Wednesday, August 03, 2016

アルトー館公演



9月公演のテーマ

  龍安寺(りょうあんじ)の “石庭“ と
            人体による “動く彫刻”


このブログは結局、3日ほど休みましたが、今日からは新期に、これまでの資料収集だけの仕事とはべつに、いよいよ9月のアルトー館公演に向って、これらのテーマに対して出演者の皆さんは、忌憚なくご意見を述べていただきたい。

このキッド5Fでの公演は、昨年10月の公演と内容的には連結しています。昨年の公演は、空海と自然との関係をメインテーマに、ポストモダンの表層主義と資本主義への傾斜に対する反論から、われわれの新しい芸術への目標として「“認知”から“動き”へ」の方向性を結論として掲げましたが、それが今度の公演のテーマによって思いがけない広がりをみせることになるようです。

その上また、今年は昨年問題となったハイデッカーの『存在と時間』に対する和辻哲郎の「存在と空間」としての『風土』をも、問題として掲げましたが、今年もまた、和辻哲郎氏が尊敬するドイツの歴史哲学者で、かのゲーテに影響を与えたという伝説を持つヘルダーという人物に遭遇し、その驚くべき感性の鋭さと学識によって、ギリシャ悲劇とシェイクスピア劇との典型的な対比を教えられ、また彼の「彫刻論」からは、思いもかけぬ「皮膚」の「触覚」から広がる“空間意識”を提示されたのです。

更に、われわれは、昨年と同じテーマに別の角度から引き続いて当たる運命にあったのですが、それは昨年から残されていた「日本のアートの根源を歴史的にさぐろ」という宿題がまだ残っていたのです。

それで先ず、禅文化なるものを、これまで試みなかった角度から探ってみることから古代の未知の問題にまで遡ってみようというところまで皆の同意を得たのです。
それで、前述のヘルダーの暗示による「人体による動く彫刻」と対比的に、あの京都の龍安寺(りょうあんじ)の枯山水の“石庭“の“石”になったらどうかという発案が単なる“思い付き”でなくそれを終らせるための準備に私は励んでいたわけです。

そして、われわれはすべての根源から事をはじめなくてはいけない、という現実の問題に直面し、あらたに覚悟を決めざるを得なくなったのです。

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