Tuesday, September 18, 2007

土方巽「ゲスラー・テル群論(3)

アルトーは肉体よりも精神の方が大事だと言った。そして、父なる神に使わされてこの地に来たり、我が身を犠牲にしたのが神の子イエス キリストである。その十字架像と、母に抱かれる死せるキリストの“ピエタ”は信者の精神性を高める。そのためには、キリストは衣服を纏ってはいけない。身体はギリシャ的なふくよかな美しい体ではなく、そぎ落とされ悲劇性を持たなくてはいけない。画家と彫刻家たちは、中世からミケランジェロの時代に至までそのことを求め続けた。

結果として、十字架上のキリストの姿体は、十字よりY字の方が悲劇性が勝っていること。躯幹については、胸は肉をそぎ落とされ、あばら骨が見え、腹部は陥没しながらも痩せ細った筋肉が苦悶の波を見せている。躯体のどこにも丸みはなく、冷たく、北方的に硬質である。悲劇性のポイントは胸から腹部への境界線の傾斜、腰と上脚の線、そして膝頭。また、末端の手首、足首の表情に加えて、頭部の傾き。それらの纏まりはゆるやかなフォルムをつくり、部分が悲劇性を呼び起させながらも。上から流れるリズムを感じさせること。

じつは、土方巽が密かに自分の体作づくりに励んでいたのは、この十字架と“ピエタ”のキリストの身体だったのである。クラシックバレエもモダンダンスも方法は違うが、しょせんギリシャの理想的な体なのである。それは精神のために肉体を犠牲にすることはない。ただ、東洋のヨーガだけがこれに近い。ヨーガと言ってもウパニシャッド ヨーガとパタンジェリの古典ヨーガだ。
大野一雄の研究の対象は皮膚であったが、土方巽は筋肉と骨格であった。したがって一方が感覚から感情にすすみ、他方は直観から知性へと向っている。これは、2人とも特殊である。

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