Friday, August 14, 2015

    及川廣信ダンス公演

『ゴッホ、アルトー、ウッチェロへとめぐる 一つの神話
 
  ※ この作品は平面→立体→現実空間→細分化 によって、
日常の場そのものが生体として動き始め、現実が即、神話
であることを(下記、第1場〜第4場をもって)提示する。

   「 ———— 私には、こんどこそ、
   まさしく今日のこの日に、
   まさしく今、
   この19472月というときに、
   現実そのものが、
   現実自体の神話が、神話的な現実そのものが
とりこまれつつあるように思われるからだ。
(アントナン・アルトー『ヴァン・ゴッホ —— 
社会が自殺させた者』粟津則雄訳、筑摩書房)

 
【第1場 “中(ちゅう)する” ということ】
(1) 易経に “中(ちゅう)する” という言葉が出て来ます。
 私は矢野さんのこの(ニューマンから受け継いだと思われる、カンバスの画面を二分し対立させた)画面構成から、自然的に“陰陽”の対比を思わざるを得なかったのです。というのは、アルトーとの接触以来、アルトーが当時予測したものを、東洋の身体メソッドによって証明することを義務づけられた、と自認しているからです。
 “中(ちゅう)する”ということは、どういうことかというと、上の二分され対立する画面の間に通路を置いて、たとえば右サイドを開放的な意味を持つ“陽”とし、左サイドを凝縮した力を持つ“陰”とする。そして、その間を歩行するということは、この右サイドの“陽”と左サイドの“陰”から影響を受けざるを得ない、ということです。“易経”の“中(ちゅう)する”という意味は、自然の中に生かされている我々としては、その時の周りの様相に的確な処置をとるということにほかなりません。

  そして、“中(ちゅう)する” という意味は、からだの中心線の重要さに対して、タオが “中(冲)脈” という言葉を使用するのと相通じるのです。
 からだの重要な中心線上に背柱があり、その中に脊髄が通っている。そこの造血機能を持つ赤色脊髄は、“元(原)気”を所有する腎臓の指示を受け、“血液細胞”を産出しているのですが、空海によると、そこは宇宙と合一する「アー」の音で、色彩は「黒」なのです。インドの古代語であるサンスクリット語の「ア」は否定の意味を表わし、「ア」が接頭語として付くと、その後に続くものを否定することになる。それ故に「アー」はすべての現象を否定して、その奥に隠れている宇宙の中の根源的なものと合体することになる。その絶対なる真理を「本不生」という。
 ここで、矢野さんが何故最初にカンバスに黒を塗ったか、の理由が釈明されるのです。その上、興味を持ったのは、矢野さんがファン・ゴッホの晩年の名作「黒い糸杉」のイメージを大切にしていることでした。

 (4) 私のダンス作品の第1場は、日本の着物の帯が左右に敷かれた間を “中(ちゅう)する”ように歩いて行く役を、ゴッホの「黒い糸杉」に演じてもらうことにしました。植物である「黒い糸杉」はなぜ歩いてゆくのか。それは悪魔が退散した夜明けの4時ごろに、その黒い糸杉が憤怒のため “青黒く” 変じ、「蔵王権現」のように怒りをこめて歩き出すのは、なぜか。
 それは、人間の中心部である「植物性」が語る真実なので、ここにゲーテの「葉」を“根源(UR)” とする”形態学”が絡んでくるのです。ゲーテの“根源(ウル UR)” なるものを代表する、植物の「葉」の意味するものは、果たして何なのか?
 それは「種子」のような時間的な起源とは違う。それを説明することに大変な困難を要するのですが、植物が葉の葉脈を通じ化学的に自然との交流のバランスをとって生きてゆく、そのことが最初の易経が述べる “中(ちゅう)する” に相応するのでしょう。
 では、人間の中心部にある植物性としての「黒い糸杉」が、なぜ青黒く怒りを込めて明け方に歩き出すのか。それを説明するためには、密教の「金剛界マンダラ」と吉野の「修験道」との関係を、以下に語るほかないのです。

