Sunday, September 09, 2007

ナンシー国際演劇祭と塩谷敬(1)

大野一雄のナンシー国際演劇祭での公演について、かって演劇祭の選考委員であった塩谷敬にその頃の事情を聞いてみようと電話したところ、夫人が電話口に出られ、氏はフランスのカンヌに出張中とのこと。後ほど連絡をくれることになったのだが、夫人が「ナンシー国際演劇祭 ーその誕生と終焉ー」という塩谷敬の記事が掲載された小冊子を送って下さった。その中の相当する部分をここに抜粋してみよう。
「ー 1980年は二年続きの演劇祭であるが、季節を春に戻している。この数年前から世界各地の芸術祭で顕著な傾向を示しているのが、舞踊グループの参加増である。ナンシーでも田中泯、笠井叡、山海塾は評判通りの踊りを披露、当地でヨーロッパデビューを果した大野一雄は話題を独り占めした。」

大野慶人にも訊いてみた。ところが、慶人はこのフェスティバルには同行していないと言う。というのは、慶人にとっては大切な縁である大仏次郎夫人が、その時ちょうど危篤の状態だったからである。現にナンシーでの公演日が5月18日であったが、夫人はその翌日の19日に亡くなられた。
ナンシーへ同行した出演者は、秀島実、上杉貢代、中村森綱であった。

私は、招待の交渉に来日したのは塩谷敬だと、今まで思っていたのが違っていて、現在ピーター・ブルック劇団の照明監督をやっているジャン・カルマンだったらしい。なお、ナンシー国際演劇祭の実行委員長は、この時すでにジャック・ラングではなかった。
創立者のジャック・ラングが実行委員長を勤めたのは1963年から'77年までだった。彼は'81年にミッテランが大統領に当選した際に文化相に就任し、'86年まで第一期の役を務めている。したがってナンシー大学に通う傍ら、ジャック・ラングの下で働いていた塩谷敬も、ナンシーからパリ大学の大学院に移り、演劇を専攻していたのである。

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