の方は女性的見方としても見られ、両曼陀羅は唯一絶対者である“法身大日如来”の両面なのです。

胎臓マンダラと金剛界マンダラは、ちょうどエマヌエル カントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」との対比に相応うものですが、上述のように作者が同じものでない「大日教」と「金剛頂教」は別々に発生したもので、2つの曼陀羅を両曼陀羅として合わせて崇拝したのは、多分空海の師の恵果(けいか)からではないか、と言われています。
空海は師に従って両曼陀羅を掲げて崇拝し、その解釈をもっとも大事にしていたことは前述した通りなのだが、空海独自の解釈が両マンダラに対してあり、胎臓マンダラは世界の素材として、地・水・火・風・空の物質の五大だけを原理的なものと考えているがそれが形成する全宇宙を生命的なものと捉えていて、金剛界マンダラへの発展的動きも考えていたのです。

そして,一方の金剛界マンダラでは、その地・水・火・風・空の五大に対するものとして、あえて“意識”ではなく、“識”を精神的なものとして、対立あるいは平等化させ、幅広い活動の方向性を持たせている。そして“識”に対する一方の“意”の方は、インド密教とそれを受け継いだチベット密教のタントラヨーガに委ね、これが父(フ)タントラと、母(モ)タントラに別れ、その中の父(フ)タントラから発生したのが「無上ヨーガタントラ」のダライラマの系統です。

この“意”というのは、意志とか意識とは違って、人間のいちばん奥に潜む人間の生命力に関わるもののようですが、それはインドとチベットだけの独自の文化のような気がします。私が思うには、空海はここで、人間だけの宗教的世界に奥深く入ることよりも、人間が自然の中で他の動・植物や有・無機物と生命的にいっしょになる方を選んだのだ、と考えたいのです。そのために身体中心主義の“意”から離れて、“識”だけになった場合、いかに物質的な五大との間に生命的なものを感じ取れるかを先ず試みることが第一だ、考えてくれた、と思いたいのです。これが私の幻想を交えた解釈学です。
それは単に、インド密教とチベット密教に対してのことだけでなく、大乗仏教のナガールジュナの「中論」依来、引き継いでいる、人類に与えられた宿題なのです。

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