 (5) 修験道の聖地、吉野山蔵王堂に鎮座する蔵王権現は、恐ろしい神力を持つ。その怒りの形相と青黒い色で恐れられているが、この修験道独自の神も元を正せば、修験道と密教との深い繋がりによる「密教の構造とその教えの方法」に沿っているからです。
 そもそも密教の中心的な仏は、釈迦から大日如来に変更していますが、それは変更というより、人間的な釈迦から宇宙の中の太陽を象徴する大日如来に昇華したと考えるべきでしょうが、一方、釈迦と大日如来との関係は、キリスト教のキリストと神との関係に似ています。
 ただし、仏教の場合はそれより複雑で、仏身には次ぎの「三身」があるのです。つまり、釈迦が悟った真理が「大日如来」で、これは歴史的な人物というより「法・真理」なのです。ですから釈迦やキリストのように上から地上に「教え」のために応じて降りて来た「応身」ではなく、大日如来は「法身」なのです。そして仏身としてもう一人、阿弥陀さまがいます。阿弥陀さまは過去世において、この世の苦しんでいる人びとを救おうという願いをたてられた、その報いによって「報身」として加わったのです。

 (6) しかし、この顥教の「三身」の考えは、密教になると大日如来の太陽のシンボルの下に、東西南北を支配する金剛界の四仏に代わります。即ち、東の阿閦(あしゅく)如来、西の阿弥陀如来、北の宝生如来、南の不空成就如来です。そして、この東の阿閦(あしゅく)如来は、けっして怒らないという誓いを立てた筈なのに青黒い顔をして、悪に対する「怒り」を表現しているのです。
 密教は語り出すとなかなか複雑なので、今、目前の問題に添うために端的に述べさせてもらいますが、前述の修験道で大日如来の代理として崇拝されている“蔵王権現”は、この“阿閦(あしゅく)如来”の変身なのです。
 この怒りというのは外部の悪に向うというより、本来は自分の心のなかの “貪”(どん、むさぼり)、“愼”(じん、憎しみ、いかり)、“痴”(ち、おろかさ)の「三悪」に向かってなのです。そして、本当は怒りと同時に、他人に対する暖かいゆとりもある心の、微笑みも同時に表わすべきなのです。
 人間のからだの中の“樹”を表わすものは、「枝葉」につながる肝臓のはたらきと、眼の演技です。そこから歌舞伎の演技が参考になります。しかし樹が歩くとなると、道元の「山が動く」の難問を考慮せざるを得ないのです。これは先の“中(ちゅう)する”に通じるものです。

 (7) 密教は、宇宙の原理と人間の実践修行の図を示すのに、胎蔵マンダラと金剛界マンダラの両界マンダラを使用しています。この二つは対称的に解釈されていますが、歴史的には別々に創られたものです。胎蔵マンダラは“大日経”を、金剛界マンダラは“金剛経”をそれぞれ教本としてつくられたものですが、胎蔵マンダラは「理」を、金剛界マンダラは「修行の実践」を意味しています。
 そして、この両マンダラを通じて密教の趣旨が理解されるのですが、教えを説く如来と、それを聴く菩薩は表面的には地位が違うように見えますが、実は聴いている当人が説いている如来そのものでもある、という逆説が仕込まれてもいます。
 顯教の禅宗では釈迦の両脇侍として扱われていた文殊菩薩と普賢菩薩が、大日如来の代理を務めたり、鬼神としての金剛薩埵(さった)が普賢菩薩と同体になるだけでなく、金剛手や金剛薩埵(さった)のような鬼神も、大日如来の役割を演じることにもなるのです。
 そして、空海はとくに鬼神の不動明王を重要視し、大日如来の代理として捉えてもいたのです。このあたりに密教解釈の難しさと奥の深さがあるようです。

 【第2場 “ゆったりと、ただ無心で ” 行為する → 色価の顕われ】

 (8) John Cage の「 in a Landscape 」に対する私の関心は、最初にそれを初めて聴いたときから始まったのです。これがあのジョン・ケージの曲なのか? という驚きからそれは始まったのです。「———— 塗り絵師の機能はまた、意識的に組織されていない(したがって分析されえない)やり方で果たすこともできる。つまり、自我の命令にしたがって、手探りで気ままに行うこともできようし、自動書記におけるように潜在的な精神の命令にしたがい、自己の精神の構造に照らしながら内部に向かい、夢の地点にまで入りこむことによって、おおかれすくなかれ無意識的に行うこともできるのである。(———)つまり乱数表を用いて確率に対する科学的関心にしたがったり、チャンス・オペレーションを用いて、何であれたまたま起こる事態と一体化するのである。」ジョン・ケージ『サイレンス』(柿沼敏江訳、水声社)
 ここに書かれていることが、それとも、たまたまか私がこの第2場でやろうとしている二筋の日本の帯の中間を渉りながら、偶然的に遭遇する私のからだの部分と帯の部分とが繋がることによって、どのように色価が変化するかの現象の顕われを、ゴッホが描いた「ひまわり」の色価の問題と照合させようとする意図があるのです。

 (9) 光は見ることと関係している。光がないと見ることが出来ないし、色も生じない。色彩は、表面的な感覚だけでなく、内的な意味と価値を持っています。そして向こう側の神秘世界と、日常の現実世界と、その間の境界の色がそれぞれ異なる。そして、この三つを繋ぐ緑の紐とそれらを覆う青色の段階が、この第2場では重視されているのです。
 そして、帯が持つ色彩との関わりの“パサージュ”と“プロセス”においては、「偶然性」と方向性の「十字」、また四角の安定性とそれを対角線で分解した八つの三角形を巡る「分子状の働き」が注意されるのです。

 (10) また各人の価値(ヴァルール)も、その細部を見る力(光)が自分にあって、自覚することができ、他人に見る力(光)があってその価値が認められます。
 内部に向かう光りというのは、自己反省も含まれるが、第1場の「三悪」の場合も、この反省の光りで細分化され溶けることもできるのです。仏教と神道はその力を持っているので、我々はそれを誇りとすべきでしょう。
 “光”というものが、このように象徴化されるが、本当は、物理的に現在、電子顕微鏡で原子の状態を、静止状態を超えて動く状態までも見ることができる、それは強烈な光りをそれに当てる技術が発明されたからです。

 (11) この世とあの世の色。その境界線と飛び地の色。それらを結ぶ緑の色。総合する青い色。これらは理念でなく、糸と唇と舌が織物につながるのですが、縦糸はスートラ、横糸はタントラです。ここで太陽と大地と中空の気の関係を探るのですが、密教と繋がる修験の道でもあるのです。

 【第3場 “細密化する” ということ】

 (12) 細密化は外部と内部に向かって行なわれる。まず、身体を我が身の外部として捉えた場合、さしあたり今問題の“神経”について考えてみると、神経は先ず最初に、伝達ホルモンによる外部知覚の伝達を目的とするものでした。それが外部をよく知る必要から五感に分かれ、器官としての聴く、見る、匂う、触れる、味わう、の五官が備わり、立体的な感覚空間が生じます。
 しかし、神経は外壁系の大脳において知・情・意の分化と情報処理が行なわれると同時に、それとは別に内壁系の腸が舌及び口腔から外壁系の顔面にまで侵出した場合、本来外壁系のものであった神経が、29対の表情筋として内壁系の顔面で働く場合には、神経の働きの差が生じることになります。
 ここで、はじめて能面の表情の複雑さが理解されます。能面は一つの面の微妙な傾きによって、怒りと微笑みと悲しみを見せる。それらの感情は、本来、奥深い場において融合した諸々の感情を代表するもので、その三者が奥に治まった状態が “幽玄” なのです。

 (13) 同じ「形態学」でも唯脳論の養老猛司氏の分野と、“内臓とこころ”を主体とする三木成夫氏の分野とが違うように、日本の「形態学」を拓いた小川鼎三氏が捉えた仙骨の神経の微妙さはまた別の分野なのです。この仙骨の八つの穴は、“易経”の八卦と“風水”のアンテナの役割をします。
 そして、数学者の岡 潔氏が難問を解かれる際に感じる“情緒”なるものは、この神経の伝達構造とどのような繋がりを持つのでしょうか。五官の神経は体内でそれぞれ連結している。そこで「味を見る」とか「匂いを聴く」とかの言葉も生じるわけで、“観音菩薩”の名も、音(人の噂)を聴いて直ぐその人を観にゆく菩薩、という意味なのです。
 これら五感を統一するものは何かというと、空間的な広がりの意味からなのか、それは“音”なのです。“音”は耳の斜め上のところで、太極拳など身体に急を要する場合に使われます。しかし、“音”が五感を統治するといいましたが、それはあくまで身体を基準にしての話で、自然的宇宙を考えると、それは“光”なのです。

 (14) さて、ここで細密化の問題を、“音”自体に向けて語ってみましょう。
 ケージは彼の著書『サイレンス』の中で「最初に空白があり、そこにノイズがあって、その後、音楽家のための音がある」と、彼のスタンスを語っています。「この“音楽”という言葉が神聖なものであり、もっぱら18世紀、19世紀の器楽に使われているというなら、我々はより意味のある用語、〈音の組織化〉という語をかわりに使うことができる。」といい、ついで「電気楽器の特別の機能とは(ノイズとは逆に)音の倍音構造を完全にコントロールすることであり、またこうした音をどのような周波数、振幅、持続によっても使用できるようにすることだろう。」と語っています。
 音楽というものは、西洋ではギリシャ以来の調音の下に作られていて、耳に心地よい感じを与えるものでした。やがて、それに反する12音音楽やノイズ音楽がつくられ、しだいに音楽家の一部は、音楽という言葉を使うことを嫌いはじめたのです。
 ついで「音楽家」の代わりに「音」という一文字を使うようになり、やがてカールステン・ニコライや池田亮司などが、それまで楽音として使われていなかったサイン波やパルス波という電子音の原音を使用しはじめたのです。

 (15) そして今回、無音をベースに「電子音の組織化」をテーマに取り組むイタリーのスチュピオという作曲家を根本忍氏から知らされたのです。
 このスチュピオという作曲家が提示する音の例は、これまで悩んでいた音とダンスとの関わりをいっぺんに解決してくれました。というのは、スチュピオ氏のこの「音の組織化のための提示音」は、ダンサーのからだに刺激と方向性を与えるだけで、強要しないのです。空白をベースにイメージの創造余地を充分に与えてくれ、しかも細密な関係をどこまでも追求してゆけるのです。
 このようにして身体はいたずらに情緒に流れることなく、舌の裏側にある “双龍” は大地と繋がり、舌先は糸のように分かれて中空の事物に向かい、皮膚はベンヤミンが奇しくもいった通り「唇から始まり、唇で終わる」のです。
 そして大地こそ我々の身体に力を与えてくれるのだが、それは太陽の陽(ひ)を受けているからで、その循環の理を知った上で、太陽は昔ながらに510の波動を注ぎ、月は地球を通じて612の周期を与えているのです。

 【第4場 “物質の反抗” → 大洪水】

 (16) 循環呼吸をしながら、唇を振動させ、舌を動かして演奏するオーストラリア原住民アボリジニの木管楽器ディジェリドゥによる演奏は、この場にとても相応しい。
 何故なら、唇と舌によって矢野氏の絵画に手織られた糸を手繰り寄せることは、ビッグバンのあと拡大する宇宙空間の圧力を感じ、ファン・ゴッホが晩年に描いたきらびやかに溢れる色彩が、アボリジニの描く絵と混合して、ちょうど気象の流れのように押し寄せる状景に立合うことになるからです。
 アボリジニが描くあの細密なペインテイングが、激流のように流れだし、遠くに耳鳴りを感じる、と思う間もなく「大洪水」が襲い、歴史が築いた文明と文化を跡形もなく洗い流してしまうのです。
 それは、日常のからだの動きのサイズと、唇と舌による動きのサイズの差が神経を狂わせ、日常には見えなかった世界の振動を覗きみた幻影なのでしょうか。しかし、それはアルトーが日常的に見て感じていた風景のようにも思えるのです。そして、この感覚こそゴッホのあの「カラスの絵(烏の群れ飛ぶ麦畑)」の奥にあるものに共通しているのです。

 (17) アボリジニは、よく大地を渉って旅をする。そして住んだ跡地にエネルギーとスピリットを残す。彼らには歴史という時間がない。語り継がれた天地創造の神話の中で生活している。その生活が “Dreaming” なのです。
 文明社会が細密化するということは、ある意味で解体への道を進んでいることになる。なぜなら自然に反する文明を築いてゆく人間は、第1場で説明した“三悪”が細密な関係性の中で進捗し、結局は自然環境と物質の側からの反抗を受けることになるからです。宇宙と地球も人間と同じようにスピリチュアルなリズムを持って生きている。人間の科学が細密な次元に進むほど、地球とその上にある世界は危険な局面に遭遇する虞れをもつ。それが、パオロ・ウッチェロが描いて警告した「大洪水」なのです。

 (18) ルネサンスの画家ウッチェロは、“ノアの箱舟”の神話によるフレスコ画の「大洪水」をサンタ・マリア・ノヴェッラ教会に残しているが、その独自の遠近法によって名を成し、通称、ポオロ・ウッチェロ(“鳥のパウロ”)と呼ばれていた。
 この“鳥のパウロ”という呼び名は、自分が住んでいた部屋の壁一面に鳥の絵を描いていたからだ、とも言われていた。
 1412年頃、彼はロレンツォ・ギベルティのアトリエに弟子入りする。ある日一人アトリエに居残ったウッチェロが、アトリエの片隅に重ねられていた師匠の描いた絵のうえに、まるで蜘蛛の巣が張ってあるかのように蜘蛛の巣の糸を描き、その中央に蜘蛛も加えておいたのです。このいたずらが発見され問題となって、後でそれがパオロの仕業と知れて師匠に怒鳴られることになるのだが、その結果、ウッチェロの技が評判となります。

 (19)  アルトーは、1926121日号の「シュルレアリスム革命」誌に『毛のウッチェロ』という題名の下に、次のように呼びかけている。「君が、充分に手を加えたキャンヴァスに、君の二人の友と君自身を描いたとき、君は、キャンヴァスのうえに、奇妙な綿毛のかげのごときものを残した。そして、私は、パオロ・ウッチェロ、天啓を受けることなき者よ、私はそのことのうちに、君の悔恨と君の苦しみを識別する。皺とは、パオロ・ウッチェロよ、紐だ、だが、髪の毛とは、舌なのだ。君の或る絵のうちに、パオロ・ウッチェロよ、私は、歯の燐光を帯びたかげのうちに、ひとつの舌の光を見た。まさしくこの舌を通して、君は、生命のないキャンヴァスのなかで、生き生きとした表現と結びついている。———— 」(粟津則雄訳)
 アルトーのパオロ・ウッチェロに対する心の寄せ方は、最初ウッチェロと同時代に仲間だった彫刻家のドナテルロや、建築家のブルネレスキとの比較で語られたのだが、「ウッチェロ(鳥)のパオロ」と渾名で呼ばれているうちに、パオロ・ウッチェロが本名のようになってしまっていた。この彼の鳥への関心に対しても多分アルトーはこころを寄せたのであろう。空を生活の場とする鳥の羽がもつ文様。天空から受ける気象の変化を、鳥がアンテナのようにうける羽の文様は、ちょうどアボリジニが地面に描くドリーミング(夢=神話のなかに生活すること)の図に相応しているのでしょう。
 ギベルティのアトリエで、ウッチェロが師匠の描いた絵のうえに加えた“蜘蛛の巣”の事件以来、「鳥のパオロ」がさらに「蜘蛛のパオロ」とも言われるようになったのだが、アルトーがその上さらに「毛のウッチェロ」と命名している。果たして、これは何を意味するのか。上掲の「毛のウッチェロ」を読むにつれ、これはアルトー自身の生活でもあり、まさしくドリーミングの世界なのです。

 (20) 私は、先月、国立新美術館で、「バレエ・リュス展」の約140点の舞台衣装を観ることができました。ピカソ、キリコなどたくさんの著名な美術家がそれに加わっていたのですが、その中に私はマチスが持つフォーヴィスムの力と、ブラックの、これまで我々が見い出せなかった彼の内面の深さを表わす独特の「色」に、思わず驚きの眼を見張りました。同じ美術家でもキャンバスに描くのと、織るという作業とは全く別で、平面のキャンバスの上とは違った様相が、その衣装の織り目の細部空間に顕われるのを初めて感じました。それはほんとうに驚きでした。
 矢野さんの今度の仕事は、織物ではないのですが、織物から着想を得て、しかも筆を使わず点描しながら絵の具を重ねて、織物の感じを出しています。そして、この矢野さんの絵を「理念的なもの」とするなら、それは密教のマンダラでいうと、両界マンダラのうちの「胎蔵マンダラ」に相応し、それに対して私のパフォーマンス的なダンス作品は、「実践的修行プロセスを演じるもの」なので「金剛界マンダラ」に当たるのでしょう。

 ※ この「演出ノート」に記したことの実践遂行が、豊島さんと矢野さんを初めとし、これまで音について協力を惜しまなかった根本さんを先頭に、当日の舞台実現のために協力される方々になによりも報ゆることになると念じつつ、この筆を置くことに致します。
        (2014718日、及川廣信 記)   

この作品は2014年の8月24日に、八戸市美術館のICANOF第12回企画展において「矢野静明ー種差 enclave」の展示の前で演じられた。
その後、2015年の6月18〜20日に、台湾の台北芸術大学によってワークショップと公演を合わせて招聘された際、2日のワークショップの後、この作品を矢野さん抜きに変更し、3日目に及川独演でなく、相良まゆみと2人で演じた。

No comments: