Monday, November 23, 2009

豊島重之氏の『マウストmouthed』公演


空海の中心的な思想「身・口・意」は、からだ、ことば、こころの三つが人間のこの世の人間の生活の様体を作り出している元である、ことを提示しています。
豊島氏のこの演劇は、この“口(マウス)”の言語表現のことばを、読むことでなく、聞くことから始まって、その対比として植物と動物と人間性の絡み合う系譜の断面を、フラクタルに描いている身体の“足の裏“から、視覚的にからだの上部へと光を投射し、演技者のアチチュード(固定した様態)の中に“意”のこころの内を辿って存在の真意をさぐっています。

そして、豊島氏のこの演劇では、ことばを外に向けるのではなく内側に入っている。各々の俳優は自然的な発話なのだが、それは人に聞かせるためでなく、かすかに自分にしか聞こえない頭の中の暗闇から糸をたぐってはつなげて言語として意識化したもの、まだ発声されて有声になる前の無声の声を聞きながら話している。
ということは俳優は、矢野静明氏の書いた文を読むのではなく、自分の頭脳の“泥丸”からはじめて意識化されて出てきたような無声のことばを聞いて、それをひとりごとのように話しながら頭で理性的に確認しているのである。そして観客は矢野氏の書いた文を読むのではなく、そのような過程で聞くことになる。

なぜ、このような面倒な周り道をとらなければならないのか。なぜいつも地面を踏みつけている足の裏を感じなければいけないのか。
それは、これまで眼の明晰な意識と論理と理性に支配されてきた文化というものを、体内の五官が絡みあった細密な次元で、視覚を内側に向けて関わらせ、その明晰な明るさを曇らせたいからである。そしてその時、耳の聴覚がとらえる波長の旋律が隣り合っていることを知るのである。 


事柄の真実、または誠実を求めることは、“意”の生命的なものの奥をさぐることにある。いわば「存在とは何か」に付属するもの。
現実の表面の様相の奥にひそむ“真”をさぐるのは、芸術の“美”を求めるのと同等の役割だ、と歴史は伝えているように思われる。それらのことはアリストテレスの『詩論』の“実”の世界を“虚”のステージに「ミメーシス(真似または模写する)」することによって“真”を見出し、また観る者は感情的にドラマに同化して「カタルシス」の作用を起し、自身を振りかえることによって内部の広がりを得る。
そてとカントの『判断力批判」においては“美”の最高のものとして「崇高美」を挙げている。
  
この存在の真意をさぐる作用として、芸術の近代の歴史はムーブマンからジェスト、そしてアチチュードへと向かいつつある。これは演劇、ダンス、音楽、美術のすべてに亘ってのことのようです。
近代劇の出来事を追った数を基本とする三幕、五幕、あるいは序破急のムーブマンのながれ。
それに対して、ベンヤミンはブレヒトの演劇をジェストの演劇と評した。資本家とプロレタリアが持つ、衣装と動作のがちいに中心を置いている。いわゆるモダンのスタイルはジェストである。

西洋の近代とは違った意味で、日本の古典の能はムーブマンの演劇で、歌舞伎はジェストの演劇である。
それらに比してこの豊島氏の演劇は完全なアチチュードの演劇です。存在の真意を問うためには、このアチチュードの構造と数の配置が必要なのである。


この芝居の話題にのぼる丸山真男と滝口修造は、どちらも歴史的に誠実さをもって時代にいどんだ2人である。しかし歴史の洗いなおしにおいては、私の感じる限りでは、2人はイメージ的、観念的過ぎたのではなかろうか。歴史のつながりとして、というより歴史の穴埋めをするように、豊島氏が演劇のこの“虚”の場において提出する素材は、身体内部の臓器と細密に関わる眼と耳の問題である。食べ物を入れる口を通して、ことばだけでなく、目の働きも含めて外部から内部への方向性をとったのであろう。

そしてブルトンのシュールリアリズムの上に立った滝口修造の晩年の郷土への密着を肯定しているものの、ブルトンのリアリズム意識に反抗してグループを脱したアルトー、またブルトンに対立したバタイユ。あるいは眼と耳に迫ったベケット。声と触覚の問題に取り組んだデリダ。そして飽くまでも追求の筆と、彫刻の鑿を休めず、からだの中心線と宇宙との連結を求めつづけたジャコメッティ。それらが、この作劇の配置の内容を深めているように思われる。

公演終了後、鵜飼哲氏の黒田喜夫氏に関する地理的、風土的な別な角度からの話しがあり、公演内容とは関係がないように見えていながら、時間的ムーブマンからの見地から地理的、空間的、風土的な観点で観ることを暗示していた。
今の社会的、政治的な観点の傾向、それは『地中海』の歴史家ブローデルからはじまって、地勢学を基盤とする社会学のハーヴェイに至る線ではなかろうか。
それはまた、この豊島氏の重要な演劇のベースであり、現在豊島氏が関心を抱いている写真家の関口啓二氏のアイヌの痕跡を遡る仕事でもある。


ここで作品制作者をさらに検証してみよう。
私が気付かなかったことであるが、ブラージュという俳優が立つ“光面”に、ひとつ俳優の誰もその上に立たなかった時があると、演出家の豊島氏から告げられた。それはたしかに重要な意味をもつと思う。しかしそれよりも、それは4番目の展開の時だという。この4という数。それに8という数が豊島氏にとって大きな意味をもつようだ。
ということは、このアチュチュードの劇においては4と8が大きな転換の意味をなしているということだ。
チェーホフの劇が他の劇作がすべて3幕か5幕で書いている時代に彼だけが4幕の芝居を書いていた。豊島氏のばあい、このチェーホフの4の意味とは違うようだ。4より8の方に重きをおいているように思われる。そして、その8はヨーロッパのキャラクターの類別の8とも違うようにも思われる。これは私のひとつの宿題としておこう。

音響担当の作曲家根本忍氏の今回の作品は画期的な仕事である。マイクをスピーカーにしてステージの周辺を取り囲ませたということは、豊島氏の外に向うべき話術を内に向わせたことを
的確に演出している。このように、器材が人間のように演技するという設定は、私は始めて経験する驚きであった。

最後に、演技者について語ろう。
鷹司章伍という俳優、この公家の出かもしれない男性の“たおやか”な声が「主張しない演劇」を、観客の瞼を閉じらせたままはじめる。
大久保一恵、田島千征、秋山容子、高沢利栄の4人の女優は“光面”の場を交互に入れ替えて演じる。4箇所の“光面”の場は、同じく肩幅サイズで狭く、位置を移動するムーブマンをすることができない。殆ど固定したアチチュードをとって下から光線が身体を仰ぐかたちとなる。
また、時にはアチチュードが変じて、からだの一部が動いたり、表情がついたりのジェスとの状態となる。

私が思わず眼を見開いて見たのは、これは理論的には考えてはいたのだが、移動できない位置にいながらステージの上にムーブマンが見えるのである。ここではじめて、大文字のアチチュード(Atttitude)が、小文字のアチチュード(attitude)とジェスト(geste)とムーブマン
(mouvement)を含みもつことができたのである。





Saturday, October 31, 2009

かもめマシーン(12)

3)萩原氏の「かもめマシーン」


チェーホフの『かもめ』とハイナーミュラーの『ハムレットマシーン』との繋がりは、だいたい推測できたと思います。

が、果たしてそのような結びつきを考えた上で、萩原氏が「かもめマシーン」を自分の劇団名としたかどうか分かりません。

しかし、彼が上演した『家族』を観た限りでは、テキストを大切にしていると同時に、それを再現するにあたって、ハイナー・ミュラーやロバート・ウィルソンなどの手法を頭のどこかに置いていたように思われます。


ステージに配置する役者の幾何学的構図

舞台ぜんたいの方角的な使い方

断片化したセリフのやり取り

会話の論理的な進展と、突然の頓挫

沈黙の場の息使い

薄明の中に浮かぶ赤いランプの光

精神病者の言葉にならない声

ラジカセから聞こえる外部の音楽


『家族』は家庭劇ではあるが、家族間の交流は閉ざされていて、外界は空間的には遮断されているのに家族に死刑犯が生じたために、外界からの空気の圧力が強く、家族全員が死に隣接したいのちの淵に立たされている。

そのあたりがチェーホフの『かもめ』とハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン]がのぞく世界と共通したものがあるような気がします。


演劇は“実”から“虚”の世界へ踏み込むことですが、その踏み込む跳躍のエネルギーが演劇の歴史の上の世代によってそれぞれ違う。

1997年以降に演劇の世界に入った人たちは、それを軽やかに飛び越えているように見える。

それは虚の世界と実の世界が平面化したコンピュータ世代の特徴かとも思うが、サブカルチャーの動きのせいもあって、日本の風土がじかに身に付いて、芸術の「形式」において底辺から変革が行なわれつつあるような気がします。


最後に、前にも触れましたが、「集団」のつくり方が求められる時代になってきたように思います。それは、芝居づくりをする時の集団の力の配分と言ってもいいでしょう。演出についても、すでに独裁的な演出家の時代ではないような気がする。

もし天才的な演出家がいたとしても、一人の才能では間に合わないものが今は演劇に対して求められてきている。それは脚本、美術、映像、音楽のそれぞれが芝居の中心的な部分に入って来ることが要求されており、各部門がこれまでのような一人の演出家のスタッフとして協力すれば済む段階を越えてしまっている。

これまでの劇団づくりとスタッフへの依頼の時代から、緩やかな集団づくりと同時に、関連する学問、芸術分野の研究体制をこそ考慮すべき時代となったような気がします。

かもめマシーン(11)

2)ブレヒト/ハイナー・ミュラー/ウィルソン

『ユリイカ』の「ハイナー・ミュラー特集号」の中で、聞き手のペーター・フォン・ベッカーのインタヴューの冒頭の質問「あなたは折り触れておっしゃっていますね。あらゆる芸術は、自分の書いたものを含めて、死者の記憶である、と。」に対してハイナー・ミュラーは「ふむ」と応じた後、次のように語る。

「私が戯曲を読み始めたのは、 10か12の時。確か最初はヘッベルで、それからシラー、その後クライストとシェイクスピア。そこにして死者たちのダイアローグです。そしてどの時代でも戯曲というものは後に生まれるもの。まず叙情詩、叙事詩、それから散文。それはつまり、戯曲は前もって作られた素材を、源を頼みとするものだとも言える。最初の特殊な例外はチェーホフであり、家庭劇に限りますがストリンドベリとイブセン。」(本田雅也訳)

私はこの中にハイナー・ミュラーの『ハムレット/マシーン』の秘密のすべてが含まれていると思う。


ハイナー・ミュラーが『ハムレットマシーン』を書いたのは、マテリアルなもの(素材)を対称にしながら、戯曲の形式では多くの大切なものが漏れるので思い切って詩の形に凝縮して、それを元にどのような形式の演劇でも演じれるマシーンにつくり変えたのである。
それには、最も矛盾を含んだ、複雑なテキストとして彼の記憶の中に残っていたシェクスピアの『ハムレット」を素材として使うのが最良と考えたにちがいない。

そもそも戯曲は演じるがためにあるもの。アリストテレスの「ミメーシス」論によれば、現実の問題を解くため、虚の場を借りて仮に仕組みを建て、事を起して、見えなかった現実の事柄の底辺にあるものを掘り起こして見せるのである。そして観る者は、それを見て「カタルシス」を感じ、己れを浄化し、外に開く。
それは祭りにも準じる催し物だったのである。

その上演にあたっては、劇の仕組みとしての時間的、空間的構造が必要で、またいづれも「数」の問題が重要だったのです。
たとえば、時間であるなら、日本では序破急という三段階がある。幕仕立てなら三幕劇、またその中の山場の“破”の部分を、さらに序破急の三段階に分割して五幕劇にする。
それに対して、四幕劇に三の破綻の元を含ませて家庭劇をつくったチェーホフという作家はミュラーの言うように変わった作家だったのだ。

芸術家の創作とはいえ、しょせん頭の中の過去の歴史の記憶の組み合わせに過ぎないので、それは形式づくりの競争にすぎない、とミュラーは言う。
そして演劇のばあいは、時間的なストーリーにこだわり過ぎた結果、再演(現実を仮の虚のステージに模倣、再現する行為。 ミメーシス represantation )の中で演出家たちはその演出法に足掻いて来たのである。
その代表的な演出家とは、まずブレヒトであり、その影響を受けたフランスのブレヒティアンのロジェ・ブランション。同じくフランス人のヴィテーズとシェローたちであった。

東ベルリンの“ベルリーナ・アンサンブル”を率いるブレヒトをハイナー・ミュラーは尊敬していた。それを正統に受け継ぐ者として自らを任じてもいた。1970年、バルリーナ・アンサンブルの文芸部員となる。
しかし、ブレヒトの若い時の「マテリアル」の時代は納得できたが、スターリン体制下の東ベルリンに移動してからのブレヒトの作品については、その演出法と演技術の“異化効果”は別として、共産主義へのプロパガンダ的な“教育”向けの戯曲については肯んじなかった。
ブレヒトの友人のベンヤミンは、ブレヒトの演劇を「階級闘争を明確化する“ジェスチュア”の演劇である」と評していた。
それは京劇または歌舞伎に類似した、一般民衆にも明確にその社会的位置とキャラクターが了解できるような演技と舞台構成だった。

19777年にミュラーは『ハムレットマシーン』という作品を世に提出した。それはひとつのスキャンダルだった。この『ハムレットマシーン』をどのように演出するかが、世界の演劇界に与えられたテーマでもあった。
1979年に『ハムレットマシーン』はパリで自作『モーゼル銃』と合わせて初演されたのを皮切りに、幾多の演出家によって試みられた。1983年にミュラーはアメリカの演出家ロバート・ウィルソンと知り合う。
そして翌年の1984年、ウィルソンの『死・破壊そしてデトロイト1(DD&D1)につぐ大作『ザ・シヴィル・ウォーズ』ドイツ版のボッフム初演にテキストを提供。1986年にはミュラー自身から白羽の矢を向けられ、1988年に『ハムレットマシーン』はロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出される。東ドイツの国家賞を受賞。
そして1990年には、ドイツ座にて上演時間7時間半におよぶ『ハムレット/マシーン』をミュラー自ら演出する。またフランクフルトでは、ミュラーを17日間にわたって特集する<エクスペリメンタル6>が開催され、インタヴュー集『人類の孤独』が刊行される。そしてこの年10月3日に東西ドイツの統一が行なわれるのである。

ここでわれわれは、あのベルリンの壁のあった「鉄のカーテン」の時代に、このように自由に西側で自由に動いて仕事をしているハイナー・ミュラーという人間の不思議さを思う。
実際には、彼は東側のベルリンでは“ベルリーナ・アンサンブル”に籍を置いているものの、危険人物として作品を東側では発表することが出来なかったが.しかし西側でドルを稼ぐ人間として自由に「鉄のカーテン」を越えて出入することが出来たのである。

1990年にミュラーによって東ドイツのドイツ座で7時間半におよんで上演された『ハムレット/マシーン』(壁の崩壊と前後して構想されたこの公演『ハムレットマシーン』ではなく、『ハムレット/マシーン』となっている)は、本体の『ハムレット』をそのまま新解釈で上演し、進行する中程の、ハムレットがイギリスへ旅立つ場とオフェリアの狂乱の場の中間に『ハムレットマシーン』を挿入している。

それに対する1988年の、ロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出され『ハムレットマシーン』は、ウィルソンの質問に対して50分ぐらいが適当だろうとミューラーが応えたのだが、実際には上演が2時間半にも及んでいる。
それは最初、俳優の動きだけが振り付けされ、後からテクストが分割されて配分され、5つの場面のシークエンスがそのまま角度を変えて繰替えされるような、凝縮されたテキストをあらゆる面で拡散、拡大するような演出であった。

このようにして、上演不可能とされていた『ハムレットマシーン』がロバー『ト・ウィルソンによって(配置)と(イメージ)を主眼とした見事な静的ドラマツルギーが展開されたのだった。
ウィルソンはすでにフィル・グラスの音楽監督といっしょに1976年にオペラ『海辺のアインシュタイン』を上演していた。そして1995年、アメリカのテキサス州ヒューストンのアレイ劇場で『ハムレット ー独白』ウイルソン構成・演出・主演の一人芝居が上演された。
それはウィルソンのドラマツルギーとセノグラフィーの空間にハンス・ペーター・クーンの音の協力が加わったものだった。
その年の12月30日、ハイナー・ミュラーは癌に肺炎を併発し死去。


Thursday, October 29, 2009

かもめマシーン(10)

1)チェーホフのドラマツルギー

萩原雄太氏は『家族』では作家/演出家で、またプロジューサーでもあったが、ときには俳優の役を買って出ることもある。ただし役を演じるのは自分の「かもめマシーン」以外の他の劇団に依頼されたときである。じぶんの「かもめマシーン」の公演のときは彼は舞台には出ないそうだ。
以前、集団「たま」の公演のときには彼は俳優として出演していた。今度の『家族』の配役のなかに集団「たま」の中西彩華さんが出演しているのは、2劇団の交流を意味しているのだろう。

そのように萩原氏は多彩な才能を持っているのだが、本筋は劇作家ではないだろうか。ただ、書くだけの劇作家に止まることなく、演出構成を予測した描き方をする作家である。
それが新しいドラマツルギーの発生の傾向なので、戯曲の根幹としての「時間的な劇の流れ」としてのドラマツルギーから脱出した「空間的な場面構成」として演出法と密着する、新しい観点からのドラマツルギーである。

チェーホフは他の劇作家と違って、波乱を含んだ3幕、5幕の方式でなく、周期的な日常の循環性をベースにした4幕形式をとっているが、進行する機械(マシーン)の内側の微妙な軸のズレから土台柱が破損の道に向うかたちになっている。
とくに『かもめ』の劇進行においては、第三幕までの時間的な劇の流れのドラマツルギーとはちがって、第四幕は「空間的な場の構造」の新しいドラマツルギーへと変じている。そして現在の演劇・ダンス界のドラマツルギーへのフォーカスは、このチェーホフの作劇術を初原としているように思われるのです。

チェーホフの『かもめ』の演劇史においての重要な位置は、はじめての記念すべきモスクワ芸術座の成功というだけではない。次の『かもめ』第四幕での、ニーナのトレープレフに向ってのセリフにもあるようです。
「------ 今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくて、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよー だわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」(神西清訳)
このチェーホフの主調音が『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』へと変わることなく伝わってゆく。それがソヴィエ連邦の社会主義リアリズムの方針に折よく吸収されて行ったのだと思う。

演出と密着する、場面構成と場の構造の「新ドラマツルギー」はやがて「間テキスト」の方向へと向う。一人の作家の文章だけでなく、幾人かの作家の文章をコラージュする。まさしく、ことばが俳優からも、聞くものからも離れて中間に位置し、たがいに他のセルフと結びつきながら自動的にすすんでゆく。この方法は豊島重之、イエリネク、ロバート・ウィルソンなどが使用している方法である。

私はここで言っている「新ドラマツルギー」というのは、かっての作劇術の意味とは違うもので、具体的に演出と溶け合ったかたちで構成を重要視する。劇作家が突出した、今の時代の傾向を指している。
それはかってパトリス・シェローなどが美術家の援助のもとに、歌舞伎的なステージの転位を行なって観客を驚かした「セノグラフィー」につぐ動きである。
つまり、ピラミッド型の演出独裁の時代ではなくなりつつあるのだ。
このあたりを理解するには、ブレヒトからウィルソン、ハイナー・ミュラーにかけての演出上の経緯を述べなくてはいけないのでしょう。
どうも今日一日では纏められなかったようです。



Wednesday, October 28, 2009

かもめマシーン(9)

最初、私は「かもめマシーン」というグループは普通の劇団なのかと思っていた。
その代表が萩原雄太氏だと思っていたのでした。ところが劇団と名乗っているものの正規の団員は萩原氏一人しかいないというのです。つまり、萩原氏がスタッフとか俳優を一人でかき集めて、自分の書いた作品を演出しているプロジュース・システムの仮の劇団システムなのです。
それで公演チラシの裏に<公演主宰者募集>の欄など載せている。またその下には<脚本公開>の欄もあって今作の脚本をwebにて公開します。読んでから来るもよし、来てから読むもよし、来ないで読むもよし。 
ぜひご欄下さい! とある。

ところが、その作/演出 萩原雄太 かもめマシーン『家族』の観想・批評をこのブログで10回に亘って書きつづける積もりなのですが、私は今になってもまだその脚本を読んでいないのです。その芝居を観たまま書きつづける内に、だいぶ台本の筋と食い違って理解しているような感触を持ちつつあるのだが、あえて私なりの考えがあって、観て聴いた限りでの観想・批評を述べつづけているわけです。それもこの今日の9回の後の、明日のブログで最終回にしたい。

それで、萩原氏のプロジュース・システムのことだが、今はそういう時代なのかと知ったと同時に、その方が面倒が起こらず、じぶんが思った通りに事が運べるだろうな、と気付かされたのでした。そういえば、ヤン・ファーブルの芝居づくりもその形態を取っている。
でも常住のマネージメント・ディレクターを抱えているし、最初募集した中からこれはと思った女優は今でも出演している。

劇団というものは、なかなか経営の維持が大変だし、団員を抱えていると人間関係が厄介で、とかく問題が起こり易く、そこから内部分裂が始まることが多い。個人の意見というものは、本人が有名ならば、納得してそれに従う人も出てくるのでしょうが、強引に自分の意志を通すためにはこのプロデュース・システムがいいのかもしれない。

「かもめ・マシーン」という名前からは当然チェーホフの『かもめ」とハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』を思い起すことでしょう。
萩原氏の芝居への道は『かもめ』から始まったようです。それに“マシーン”を付けた理由は、その後ハイナー・ミュラーの影響があってのことのようです。そしてチェーホフとハイナー・ミュラーとの間には創作の上でひとつの繋がりを見い出せる。

「かもめ」は単に最初にやった脚本だからという理由だけでしょうか。そもそも最初にそれを選んだ理由、それに萩原氏が惹かれた理由があったのでしょう。それとハイナー・ミュラーの「マシーン」というもの。その繋がりが今度の萩原氏の『家族」という芝居の演出を観察すると理解できるような気がします。

チェーホフの四大戯曲の中でもこの最初の作品『かもめ』は同じ四幕仕立てですが、いちばん矛盾を抱え込んだ作品だと思います。そして同じシェークスピアの作品の中でも『ハムレット』は、よく読んでみるといちばん分かり憎い面を持っていますが、そこが似ています。
ハイナー・ミュラーが『ハムレット・マシーン』という作品をつくった理由がそこにあるのですが、萩原氏が「かもめ・マシーン」というプロジェクト・システムをつくって、今後彼の作品を上演して行こうとする意図がそこにあるようです。

次のブログで、この萩原雄太氏の「かもめ・マシーン」の特徴を、私なりに箇条書きに記してみます。


Tuesday, September 08, 2009

かもめマシーン(8)

そろそろ、この辺りでこの『家族』の公演批評の結論に近づきたいと思います。
それには先ず“かもめマシーン”という劇団名(劇団員は萩原雄太さんだけで、その都度、プロジュースシステム方式によって演技者、スタッフを選択して公演を行なったいるようですが)から始めた方がいいような気がします。

この中の“かもめ”はチェーホフの戯曲『かもめ』からとったようです。
チェーホフの四大劇はすべて四幕で出来ています。その中で最初の作品である『かもめ』はいちばん演出の上で困難を極めた作品で、その原因は4の中に3の要素を多分に含み持っているからに相違ありません。モスクワ芸術座がこの作品を見事に成功させた記念すべき公演の記憶をその後も保つため、かもめのマークをモスクワ芸術座の座章としたほどです。

チェーホフの四大劇はすべて循環する、自然的な時間の流れの上に立っています。しかしこの『かもめ』の若い作家志望の主人公トレパーノフは、領地内の湖を望む一角に仮のステ−ジを設置し、湖面をバックに自作の実験的な上演を試みます。
観客といえば、ごく身近な人たちで、日常の循環的時間の中に安住している家族と、それを取り巻く一群の人ばかりです。

劇の内容は、もはや生き物が絶えた20万年後の地球の有様を、恋人ニーナのナレーションと鬼火と硫黄の匂いの効果によってイメージ演劇を現前させる意図を持つものです。
ト書きには以下のように書かれています。
(幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐っている。)
ニーナはナレーションを始まる。「人の、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、水に棲む無音の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、-----もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火(あかり)をともしている。----- -----」(神西清訳 以下同)

ところが、有名女優の母親のアルカジーナはそれを観て、小声で「なんだかデカダンじみてるね。」などとチャチャを入れるし、他の観ている人達も乗ってこない。作者のトレープレフは遂に我慢できず、芝居の途中で幕を降ろしてしまう。

その後、女優志望のニーナはトレープレフから離れ、アルカジーナと同伴していた流行作家のトリゴーリンに惹かれ、彼を追ってこの地を発つ。そして結局はトリゴーリンに子を産まされ捨てられる。噂では彼女にとって俳優の道はなかなか厳しく、いまは地方公演で巡業中だという。

第一幕から2年後の最終幕では、作家となってトレープレフは仕事部屋で一人作品について思案している。と、デスクの最寄りの窓を、誰かが叩くのを聞く。ガラス戸を開けて、夜の庭を覗くと、誰か石段を駈け降りる姿を見る。ニーナだった。急いで連れもどして部屋にかえり、久し振りに会う2人の感動した会話が交わされるが、やがて奥の間にアルカジーナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて帰り急いだ時の、次のセリフを下に記す。
「------わたしは楽しく、喜び勇んで演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き廻って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。------今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたののではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよーだわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」
しかし、トレープレフは自分の信念が持てず、何が自分の使命なのか分からない、混沌とした状態にある。
ニーナはじぶんを捨てたトリゴーリンのことをまだ愛していることを口走り、さらに2年前のトレープレフとの“晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活”を懐かしみ、ながながと2年前のトレープレフの芝居の最初のナレーションを朗読して後、発作的にトレープレフを抱いたあと、ガラス戸から走り出る。

私は前述のニーナの最後のセリフの内容とフランスの思想家アランとそれを継ぐシモーヌ・ヴェイユの「人間は決してあきらめてはいけない。他人を信頼すること。ねばり強く努力して生きること。」のモットーとの類似を知って驚いている。
チェーホフのこのセリフの主調は、この『かもめ』の後につづく『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』にも流れる。

スターリン時代からの社会主義リアリズムにゴーリキーといっしょにチェーホフの戯曲が受け入れられたのは分かるような気がする。しかしドストエフスキやメイエルホリドが排除されたようにこの『かもめ』のトレープレフが否定的に解釈されることが残念である。
そこに「かもめマシーン」の“マシーン”の解釈の意味が浮上してくる。















Tuesday, August 18, 2009

かもめマシーン(7)

前回、「家族」の演出と能の形式との、本質的なところでの類似について気がついたまま述べましたが、じっさいには演出家の萩原氏が世阿弥、あるいは能楽そのものに関心を抱いているかどうか、私は知らないのです。
しかし、世阿弥の演出論においては、とくに彼が得意とする「夢幻能」においては、ギリシャ劇のように人間の運命をテーマとし、また作品を上演する演出上においては、その時代の空気、上演される場所の環境、その日の天候と客席その他の様相をつねに計算に入れいたということです。

その事は、当時の日本民族特有の、時間に対しての“易”、空間に対しての“風水”の配慮が演出術のなかに組み込まれていたと思うのです。それを基本に宇宙的な張りのある空気の波動と、劇の進行につれて調和が崩れてゆくことをバランスによって何とか支えようとする、その根底の“原理”と、それにまつわるテーマの最終的な筋道としての“真理”というものを求める人間の姿勢。それを描くための能楽の手法を観阿弥、世阿弥父子は求めつづけたのでしょう。

この室町時代につくり上げられて、日本の伝統としてこれまで受け継がれてきた能楽とこの「家族」の作品と演出法とが、どこかに連結したものを感じられる、ということがこの私の批評の中心テーマでした。
今日は昨日につづいて、さらに類似点を2つ挙げてそのことを強調したいと思います。

世阿弥は彼の論書「花鏡」の中で“せぬ所が面白き”という巧いことばを使っています。
 「見所の批判に云う、“せぬ所が面白き”など云事あり。是は、為手の秘する所の安心なり。まづ、二曲を初めとして、立ちはたらき・物まねの色々、ことごとくみな身になす態(わざ)也。せぬ所と申すは、そのひまなり。このせぬひまは何とも面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞いやむひま、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々のひまひまに、心を捨てずして、用心を持つ内心(ないしん)也。此の内心の感、外に匂面白きなり。」
萩原氏の演出においても、各場面でのセリフの終わり方、照明と音のフェイドアウトの“ひま”、その間(マ)の時間的な配慮に、私はこの世阿弥の演出意図を汲むことができ、その“内心”の面白さを充分に堪能することができたのです。

そして世阿弥の文は続きます。「かやうなれども、此の内心ありと、よそに見えては悪かるべし。もし見えば、それは態(わざ)になるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す安心にて、せぬひまの前後をつなぐべし。是則ち、万能を一心にてつなぐ感力(かんりき)也。」とあります。
充分に意を使って行ないながら、そのこころが無心であるため、何げなくつなげているように見える。それを「内心」と云っているのでしょう。

もう一つ。この劇の中で2度ほど、高度の認知症なのか精神病者なのか分からないのですが、母親の役がことばにならない、うめきに似た音の羅列をえんえんと発しながら室内を徘徊すします。
世阿弥のいわゆる四番目物として「狂女」の出し物があります。この「物狂い」について世阿弥は以下のように述べています。
「此の道の第一の面白づくりの芸能なり。(中略)夫に捨てられ、妻に後(おく)るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。よき程の為手(して)も、ここを心に分けずして、ただ一遍に狂ひはたらくほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂をば、いかにも気色を本意にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入て狂へば、感も面白き見所も、定めてあるべし。」

この狂女の例も、前述の“せぬ所が面白き”も、私が思うのには、その底に「無」があってこそなのです。先のブログで世阿弥の禅宗との関わりを述べましたが、世阿弥は足利義満から義教の代になってからは不遇の立場に追われます。
そして曹洞の竹窓智厳の門に入り、60歳になって出家します。曹洞宗の家に生まれ、臨済宗の五山を統率する将軍義満の庇護を受けて後、ふたたび曹洞宗に帰ったことになります。

私がここで云いたいのは、同じ禅宗でも臨済宗と曹洞宗では「無」の捉え方が違うということです。これはこの批評の本筋ではないので、ここでは詳しく述べませんが、しかし重要なことです。
道元と良寛は曹洞宗で、一休と利休は臨済宗です。一休、利休がつくった茶道と世阿弥の能楽との差異は、「無」への対処法から来ているのでしょう。それは両者の座禅の仕方に表れています。







Monday, August 17, 2009

かもめマシーン(6)

前述したような萩原雄太の劇の文体と構成の抽象性、上演に当たっの方角的な気の配慮にあたって思いおこされるのは世阿弥の演劇論です。
彼の「風姿花伝」から始まって中期以降の「至花道」や「花鏡」などに入る頃は、“物まね”のリアリズム表現から抽象へと向ったことです。
それに観客と演技者との対立関係ですが、初めの“珍しき”をねらった段階から、“無”と“妙”の心理的状態へ、禅宗の自然に融合する“無”を経て、さらに宇宙の広がりのなかでの主客の“妙(たえ)なる交流”に、そしてそれを土台にして「離見の見」という哲学すらつくるのです。

ここにおいて、時によって変化する山寺から諸社寺の祭礼、河原などに設定する能舞台の周りの自然環境、気候と時代の移り変わりによって変化する観客の気分などを、座頭の立場としてその日の上演の仕方に考慮を入れるのです。
同様に、この劇団「かもめマシーン」のただ1人のプロジューサー兼作家・演出家の萩原氏はじぶん1人で劇場前に入場者を迎え、受付、楽屋、観客の様相を調べながら、つねに万遍なく開場前の準備を整えるため動いておりました。

世阿弥は曹洞宗の出で、将軍足利義満に見出されて後は、同じ禅宗でも貴族や武士の臨済宗の教養の中に入り、また「風水」の気風は奈良や平安の天皇家を中心にした公家の時代から、この時代には武士階級から庶民にまで浸透していたのでした。
“無”という内面の表現、沈黙をベースにした演技の“間(マ)”の取り方、太鼓、小鼓の打ち方までがこの時代に決められたのです。

萩原雄太の作品と演出のは、ここように近代の心理主義からその方向に回帰しようとしているように見える。
その具体的な特徴として、以下の3つを述べることができるでしょう。

1)具体的な演技よりも、そのテーマや役なりを通して、舞台に立つ生命的な存在感。
2)演劇というものは、表面的なドラマティックな面白さではなく、底辺にひそむ真理または原理をさぐるものである。
3)人物の年齢、性格、職業とか、生活の様態とかセリフを交わすことによって生ずる意味性とか面白さということよりも、重要なのはその人物たちが運命的な時間によって配置された構図である。

劇場と演劇制作のかたちが変化するにつれて、また歴史が前進からレフレクション(回顧)へと転換する時代となってみると、この萩原氏の例のように、同じ能楽への通じ方において、60年代、70年代とは違ってより本質的な部分に直接的に触れているように見える。



Friday, August 14, 2009

かもめマシーン(5)

しかし一見、この芝居は死刑制度をテーマにしているようですが、その問題をきっかけにしてドラマのタイトルが示すように、ほんとうは「家族」を中心テーマにしているのでしょう。
現代は個人のことばかり考えて、じぶんが属する家族のことを忘れがちです。

たとえば、“風水”の重要な判断の要素として次のような項目があります。
色/方位/季節/家族/臓器/十干/十二支
ここで“風水”の例を引いたのは、この劇場の空間配置がどうもそのことを感じさせるからです。
劇場空間がまったく風変わりな構造をなしている。ステージの半分を取り巻み、東側の正面と南側の側面が客席で、ステージは劇中の客間の場面で、その西側の中央に居間を取り巻く廊下に通じる入り口がある。しかし、居間と廊下を隔てる壁の部分が、立て板が並ぶ隙間が大きく空いていて、しぜん壁の向こうの廊下を通る人物の姿が透けて見える。
北の部屋から西の廊下を通って居間に入ってくる者、南の部屋と西側の部屋と玄関から入ってくる者とが、方角によってそれぞれ違ったニューアンスを持って出てくることになる。

北は「水」で黒く冷たく、沈黙する。西は「金」で白く乾いた感じで、居間の入り口に近いテーブルで交わされる会話は硬質である。それに対して南の客席の裏に当たる部屋から出てくる人物は内側は火が燻り、組織を崩すはたらきをする。
それらに対してステージ正面の東の客席は、「木」で青く静かな風の様相を示し、観劇する者の心は揺れている。そしてステージの前面、ちょうど劇場のスペースの真ん中に位置するソファの場所は「土」で黄色く、黙りこんで寝転ぶ役の場所である。

それら空間的なものに対して、時間的なものとしては、場面のカット数と、同じ人物の客間への出入りの繰り返しがある。それらが抽象化され、周期的な線を描く。
ソファの傍に置いてあるラジカセから時々流れる音楽は、家族の内に対して外を表示している。

これらを総じてみると、劇の流れがぜんたいに記号に向っている。しかし、抽象化されていても、現実との連結があるため、劇そのものがドラマの筋をさぐるミステリー劇の様相をなしているのです。






Wednesday, August 12, 2009

かもめマシーン(4)

この作品の製作を共に担った演出家と俳優及びスタッフたちは、作品に含まれた意図を、このばあいは事件そのもよりも、被告に課せられる死刑判決という事実を -----これまで日常の生活の上で感じとれずにいたのが、家族という役に身を置くことによって直接、肌身に感じざるを得なかったに違いない。
肉体的により緊密な固まりとして約束された家族という結合体を中心に演じられる芝居だからのでしょう。

この劇をつくる発端は作家、萩原慶太の死刑制度です。
この作家によってあらためて呼び起こされた“生と死への感触”に向って、俳優たちがそれぞれの役を担ったのでしょうか。
だが、この芝居の特徴はそれを表現する身体と言語による表層的な技術にあったようです。そのテーマを観念的なセリフでやりとりでするのでなく、語句または演技を諸制約によって配置し、オブジェ化し、線とフォルムを簡潔にすると同時に、始めてそこに現れたようにしている。

そのことによって、表面的に描かれる一方、その表に現れた意味性を越えて、深層の心理構造を垣間見せてくれるのです。
これこそが、20世紀の初め以来、あらゆる芸術が試みてきた芸術形式なるもので、その本質を突いているように思われます。

しかし、形式と言っても、それはパサージュや色彩や、灰色の効果または空間構造、ことばと演技による描写、かたちと光と影による交錯のあとに、今は“物への触覚的な探索”が中心となってきたのではないでしょうか。

それには、始まりとしての“もの”。つまりオブジェの問題があり、それを描く“はじめての線”、無意識から引きだされる“はじめての意識化(アウェアネス 気付きの心)”、それに本質的なヴァルールとしての<濃淡や明暗の度合い>が重要な要素となるのでしょう。

この芝居の室内に置かれた“赤い花”が、重要な場面転換で、その濃淡と明暗の度合いを微妙に変化させてゆく演出効果は、そのことをシンボリックに表出していました。

かもめマシーン(3)

台本の奥にひそむ、作者の無意識の真意である構造体。
無意識ということ、潜在するもの。あわよくば意識化されて表面に浮かび立とうとするもの。

全てが、すべての実体がなぜか目の前から遠く去ってゆく。そして、そこにあいまいに動いて残されているもの。かたちを構築しようと、方向をねらっているもの。それが残された生命の“意”というものか。

遠近法を越えて、直ぐ目の前の中央のソファに、沈黙だけを演じる役の人物を放り出し、それがこのドラマを一貫するオブジェ化のシンボルとなっているのだが。あとは、それを後方に取り巻く幾何学的な構図の上に登場人物が位置することになる。細密化する意識の場の緊張から、分子構造がそのまま方位的な力学として投射されているように見える。

一つの鍵になることば。モ ド ヴァルール(Mot de valeur 価値のある言葉、実質のある言葉)。たとえば、この芝居では被害者の屍体が埋められてあった場所の“観覧車”ということば。また、家族の一員である被告人を指す代名詞。
それらのことばが、曖昧にゆれては消えてゆく事象の中で、突然ふっと浮き立つと、内側から湧き起こった意念が、急激にそれにしがみ付いてゆく。

それは立体派のブラックやピカソが辿った道をとっているのではない。すべてが細密化して見える感覚の底に、分子構造のゆれが、こころの奥に見え隠れしているからなのだをろう。そのコンポジションは台本のモチーフから、しぜんと作られたものだろう。

この芝居の俳優たちは、すべて“演劇ごっこ”をしていない。じぶんの体の内部を観察しながら、観せるためでなく、自らに演じている。これが上に述べたような演出効果のたしかな支えとなっている。

かもめマシーン(2)

しかし、確実な存在物としての対象があるのだろうか、また現実に自分自身も確実な存在者なのだろうか。そのような疑問が底辺にあるからこそ、このミステリアスな芝居が存在したのではないだろうか。

そのシンボルとして、芝居の初めから終りまで一言も語らず、居間として設定されたステージにしばしば登場しては、その中心にある陥没したソファにからだを沈めては黙り込むだけの人物の役が置かれていたのだろう。

芝居は当てもなく何かはっきりした対象、または概念を、というよりいろいろな関係性の中での明確な意味と価値を持つものを捜していた。それがミステリアスな雰囲気を纏っていた理由なのだろう。

この芝居は感情的なドラマを求めているのではない。しかし確実な存在感というより、ぼんやりとしたミステリアスな関係性の中に、命のひらめきが危うく消えかかっているのを感じる。

事物と表象の中間に置かれた身体の、その内側のもつれた感覚から生まれるイメージだけが実感として存在しているのだ。それこそが唯一支えられる触覚的な感性だ、というかのように。

私はここまで書いて、チラシに書かれた筋書きを始めて見る。それは以下の通りである。
その街では3年前に事件が起こった。
幼女2人が殺害され、遺体は観覧車の下から見つかった。
未成年の犯人が逮捕されると、マスコミの報道は加熱したが、しばらくすれば人々はその事件を忘れ去った。裁判は進み、どうやら彼には死刑の判決が下るようだ。
家族は70年代に建築されたその街の団地にひっそりと住んでいる。
観覧車はもうそろそろリニューアルオープンされる。
判決が下るまでにはまだ時間がかかるらしい。
たしかに、筋書きはそうなのだろう。それを今始めて明確に知る。また配役を見るといくつかの思い違いがあった。それほど表面的な事実というもは不確かなものなのだ。

絵画が描かれる内容の主題より、色と形とそれらの混合した関係性で作り出されるものだが、それと同じようにこの芝居づくりの本当の狙いは、そのドラマを描く素材、その動きと語りの物質的な関係性のなかに、萩原雄太の創作の真の意図があるのではないかと思う。
私はそれだけをこの芝居の中に捜し求めていたのだ。
私は、ラカンがポーの小説を対象にして精神分析で読解した「盗まれた手紙」のように、この芝居に当たろうとしていたのかもしれない。

かもめマシーン(1)

8月1日(土)西荻窪の劇場“がざびい”で観た、かもめマシーン「家族」の作品について以下に述べたい。萩原雄太の作/演出である。

この作品の話術について語りたいのだが、それには“からだの動き”の分類から話した方がいいようです。マイムの技術用語を使うのでフランス語になりますが、英語で推測される範囲内です。

いわゆる“動き”という概念を大文字のMouvement(ムーヴマン)とすると、以下のように3つの様態に分類されます。
  1. geste(ジェスト からだの1部分が動くとき)
  2. attitude(アチチュード からだの内側と外側との関係から体全体でつくる形または型。それは停止の内に過去と未来の動きを含む)
  3. 小文字のmouvement(ムーヴマン 空間的にA地点からB地点に移動するばあい。歩行、跳躍、飛翔によって)
ヨーロッパのばあい、ディドロの俳優術の伝統を変えたのがブレヒトの演技術だと言われますが、ベンヤミンはブレヒトの演劇を、資本主義による各階級の様相を染み込ませた“ジェストの演劇”だと評している。ブレヒトの脚本でなく、ブレヒトが演出した作品のことを言っているのですが、じつに的を得た批評だと思います。

そのことから推して、私の言い方をすると、“舞踏”はアチチュードのダンスなのです。それは空間の中にからだを素材として動き(mouvement ムーブマン)を描く、それまでのダンスの創作法とは違っています。跳躍して空間的に移動することが無いのです。

私はここで萩原雄太のこの「家族」という作品は、からだの空間の配置もそうであるが、まず話術を主体とする“アチチュードの演劇”を作り出している、と思うのです。
それはどういうことかと言うと、会話の文章がつねに完結せずに、動きのattitudeのような体言止まりで、そうでなければそれに付属されたgesteのような副詞、あるいは接続詞の後はぷつりと切れて、沈黙の時間となる。そして時間的なmouvementといえば、知能の廻らない娘役のセリフ、言葉にならない断絶した音の連続なのです。

孤立した、動きのアチチュードまたはセリフの体言というものは何を指しているのか。それは人間の「立ち位置」、“存在”に焦点を合わせているからなのでしょう。

「かもめマシーン」という劇団名は、チェーホフの作品「かもめ」から取っているそうです。それとマシーンはハイナー・ミュラーの「ハムレットマシーン」から来ているに違いないのですが、そのあたりから迫って行かないと、この作品を解読出来ないのかもしれません。

Tuesday, March 10, 2009

豊島重之(10)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
         ー 第三の眼 ー
 

 港千尋さんが、著書『新編 第三の眼』(せりか書房)を贈って下さいました。
 
 その中に<観察者の自由>というタイトルの章があります。アメリカのプラグマティズム哲学者のチャールズ・サンダーズ・パースの記号学の「三項論理」を出発点にして語っておられるのですが、私も以前からパースのその特異な記号論に興味を抱いていた関係から、氏の論説に惹かれるままに読みすすんで行ったのです。
 ところが、私がこの作品批評とも豊島論ともつかぬブログを、延々と10回も続けてきましたが、偶然というのでしょうか、計らずもその「三項論理」と同じことをやっているような気がするのです。

 もちろん、パースや港さんが考えているような満足なものではないでしょうが、ただそれと同じような方向に自分が進んで来たということです。
  港氏はこの本で次のようにパースのことばを紹介しています。
『二項関係の代表は因果律です。「原因ー結果」という二項の関係がそれですが、この関係を図示しようとすると、それをどんなに続けていっても、二項の線がつながってゆくだけで、一次元の線形を描くことしかできない。パースはこれでは、あまりに制限が厳しすぎると考えた。』
 
 最初、このブログのテーマをこんなに続ける積もりはなかったのです。ただ自然にこうなったのは、こんな遣り方でなくては豊島氏の作品の真意に触れられないような気がしたからなのです。それに、豊島氏個人のことも語らなければと、まるで誘われたかのように氏の内面を推測し、それに加えて自分の演劇観まで述べるまでに至ったのです。
 そして方法としては、この豊島氏の演劇形式の中心部に入り込むために、正面から当たらずに、時間的な呼吸の「拡大と縮小」とその「切断」の場に置こうとしました。演繹法と帰納法を相対化させ、その交差する呼吸の脈絡の“間合い”に豊島氏の真意をさぐろうとしたのです。
 
 観察者が対象の演劇作品を批評するという二項でなく、対象の作品、演出の豊島氏、観察者の自分の三項がそれぞれの立場から語り出し、関係し合いながら拡大してゆく、その網の目の合間に透けて見えてくるものがある、という手法です。
 先に“交差する呼吸の脈絡の間合い”ということばを使いましたが、豊島氏のこの作品には、人間の呼吸の、呼気と吸気とが自己から離れて、自己と外部との圧力と引力関係に転じ、ゴッホの絵のように外界の空気が化学変化して渦を巻いているような気がしたのです。
 そして、豊島氏がこれまでどのような“痕跡”を残してきたかということと同時に、自分自身の“こころ”の経路も反省してみたくなったのです。
 
 『そこで、「原因ー結果」に「観察者」を付け加える。関係は三項になると系は分岐することが可能となる。連続してゆけば、三項関係は次々に分岐して面となり、それによって描かれる論理空間は多次元のネットワークとなる。パースの考える記号とは、このような三項論理である。』

 そのように、どこか地球を超えて、宇宙的な波動にまで及ぶような印象を受けたのです。 俳優の心の状態が内蔵と表情に表れ、しかも意識の出発段階の発意の行為として表出され、しかも“光面”の中に露になっていたのです。
 そこには現在の地球の環境の問題もありますが、世界政治が近代の末期を迎えているリアリティにまともに当っている印象を受けたのです。場に置かれた俳優の身体がぎりぎりの境界に立っていて、したがってそれを観察する者も、思わず中空の気の律動を胸に感じとる構えとなっていたのでしょう。
 私が呼吸から作品をとらえるというのは、その意味からです。
 
 港さんは痕跡を記号として考えると分かり易い、と言います。
 「痕跡という現象は、因果律だけで理解できるものではない。なぜなら、その痕跡を観察する第三者の状況に応じて、その意味は変わってくるからである。痕跡を残す主体(原因)とそれが残された表面(結果)、それを観測し解釈する主体(観察者)の三項の関係のなかから生成するのが痕跡という記号なのだ。」
 
 説明する必要はないことでしょうが、このブログのばあい、痕跡を残す主体(原因)は演出家の豊島重之、それが残された表面(結果)はこの舞台作品で、それを観測し解釈する主体(観察者)は私なのです。


 
 三項といえば、禅定のための調身、調息、調心があります。
 
 調身とは、普通には、からだを解いて正規に整えることです。しかし、発生学的に身体を細密に観察するばあいには、内・外・中の三胚葉からそれぞれ内蔵と腺、皮膚と神経、筋肉と骨への個体発生段階を認識することになります。これを記録のゲノムとし、他にDNAと受精卵を加えれば、発生学の三項関係の記号となる、と港さんは言っています。
 さらに実践的な修練の方法としては、上・中・下・裏の4丹田の役割を知り、心と精神、霊と神、魂とエネルギーのからだの中での住処を確認することです。
 
 調息とは、まず“数息”して息を整えるだけでなく、上述したように人間の呼吸から宇宙の律動に及び、老荘の思想を通じて量子力学の微細な領域にまで意識が至ることを望みます。
 
 そして調心こそが、この三項の中で第三項の役割を担うものです。なぜなら「肉体よりも、精神が重要」ですから。肉体は「こころと精神」のために、空間と時間の中に道具として置かれ、生命の実感を経ることによってそれを捉えようとしているわけです。
 こころは大脳の中にも、内蔵の中にも、からだと言葉の行為の遂行の中にも展開します。しかし、こころを決める指針となるのは“意識”です。“意の”指向性による対象に向っての結び付き、その網の目の繋がりです。

 ここでやっと、港氏のいう「第三の眼」の目標に近づいて来ました。港さんは、第三項の神経構造の存在を仮定するアメリカの神経学者アントニオ・R・ダマシオの説を紹介しながら以下のように話をすすめています。
 ですが、その科学的知識の仮定の説に加えて、さらに私見として、民族学的、または霊的観点から次のように想定することも、芸術の創造的自由の側では許されると思うのです。

 ダマシオと港さんの言う、三項関係の二項の初期感覚の“大脳皮質の感覚分野”と感覚・運動領域の“大脳基底核”に継いで、第三項の集合域として未だ大脳科学において科学的に実証されていないが、“視床”を仮定としてその任に当てるということ。それは「第三の眼」のための、単なる神経生理学的なメカニズムにすぎないものだとしても。また潜在する記憶と、感覚皮質と運動皮質との間で活性化してトポグラフィックな表象としてあらわれ、自己の心のなかにイメージとして生まれるものだとしても。

 このように、そのことに関心を持って述べますのは、大串孝二氏が昨年の12 月に彼のライフワークである「ラスコー解読」の展示パフォーマンス<意識の庭>において、私も参加して実験的に試みたテーマなのです。
 その時は大串孝二の意図から、視床の内側に「感覚と運動による外部世界」が包まれているというイメージ世界の<意識の庭>の床面へのデザイン設定でした。内と外とが逆転しているイメージ発想なのですが、「第三の眼」という仮想的視点からは在り得ることだと思います。

 その時それを演じる私は、“視床”にあたる床面を北斗七星が北極星の周りを巡るようによたよたと歩いたのです。
 それにしても、あのデカルトが思考の核として捉えた“松果体”が今では大脳科学分野で“ふるもの”扱いされて、すでに忘れられているということいはどういうことなのでしょうか? “視床”にしても同じでしょうが、なにも無い中間の空間地帯こそが、形而上の思考の“結び”の場になり得るのではないでしょうか。

 以上、北極星の周りを巡る、よたよたした北斗の歩みのようなこの筆の進め方は、「第三の眼」を求めて三項関係で逍遥するこのブログの特徴なのです。

 「ラスコー解読」の展示パフォーマンス<意識の庭>の写真は
  http://www.nona.dti.ne.jp/oik/(及川廣信のホームページ)へ 

Friday, March 06, 2009

豊島重之(9)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
         ー光の中に“ill”が潜在するー

 公演のあと、会場から少し離れた箇所でパーティが開かれた。20人ほどの集りで、4人のテーブルの一つに誘われるまま、豊島氏の隣りに私が席をとり、豊島氏の前には港千尋氏が、私の前には根本忍氏が坐った。
 根本氏はこの公演を3日間、連続で観ており、作曲家であるだけに、全ての場面を数で計算し、メモしていた。演出家の豊島氏としては、それについては無意識でやっていたようで、それを何気なく根本氏にそれを指示されて多少驚いた風だった。
 その後、豊島氏は港さんに向って「イリュミナシオン(光)」にはいろいろな意味がありますね」と問いかけた。港氏はそれを受けて考えをめぐらせているようだった。私が傍から「『イリュミナシオン』という詩集がありましたね。ボードレルだったかーーー』というと。港さんが「ランボーですね』と応じてくれた。

 ちょっとした、このあたりの会話を糸口に、ブログを先にすすめたい。
先ず「イリュミナシオン(光)」から入って行こう。
 その日、家に帰ってランボーの原書を捜したが見当たらない。20歳過ぎた頃に読んだ詩集なので、押し入れの奥に仕舞い込まれたままなのだろう、見つけ出すのが困難だ。
 翌日、街に出て岩波文庫のランボオ作『地獄の季節』(小林秀雄訳)と、ちくま文庫の『ランボー全詩集』(宇佐見斉訳)を購入した。『地獄の季節』(小林秀雄訳)の中にも「イリュミナシオン」は「飾画」の訳名で入っている。

 私が、今ここでランボーの詩集『イリュミナシオン』の中から宇佐見斉氏の訳で一つの詩を紹介するのは、「illumination(光)」を“慧(ひらめき)”と“創意”のみでなく、その中に“ill”の部分が潜在していることを伺わせる訳になっているからです。
 
 豊島氏は、原初的に「illumination(光)」の中にはマイナス部分の“ill”の部分が含まれていて、同じ「illumination(光)」でも近代になると、イリュミネーションの人工的な光に変じ、「人工的に光る虫/病気で光らない虫=季節を間違った蛍」になる、と述べているのです。
 豊島氏の「illuciole(深海の発光体)」=意識の底にある光も、近代末期のグローバリズムの時代となってはもはや人工的な光の、邪気と悪徳を含んだ“ハエ”となってしまっているわけです。
 
 そこで豊島氏の思考の経路は次のようになるでしょう。
 イリュシオール=深海の発光体→ 人工的に光る虫→ “ハエ”
 イリュミオール=錯誤の、病んだ夜光虫→ 病気で光らない虫=季節を間違った蛍→ “ハエ”のたかる屍体


 そのことを前置きにしてランボーの詩、「王権」に入りましょう。
 「ある朝のこと、とても穏やかな気性のひとびとが住む国で、惚れ惚れとするような一組の男女が公共の広場で叫んでいた。「みなさん、わたしはこの女(ひと)に王妃になって貰いたいのです!」女は笑い、身を震わせていた。男は朋友に向って、啓示について、すでに終わった試練について語っていた。ふたりは身を寄せ合ってうっとりとしていた。
 実際に彼らは王であり王妃だった。深紅の垂れ幕が家々に高く掲げられたその日の午前中と、そしてまた、ふたりが棕櫚の庭園の方へと歩いていった午後のあいだは。」

 「とても穏やかな気性のひとびとが住む国で」というのはベルギーで、のこと。そして作中の男女とは、ランボーとヴェルレーヌの2人のことで、1873年7月10日に泥酔したヴェルレーヌがランボーに向って拳銃を発射、左手に傷を負わせてヴェルレーヌは逮捕された事実を、この詩の裏に読み取る人も多い、ということです。
 これがランボーの感じた「illumination(光)」の一部です。

 たとえば、霊性には、聖霊と悪霊がある。“慈悲に似た愛”があると同時に、“愛欲”がある。ハンナ・アーレントが彼女の第一作『アウグスチヌスにおける愛の概念』に述べているように。
 仏の“慈悲”と“知恵”は、観音・文殊両菩薩の役割で、普賢菩薩は“大行”の実践行為である。

 私がこのように敷衍して話しているのは、豊島氏がこの『イリュミオール・イリュミシオール』の演劇を提示しながら、世界の現状について次のように語っているからです。
「そこには一切の希望は失われている。本当にそうだろうか。イメージに幻惑されることなく、イメージの底をぶち抜いて、その形姿の根源に「微光」を掘削すること」。

追補 豊島重之氏より以下のようなご丁寧な間違いのご指摘がございました。ご報告申し上げます。

「ここは、ちょうど正反対だと思います。リュシオール=蛍ですから、イリュシオール=間違った蛍、となります。
つまり、
イリュシオール=錯誤の、病んだ虫→ 病気で光らない虫=季節を間違った蛍→ “ハエ”
イリュミオール=深海の発光体→ 人工的なまでに壮麗なスペクタクル=光景→ “ハエ”のたかる屍体

しかし、及川廣信さんのおっしゃる大意に、このことは少しも瑕疵にはなりません。
むしろ、「光の王権」は、中世・近世ヨーロッパから、近代ヨーロッパに移行するエッジを意味していたようです。
その御指摘に、めくるめく思考をいざなわれて、深く感銘を受けたしだいです。」

Friday, February 20, 2009

豊島重之(8)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
         ー排除された“公共領域”ー


 「illumiole illuciole」論も最終段階に入ったようです。結論に向って急ぎましょう。
 
 この演劇においては、いかにも公共領域の“光“の場が失われているように見えるのですが、実際にはそうではなく、裏面の影の場を見せているのです。
 人間という言葉の意味は、京都学派の田辺元教授の倫理学の中心課題でもあったのですが、「人」と「人」との「間」の空間があっての「人間」だというのが、その説でした。
 その間を埋めるのは相手に向っての発語行為である。互いに論じ合うことによって相手との同一と差異を見出すのである。そのためにはハンナ・アーレントのいう、人間が生来的に持つ自由と創意を出発とする“活動性”が必要になってくる。
 豊島氏が光の当たる表の部分として提出していたのは、この対人的な“活動”に移る以前の、“始めての生命の動き“だったのです。
 そして、照明の当たらない“排除された“公共性の場と、応答の無いまま訴える言説の声は影の部分だったのです。
 
 この公演の特徴的なことは、豊島氏のばあいは恒例なのですが、排除された公共領域での言論の役割を、公演後のシンポジウムとその後のパーティに当てているのです。
 言語の力に対する絶対なる信頼と、演劇の“イメージ戦略”が対になっていて、豊島氏の思想とスタンスを主張しているのです。
 そして、人と人の間に埋められる抽象的な共通の場としての言語空間(ここから「間主観性」の観念と「間テキスト性」の概念が生まれてくるのですが)を、リアル性によって支えるのは現実に自分が立つて生活している物質的な、差異的な空間なのです。
 豊島氏は、自分が現在、生まれ住んでいる東北の一角の、歴史的な“痕跡”の上に立って、公演とシンポジウムの抽象的な公共性の空間に挑んでいるのです。

 方法としては、二項対立の問題があります。基本的には“光と影”による表裏。氏の医師の立場からは、心→精神の問題が深く関わる“健康と病”、“善と悪”、“徳と悪徳”。霊→神の問題からは“自然(カミ、アニミズム)と神(権力)”、“知恵(慈悲)と愛欲“。
 これらの対立する二項の中から一項を“排除”することなく、左右の浸透と、表裏の関係から事柄の真意を捉えてゆこうとするのが豊島氏の狙いなのです。

 
 ということは、ハンナ・アーレントが彼女の著書『人間の条件』で、「労働、仕事、活動」を彼女の“人間性“を解くためのモデルトとして捉えたのは、古代ギリシャのポリスの政治討論の場、中央広場「アゴラ」の公共領域の空間なのでした。
 だが、そこに参加して主張できたのは、一家の家長である、成年男子の市民権を持った者だけで、差異的、私的、家計的部分が排除されていたというのです。それが市民が自由な討論が出来た理由だとハンナ・アーレントは言っているのです。でも、彼女の真の目的は、後にハーバマスへとつながるコミュニケーションの問題だったのです。マルクスが“労働”に対したのと同じように、言語による“活動”こそが人間の第一の特性だと思っていたのです。
 
  近代がすすむと共にポリスが国家へと拡大し、公共領域の場が拡散して多くの人間にコミュニケーションの場がひらかれて行ったように見えますが、代理する議院制度は個人的な、地域的な利害をそのまま抱えこんだ社会的公共領域となったのです。18世紀に及んでは、経済的な利益がさらに優先し、古代ギリシャのポリスの時の、市民が公共的な立場から互いの私的利益を超えて、自由な政治討論をアゴラで行なったのとは違って、地域または自分に繋がる利益団体が左右する「政治経済」としての公共領域=経済社会となったのです。

 そこにはすでに、人間性の根源的な“いのち”の部分が失われてしまっているのです。利権を持つものと、格差によって生活の基盤までが失われた人達がいるのです。近代のシステムの基軸までが崩れているように見えるのです。 また、日本の場合には、論議のすすめ方において西洋の近代システムなるものが適合していないのではないかと、疑いたくもなるのです。

 ギリシャ哲学の、プラトンによる二項対立の弁証法と“善”のみを追求する哲学思想は、近代を終えようとしている現在には相応しません。ギリシャ哲学から『善の研究』を著した京都学派の西田幾太郎とは違って、豊島氏は「善悪の研究」をしているのです。

 豊島氏が主張しているのは、近代の利益をベースにした「政治経済」の社会でもないのです。それはチラシにも書かれているように差異的な立場からの「生ー政治的」社会なのである。
 ハンナ・アーレントの人と人との自由な言論活動によるコミュニケーションの場は、同一と差異を通じての人間の個性ある“多数”を目的としたものでした。
 しかし、ハーバマスのコミュニケーション論は互いの同一性を求めることを主眼にすすみます。豊島氏のばあいは、それに対して自分の差異性を確認するためにコミュニケーションを拡げているように思われます。
 
 二項対立を無くする方法としては、細密化を劇団名に掲げる「モレキュラー」の方法論と、理念としての演出学「絶対演劇」の“脱構築“の場の構成なのです。
 三角形の頂点に上昇されている“善”と“徳”と“慈愛”と“正義”とが、底辺に向って呼び戻されるのですが、これまで排除されていた下層の部分と溶解し、新たな再生への道を求めているのです。

 チラシに書かれているように、深海の、つまり意識の底にある発光体=イリュミシオールが「ILL=
錯誤の/病んだ」夜光虫=イリュシオールとなって浮かび上がってくるのを、冷静な眼で観察する必要が出てくるのです。
 
 そして、これらの現象を解くために、表の舞台として「権力」と「自由と創意」の二項対立においての「排除の劇」を演じて、その裏面に、または一点に結集する“種子“の上に、ジャン・ジュネの『シャティーラの四時間/アルベルト・ジャコメティのアトリエ』を挿入する必要があったのです。

Tuesday, February 10, 2009

豊島重之(7)

「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ー”自分の中にもスターリンがいる“ー



 「世界システム分析」が説く“近代の基盤は何か”というと、16世紀から形成され始めたと見る国家形態である。それが4世紀も経ってゆくうちに次第に循環の巡りに支障を来たし、ついに1968年の「世界革命」を契機に、世界システムの上で政治ー経済的な基軸だけでなく、文化的な基軸までも崩壊してしまった、ということである。それ以後、世界は国家中心から非国家主義と成り、多極化と多次元化に向い、現にEUの在り方とアジアの動勢がそれを示している、と。
 
 その科学的な歴史分析においては納得させられる部分はかなりある。ただし、システム論というのは統計学と同じように、物事を外側から見て計る、科学的な(数と構造の)物差しのようなものである。それに最初の「選択の対象」という問題がある。1968年に関しては、確かに「世界革命」という名に値する事件であったと思う。しかし豊島氏が敢えて1968〜72としたのには、日本の1972年の連合赤軍派の“浅間山荘事件“、沖縄返還、日中国交回復を含んでの事があるからで、それによって事情は違ってくるのである。
 
 「世界システム分析」自体も世界をグローバルに見ている証拠だが、実際に立合っていない歴史上の16世紀とフランス革命を、それぞれフェルナン・ブローデルとジュール・ミシュレの観察法を、現在の立場から参考にした歴史哲学なので考慮に値するものと思う。しかし、それに代る未来のシステムの予測となると、誰も79年のベルリンの壁の崩壊から91年8月のソ連の政変と連邦解体を予測できなかったように、予想はできないのである。

 トータルに観るということは大切だが全体、平等、文化というと“まやかし“を帯びてくる。
 人類学者、今西錦司が提唱する動物の“棲み分け”の知恵が欠けているので、その点ではブローデルが描いた、16世紀のキリスト教徒と回教徒の、地中海を取り巻く分布図は現在時点ではひじょうに参考になる。

 世界的な時代の趨勢にあえて自国の栄光を保つために挑んだのがイギリスのサッチャー体制とアメリカのレーガン体制で、グロバリゼーションと“新自由主義”の旗の下に、世界の資本の流れに“虚“の勝負を賭けたのだが、そもそも原理的に相矛盾する“自由”と“平等”のバランスへの配慮を欠いていため衰亡への道を早めたのである。それも両国の消えない“自国中心主義“と、日本のばあいは“従属主義”の成せる業なのであろう。
 
 

 なぜ、このようなことを言い出したかと申しますと。豊島氏の作品はこのような世界的な政治状況の上に立って作られているからです。チラシの中の豊島さんのコピーというより宣言文に近い文章は以下のように書かれています。
「21世紀の蠅の羽音が唸る、過密都市の中の「ラーゲリ=収容所」。そこには一切の希望は失われている。本当にそうだろうか。イメージに幻惑されることなく、イメージの底をぶち抜いて、その形姿の根源に「微光」を掘削すること。そこには生ー政治学的な古層、いわば深海の発光体=イリュミオールが、まさに「ILL=錯誤の/病んだ」夜光虫=イリュシオールとして到来するだろうから。」
 
 豊島氏のテキストについて注意しないといけないのは、すべての言語が両義性を持っているということです。そして意味より先に言語が分節、接合して機械的な“”組み込み作業”を起し、多数多様体をつくり出してゆくのです。

 例えば、最初の蠅(flyフライ)は、この宣言文が掲載されている“チラシ(flyerフライヤー)”にかけていますし、それが“情報“と繋がるのです。次の「イメージに幻惑されることなく」のイメージは現実の現象と、同時に芝居の演技も含めています。「その形姿の根源に」は“絶対演劇”の形式の下に、ということで、「「微光」を掘削すること」とは、精神分析の分野の無意識の世界にも光を当てなくてはいけない、と言っているのです。

 そうすれば「そこには生ー政治学的な古層」という“接合“の地層が見えてくるというのですが、ここで地層とは言わず、フーコーのキー概念である古層(エピステーメ)という言葉を使っているところに、フーコーの“権力“の側から見る政治思想の知の系譜が見えてくるのです。さらに「いわば深海の発光体 ー」に続くのですが、この発光体のテーマに入る前に、深海=無意識の世界に今日は立ち入らざるを得ないのです。しかし、ここでは“微光”としての意識のはじまりに絞ってゆくことにします。しかも、箇条書きで。

 1)メラニー・クラインの「部分対象」のこと。部分対象とは、あるからだの部分が対象として大きな意味を持つということ。つまり部分であっても対象(たとえば乳房や他のからだの部分)が欲望と幻想を呼び起こしてゆく。

 2)一方、この“対象“にブレンターノのいうこころ(意)が本来持っている「志向性」を結びつけると、“意識“という現象が生じる。そして対象と次の対象を結びつけることによって関係性をつくり出す。
 眼球の動きと、意識して注意を対象に向けると、いわゆる”気付き“の現象が起こり、“クオリア”が発生する。

 3)しかし、対象の“選択”という大きな問題が提出されることになる。何を選ぶかが。また、それ以前に選ぶ者の欲望が潜在している、ということ。

 4)また、対象に向う線の動きの差異と、触れる強度が問題となる。前者はキャラクテールから“意”の生命線に、後者はミニマリズムの段階の様相を知る上で。

 5)しかし、神経症を対象とするフロイトの精神分析とは違って、精神分裂ー分析(スキゾアナリーズ)においては、部分対象間のつながりが失われ、全体を統一する有機体(オルガニスム)が失われていると診る。いわゆるアルトーのいう「器官なき身体」とつながる。

 6)「器官なき身体」の原語はcorps sans organesである。「器官なき身体」の真意は、複数の各器官を有機的に統制する器官組織のorganism(オルガニスム)の上層部に位置にする「器官組織のない身体」という意味なので、各器官(organe)がないと言っているのではない。各器官を制度化して操作するのは独裁のようなものだ、とする。
 
 7)“自分の中にもスターリンがいる“というのは、自分の生理的な機能の規制を差して言っているのです。演劇の再現化も表現もこの機能に従わざるを得ない。そこからどう脱出して、差異と自由な発想を作りだせるかがこの作品の狙いなのである。

 「差異がつくる多様体」の、リゾーム状に張り巡らされた根茎から最初の球根を取り出して切断する作業。豊島重之氏の根源的な次元にまで簡略化されたこの「絶対演劇」の批評となると、その簡略な数式と線の奥に潜む、それこそ深海の様相を探るためには、このように切断されてしまった背後の多様体との繋がりの様相を探索しながら、再び思考の痕跡を辿って行かざるを得ないのです。
 まるで、仕組まれた“蟻地獄”に踏み込んだようなもので、まだ“光“と、“ジュネとジャコメッティ“の問題が残っています。スターリンとメイエルホリドはそこに至るための切断の仕組みなので、肝心の中心テーマはそこにあるのでしょう。

Friday, February 06, 2009

豊島重之(6)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
         ー歴史学的パースペクティヴの中での“差異”ー


  このようなブログの書き方では何時になっても終わることがないので、このあたりで2つ方向から絞って行って、2回で何らかの結論をつけてみたいと思うのです。
 というのは、この演劇は一見簡潔なようでありながら、大きなパースペクティヴの上に書かれています。そのため外からいろいろの視点で眺めてきたのですが、要するに、この作品の目的とするところは、作者のコピーの中にも織り込まれているように「生」と「政治」の実体を露にするため、時間と空間を限定しているのです。
 その仕組みは、一見すると単純なようでいて、哲学的にいろいろな問題が浮上してくるのです。その中で主立った問題点を明示する方がいいのかもしれません。まず、以下の箇条書きに列挙してみますと、
 
1)3次元の空間のスペースが排除されているということは、「共通性」と「差異性」を合わせ持つ公共圏が、権力によって失われているということ。
 
2)各俳優が分離して壁の前で平面的演技をするということは、極限状況の中で、各人が持つ“いのち“の「差異性」を表現していることになる。
 
3)権力側から一方的に光りが投射されるのだが、その光の当たらない部分は当局によって隠蔽された部分を表し、一方、光を当てられた非優の側は、極限状況において、生命の自由な創意の「活動」を露にしている。
 
4)各俳優の寸断された時間は、他者との関わりによって「再現化の表象の演劇」(ルプレザンタシオン)へとすすむ以前の、最初の動きにおける“差異“の特徴を見せるためのものである。他と機能的に関連するにつれて、差異の創造的な部分を失ってゆくのです。その意味で「始めて」の時が重視されるのです。
 
5)最初のスターリンの権力構造から最後のメイエルホリドの死までに挟まれた、各壁面前で演じる数人の俳優は、時間的に関係する役柄ではない。人間性が持つ“差異“の特性を、極限空間の中で、最初の動きによって並列して見せているのである。
 
6)同じような意味から“微笑み”の演技も同列だが、このばあい豊島氏の精神医から捉えた“心の在り方と、演出家の眼で見た能面のような“生の様態“としての二面性を持つ。それは光の捉え方においても同様です。
 
7)セリフと動きが分離されているということは、空間と時間と同じように、独裁者によって統御され、自由を失っているということを暗示すると同時に、動きによる「活動」と「言語」の主張が人間の大きな役割を持つことを示す。しかし、その価値ある人間性も暴力には勝てない、という政治性を示す。
 豊島氏がこの作品の公演とシンポジウムを並列させていることはそれを二重に強調していることになる。

 
 ざっと、思いつくまま挙げても、これぐらいの数になります。
 このブログのシリーズの中で豊島氏は、思想的な「差異哲学」の立場に立っていると述べたことがありますが、この「差異」の観点が最初に政治哲学の観点から述べられたのが、ハンナ・アレントの『人間の条件』1958 でした。その後、差異の概念を綿密に定義したのはドゥルーズの『差異と反復』1968 です。
 この「差異」が、その後の「ミニマルミュージック」などにも展開されて行くのですが、「差異人類学」という分野があることは意外に知られていないようです。

 「文化人類学」は歴史的には新しい学問ですが、これは医学の形態学をベースにした理科系の最初の「人類学」から分離してつくられた名称ですが、「文化人類学」が出来た後の元の理科系の「人類学」が「差異人類学」と呼ばれることになったのです。
 そして、文化人類学の研究対象が原始人の生活調査から、都市学へと変わったように、差異人類学の研究対象も身体の差異から表情学へと移行しました。


 今回のブログのタイトルで“歴史的なパースペクティヴ“と言いますのは、豊島氏が昨年1998年の7月に八戸美術館で開催した『68〜72※世界革命※展』ICANOF 2008 のそのタイトルの世界革命という名称からなのです。
 それはイマニュエール・ウォーラースティンらの「世界システム分析」の歴史哲学的観点と共通する近代史観を持っているからです。というのは、彼らは近代の始まりを16世紀の「大航海時代」とし、中間に「フランス革命」を置いて近代の終わりの始まりを「1968年の世界革命」としているのです。
 
 16世紀の「大航海の時代」というのは織田信長の時代のポルトガル人の来航の時期に当たります。それから100年にして日本は鎖国の時代に入るのですが、西洋の「フランス革命」に相応する大きな変革は、日本では遅ればせに近代を開いた「明治維新」でしょう。
 近代という構造をシステム分析すると、それ以前にも兆候があったのですが、1968年という年は世界的に共通する近代の解体の始まりだというのです。
  
 そして、この「世界システム分析」のそもそもの発端は、フランスのアナール派のフェルナン・ブローデルの『地中海』1949 の影響から始まっているのです。『地中海』は3つの大きな影響をその後の時代に与えたようです。一つは事件を主題にしたそれまでの歴史から「感性の歴史」の方向をつくったこと。二つ目は人間と関わる地勢学の見方。それが後の“地政学“へと繋がります。最後に近代の始まりとしての16世紀への解釈です。

 同じように豊島氏も、1969年を日本一国の全学連闘争の時代と見るのではなく、それを「世界革命」の一極として捉えているのです。そしてブローデルと同様に、身体と心の問題を感性的に捉えているのです。また豊島氏の発祥の地である十三湖は蝦夷の本拠地であり、氏のデビュー作品は蝦夷の首長をテーマにした『アテルイ』(豊島和子演出)でした。
 また、現在氏が活動する八戸市は地政学的観点から見る、原発の六ケ所村が隣接し、維新後転封された会津藩士たちの子孫が住みついている処です。氏の写真グループICANOFが沖縄の写真家グループと提携発表するのも、そのような理由からなのでしょう。

 このようなポストコロニアル的な「差異の哲学」を考慮に入れたとき、俄然氏のパースペクティヴな視界が見えて来るのです。
 そうすると、この作品が直接的には、スターリンとメイエルホリドの対立を主題にしながらも、それは人間本来の権力と自由な創意との対立がテーマであり、それを時間と空間との極限において観察しようとしているのが分かってくるわけです。

Wednesday, January 28, 2009

豊島重之(5)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ー人は健康をのぞむように、心の病から救われるべきなのだー

 “気“とは、宇宙が活動する電磁波のエネルギーと考えられれるし、身体自体も一塊の“エネルギー体”として捉えられ、スピリチュアルな面から見れば、“魂”を持った生物体なのだ。その“魂”が肉に浸透した状態を“魄”といい、2つを合わせて“魂魄(コンパク)”と称してきた。
 古代からの日本は、アニミズムの宗教観を持っている。外気、または自然の中にひそむ霊気(カミ)と通じ合う生き方で、意識の働きのまとまりとして“精神”は、“魂”とは別のものとして捉えられている。

 からだ全体の機能的な役割を考えたばあい、大脳は思考、感情、感覚、直観の判断機能の中でも特に思考の場所と考えられ、目は五感の中でぜんたいを統御するものであり、心臓は五臟六腑を統括する器官として考えられている。
 中国から伝えられた“養生学”では、五臟の中でも肝臓がは魂”、肺臓は“魄”、心臓は“精神”が宿る器官として捉えられてきた。脾臓はこのエネルギー体の中では、生命の力としての“意”の役割を担い、大脳の「志向性」と連れば「意志」、地からのエネルギーを結集した腎臓の「欲望」と結ばれて「意欲」となる。

 しかし、物事を便利にするために、このように特定の対象に部分的な役割を与え、機能的な解釈を行なうということは、より大切なものを見失うことにもなる、という事に気付きはじめたのである。
 大脳皮質の中の「運動野」「感覚野」に対しても同じことである。
 アルトーの「器官なき身体」からもいろいろな解釈の道が取り出され、それを逆転させたジジェクの「身体なき器官」という、今のウェブ時代を風刺する批評概念も生まれている。五線譜に書けないもの、共通のアプリケーションを超えた、個的な通路を求めはじめているのである。

 科学で未だ証明されていない霊性の世界は、われわれにとって未開発の分野であるが、それを直観だけで安易なヒーリングの道具として使うのは危険が伴う。
 心の病は、感情のコンプレックスから生じる。悪性の気の流れと、局所への凝結が原因と思われるが、原因が大脳だけの問題だとすることは間違いなのである。心は、内蔵の各器官にも分散しており、その上、自分をとりまく環境との関わりにおいてもつくられる。

 心の病を持つ人が、社会から、また家庭から分離されて一時的に治癒されたと見えても、社会状況が政治的に替えられず、その家庭での関係がそのままなら、病状はまた元に戻る。
 おそらく豊島氏は、理論だけの、経験のない、安易なユートピア的なセラピーやヒーリングに対しては、反対の立場に立つている。豊島重之氏の精神医師としての心情と構想が、この作品のなかに籠められている。

 生命の根である“意”への重視と社会に対する政治的な攻勢。氏のコピーの中に見られる「生ー政治学的な古層」という用語は、そのことを証すると同時に、フーコーの“エピステーメ“の世界を彷彿させる。


 この作品でいちばん思いがけなかったのは、ダンサー、田島千征さんの微笑みの演技でした。
 あれはこの作品の中でどういう意味があったのかが、この作品の意味を解く一つの鍵のような気もするのです。
 一見、その作られたような微笑みの演技は、田島さんの独創ではないようです。演出の豊島氏といろいろ2人でその表情術を試していたようですから。
 あれは“タオ”の「内笑微笑」に通ずるものです。それとは別に豊島氏が発想し、田島さんにひとつの目的のために提案されたのでしょうが、そこに至る経緯が推測されるのです。
 それには先ず、“タオ”の「内笑微笑」の方法から説明しておいた方が納得できると思いますので、以下にその仕法を順を追って説明致しましょう。
 
 まず、目の前の90㎝ほどのあたりに微笑みの対象のイメージを浮かべます。その結果、表情に表れた微笑みの気を“第三の目”である眉間のツボから吸い込むように下方へと、胸腺から心包(胸部の中心にある心臓センター)へと下方に降ろし、“微笑み”を吹きかけるようにしながら次々と各器官に移し換えてゆく。この心包から次の肺あたりが、狙いの効果の中心なのですが、体内の五臟からつづいて六腑、さらに大脳の各部と脊髄の各部の“腺“の上を、一つづづ進んで、最後に下丹田に収めるというやり方なのです。
 これは体内の臓器と腺に微笑みかけて、生活のストレスから生じた邪気をそこから脱ぎ払って、否定的なエネルギーを肯定的なエネルギーに変換しようとするもので、じっさいに大変効果のあるものと評価されています。

 ですが、豊島氏の意図で作品の中で演じられた田島さんの演技は、結果としてはこのタオの「内笑瞑想」の微笑みの手法と似ているのですが、それは豊島氏の精神医としての経験から産み出された独自の手法なのだと思います。
 つまり、患者の心の悩みを払底させるために、この方法が効果があるという、規定の治療法があってのことでなくいのです。患者の感情のコンプレックスを解くための方法を見出したという以前に、長年患者を診察していた間に築かれた人生哲学から生じたものだと思うのです。治療よりも患者の生き方の方が大事だという観点です。

 それと同時に、演劇は、とかく愛と憎しみとの、世情の混乱の中での葛藤を演じるのが常なのですが、この作品においては、それらの日常的な感情の次元を超越したかたちで各種の演技が提出されていますが、これも患者との診察経験の上から発想されたもののような気がするのです。
 その超越の標として“微笑み“が使われているのでしょうか。あるいは、メイエルホリドの消え行く生命に対比するものとして、あのような微笑みの場面が必要だったのでしょうか。

 医師は“仁徳”を先ず心がけなくてはいけないと言われます。ですが、患者の閉ざされたこころを開くのは“徳”のモラルだと気付いたのかもしれません。タオでもこの“徳”のモラルを引き出すために、心臓センターに“微笑み”で働きかけているのです。それにつづいて“同情”ではなく“共感”の心としての“慈悲”がその背後に潜んでいるような気配がするのです。それは愛憎の愛とは違って憎しみの方、排除や怒り、殺意と相対するするものです。

 “徳”とか“慈悲”とかの言葉は、儒教とか仏教の教えを思い出させるものですが、これらの概念を科学的に再考する必要があるのでしょう。
 要するに、「解剖学」を土台にした脳や内蔵を対象とした“形態学”の時代から、「分子生物学」を出発点とした“大脳科学”の時代に移行したということです。
 また、意識を“指向性”の側から捉えていることです。“微笑み”が感情を逆転させているように、“眼球の動き“が演出家の思考と構想を自由に転じさせているのです。
 豊島氏のばあい、バタイユの「眼球」がここで生かされているのです。
 

Saturday, January 24, 2009

豊島重之(4)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ー劇場空間が即、社会学の“場”なのだー

 よく考えてみると、豊島重之氏のこの作品は、演劇形式をとりながら、動きとセリフが分離されて、また俳優が相互にドラマティックに絡み合うこともなく、各場面がそれぞれ切断されていて劇的誇張がない。
俳優の表現が、すべて日常的な行動の次元を土台にしているのです。
 
 その上、流れのぜんたいの構成と、俳優の立つ位置の空間布置が、関係性を超えた一つの“磁場”をつくり出しています。テクストによる台本をベースにしているのではなく、構成と配置が演出によって操作されている。

 俳優はそれぞれ、狭められた自由さの中で、その物質的な場と関わりながら、自然らしさを持って、“真実”を表出し、それが記録的な他者の口述と平行してすすめられて行く。

 先に、スターリンに相応する役の俳優がステージの中央に屹立し、権力としての光を壁を背にした俳優に向って投射している、と表現しました。しかし、それは劇的な空間配置と、俳優の身体的な構え、読み上げられる文章のシンタックスから受ける意味性と、光の一方的な投射方法によって感じ取られた印象なのです。
 
 もし、それを劇的な解釈を抜きにして客観的に観た場合には、スターリンに相応する役を演じた若い女性の秋山容子さんは、べつに厳めしい演技をしていたわけでもなく、普段着のまま普通に真っ直ぐ立って、相手を撮影するためにカメラを構えたポーズに過ぎないのです。
 
 ということは、この作品は社会状況を“演劇空間”として捉えるギアツの社会学の方法とは、ちょうど逆の方向からの観察法なのです。つまり、演劇をテキストから分離させて、トポロジカルな配置において、現実の社会の中枢権力とメディアによって絡めとられた、限定された自由の状況を描きだすためにとられた、演劇空間を使用した社会学の“場”なのです。

 
「権力と自由」、あるいは「自由と平等」の関係が語られた段階から、ロールズの『正義論』を機に、“公正”としての意味での自由が討論され、それが人間の根源的な“こころ”の問題へと移行して行ったのです。
 これらは「分析哲学」の言語による明晰化の動力方向性なのでしょうが、人間のモラル(徳)の“正義”、“愛(慈悲)“、あるいはギリシャ以来の哲学用語である“善”とか“真実”という概念が再検討されることになったのです。そして最終的には、これまで曖昧にされていた“神”と霊”の合一と分離、“心”と“精神”の区分けまでが論議されることにもなっているのです。

 “自由”に対する制約を出来る限り取り除こうとするアメリカの1980年代以来の“新自由主義”と“グローバリゼーション”の破綻が見えてきた現在、改めて“自由“の問題が、その限界線において生命と絡んだかたちで捉え直されることになったのでしょう。
 しかも、それはあくまでも現実的な政治的な尺度の上で語られなくてはいけないわけです。豊島氏がこの公演のチラシのコピーで「ーーー イメージの底をぶち抜いて、その形姿の根源に「微光」を掘削すること。そこには生ー政治学的な古層、いわば深海の発光体=イリュミオールがーーーーーー」と、「生ー政治学的な古層」という言葉を使用しているのは、そこから出ているのでしょう。
 ちなみに、豊島氏のアーティストとしての政治的なスタンスはポストモダンの経過を踏んだ「差異の政治」の側にいると判断します。たとえば、サイード、スピヴァク、バトラーなどのような、“ポストコロニアル的な理性批判“を持ったアーティストだと思うのです。

 日本にドイツからモダンダンスを移植した江口隆哉氏の下で、学校ダンスの制約に屈しなかった2人のダンサーがいます。ひとりは大野一雄氏で、もう一人は豊島重之氏の実姉の豊島和子さんだと、私は思うのです。モレキュラー シアターの俳優すべては、この和子さんのお弟子さんなのです。
 豊島重之氏は仙台の東北大学の医学部の学生時代に、休みを利用して横浜の大野一雄氏のスタジオに稽古を受けに行ったことがあるそうです。あらかじめ電話をし、慶人さんが上星川の駅に出迎え、あの長い坂道を登って行ったということです。これも新宿で出合ったときの話です。

Saturday, January 17, 2009

豊島重之(3)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ー“光面“としての白い壁ー
 
 白い壁は、あらゆる色の光りを四方に乱反射させる。
 スターリンと想定される人物が投射する白色光。白壁を背にした俳優の表情と姿態を、それが余すところなく浮き出させた。それに反して、光を投じられた側からは投射するスターリンの顔は見えない。微動だにしない権威者の影が目に映るだけ。その背後から、他人の声で、自分の上申書のエクリチュールが分節化され、息苦しく読み上げられてゆく。

 そこで、観客として感じとられるのは、演者が空間も、視覚も、セリフも剥ぎ取られている、ということである。ただ、白壁の上に投射されたスライド写真の中の人物だけは、固定された実像なのだが。
 上体がやがて静かに持ち上がる。揺れる。腕がゆっくり放れてゆく。掌と指のかすかな動きがひとりの人間の、それはメイエルホリドなのだが、残された、少ない、命(いのち)の時間への標と見える。

 これは演劇の解体、デリダの「脱構築」の仕組み、工作のようだ。しかし、「脱構築」というが、ポストモダンのオルタナティヴ、あるいは折衷主義とは違う。
 ポストモダンが、モダンを前にすすめるものとすると、モダンから後ろに退けるプレモダンなのだろう。

 最初のメイエルホリド役の俳優が長時間、上体を前に屈めたままで頭を前に向けているポーズは、あれは中国古代の“気功”の最初の「亀のポーズ」なのだ。それに、エクリチュールを記号化しながらも、魔術的な音声言語としている。それはデリダの『声と現象』の論とは別の方法である。

 また、『グラマトロジー』の「差延」はデリダの「差異」に関する新解釈から生まれた哲学用語であるが、それに対して豊島氏のこの作品のばあいは、『イリュミオール・イリュシオール』のタイトルが示すように、魔術と詩想の光(イリュミナシオン)による、人間の自由をテーマにした幻灯演劇のように見える。また、見方によっては、魔術の世界に新しい「身体療法」への科学の通路を探っているようにも思われる。


 私が小学生の時、正月に「鶴は千年、亀は万年」という細い色紙が茶の間の柱にかけられていたのだが、それを見た記憶が何時までも脅迫的に私の心に残っているのは、その記憶と組み合わせで思いだされることがあるからです。ちょうどその頃、町内の同じ年頃の子が、近くの貯水池でスケートをしていて、氷の割れ目から氷下に落ち込め、そのまま死亡した騒ぎがあったからです。

 「亀のポーズ」というのは、ちょうどお相撲の構えのポーズに似ている。その時、背骨を真っ直ぐにするのがコツのようだが、脊髄にエネルぎーを集結させるのだろう。「鶴のポーズ」は太極拳の中に“白鶴亮翅(はっかくりょうし)“の「白い鶴が羽を拡げるポーズ」として残っています。亀のポーズは中国拳法の稽古で似たようなものをやりますが、その原型がやっと中国の少数民族の間から発見されたと、津村喬さんから教わりました。亀も鶴も二つとも、第1頸椎と頭骸骨との間のツボを刺激する方法なのですが、鶴のばあいは、顎を引いて、頭部を上から吊るされるようにするのです。その同じツボの操作で亀は万年も、鶴は千年も生きるエネルギーを持っている、ということでしょうか。

 メイエルホリドの役は最初、私は「ああ、イケメンの男優が演じている」と観ていました。しばらくして立ち上がって、横顔になった時にそれが女優の大久保一恵さんだと分かったのです。私は多少驚いたのです。なぜなら、宝塚歌劇を観ても分かる通り、男が女形をやれても、女は男になるのは難しいようです。白州正子さんも永いこと本格的に能をやられていて、結局は止められたのは、男の筋肉でなくては耐えられなかったからだそうです。大久保さんがメイエルホリドに成りきれたのは、亀のポーズから始まったからかもしれませんね。

 そう言えば、新宿での豊島さんとのミーティングのとき、前述の津村喬さんの話も出ました。豊島重之さんと高沢利栄さんのICANOFが主催した、昨年夏の「68-72※世界革命※典」のグラビアが、雑誌「桿 HAN 特集1968」創刊号(発行所 白順社)の巻頭に紹介されていますが、それにつづいて掲載されている津村喬さんの論『反逆にはやっぱり道理がある』は、気功を通じて中国の「文化革命」当時の政治的状況がよく描かれています。
 豊島さんはかっての津村喬さんの活躍をよく知っていて、その詳論活動の内容を語ってくれましたが、60年安保以来、丸山真男、吉本隆明から津村喬へと時代の指針のバトンが渡されていたのに、なぜ中国の気功世界の真唯中に飛び込んでしまったのでしょうか。

 昨年末、はじめてお会いしたとき、失礼とは存じながら「気功はそんなに面白いですか?」と、冗談のように不躾な質問をしましたところ、ただ黙って笑みを浮かべていらっしゃいました。
 そして、正月の挨拶のメールには以下のことが述べられていました。
 
「気功を始めたのは16歳の時で21、2で本を書いて評論家になるよりも先でした。中国の激動に苦しみながら、結局どんな政治潮流よりも気功と太極拳をひっそりと続けていく庶民に中国民衆の原像を見いだして行った次第です。それでももう一度はっきり自覚をしてその中に入っていったのはやはり70年代後半以降のことですから、先生とも「方向転換」を共有しているかも知れません。私の著書はいろいろありますが、先生のホームページに書かれた物を拝読して、まずこれをお渡ししてと真紀子に頼んだ次第です。」
 
 戴いた著作本は『気功的生活』(発行 同友館)という、こころの暖まる随筆集です。それにお礼のメールを差し上げたのです。真紀子というのはダンサーのオトギノマキコのことです。二人とも京都で生活しているようです。先生と言われていますが、私が津村さんより先に生まれているからだけのことです。

Wednesday, January 14, 2009

豊島重之(2)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 
             ーすべてが、波動なのだー
 
 ステージで、ということは無音の観客の前で、じっとしていることは辛いことだ。私自身も最初のマイム公演のとき、それをつくづく感じた。一時間あまり音楽なしで、緊迫した空間の中で演技し続けるということも、全く恐ろしいことである。それに反面して、そのような時に音楽というものはどれだけ自分の思いと動きを触発し、励ましてくれることか。正しく登山者が山中に湧き水を見出したときに感じるようなものである。

 この作品の最初の出演者の出だしの演技を観ながら、そんな自分の過去の経験を振り返ってみたりした。
それにしても、いま目にしている俳優は最も辛い姿勢のままでじっと立ち続けているのである。そんな時、からだが雁字搦めになってどう仕様もなくなっている時、人は宇宙の波動を感じるものなのだ。
 じぶんの“脈”と通じるような、“呼吸“と合っているような反しているような。空気の圧力とその中に微かに感じとれる微粒子の電磁波の一種かもしれない“気”の流れも。

 正面の白い壁を背に無理な姿勢で立たされているその前に、ちょうどステージの空間の中央に当たる箇所に一人の女性が、照明の投射機を抱えて屹立したまま、前面の身を屈めている俳優に光を投射している。
 口述が息苦しく聞こえる。客席の最前列に位置するナレーターによって語られていく。口述がすすむにつれ、前面の演技者はメイエルホリドの役であり、ステージ中央に立つ女性はスターリンに相応することが判明する。そして延々と口述されるその上申書の内容は、メイエルホリド自身の演出家としての良心から湧出される自由な表現に関する切々とした弁明なのである。

 しかし、自我を神のごとき絶対なものとするスターリンの側からは、個人の自由な発想など許される筈はない。すべては自分の意のままにすすめること、それが彼の共産主義の意図なのだ。
 自由を失われた世界。それが、この豊島演出では三次元の空間が失われた世界なのである。空間の中央に位置するの者は、唯ひとり“光”を保持するスターリンのみで、この後につづく全ての俳優は三面の壁の上の二次元の世界にいるだけである。

 “光”は生きている間にだけ(壁の前で演じている時だけ)、過去の記憶としての、写真の中に実像として動くだけである。ここで凝縮して感じられるものは、光も、呼吸も、脈拍も、又、セリフの音波も、すべて“波動”なのである。

 
 ここで思い出しましたのは、新宿で豊島さんとの会話の中に出た一つの、今度ノーベル賞を受賞した南部陽一郎氏の「対称性の破れから物質が発生する」ということでした。
その時「南部さんは盛岡の南部の一族なんですよ」と私が言ったらば、同じ八戸南部に住んでいる豊島さんとしても、それは初耳のようでした。
 「盛岡南部は別地として、福井の永平寺の傍の大野というところに領地を持っていたのです。南部陽一郎氏はそこで生まれたのです」

 私は妙なきっかけで、と言ってっも多少の縁はあったのですが、陽一郎氏の従妹に当たる方と親しんでいたのです。妙なことで会ったというのは、彼女は偶然にも家の近くで小さな「依託の古着屋さん」の店を出していたのです。店前に置いてある小物が気に入って購入してから、時々立ち寄って話しているうちに、その女性は南部さんという人だと分かったのです。
 「もしかしたら、盛岡の南部さんじゃないですか」と聞いたところ、「なぜですか?」とちょっと驚いた風でした。

 陽一郎氏の若い頃の顔もそうですが、この一族は皆ゆったりとした特徴のある良い顔なのです。名前を訊いたら「明美です」という。「嘘おっしゃい!」と笑って受付けなかったら、「じつは“明美“という名前が好きでそれを使っているんです。本名はお店の名と同じです」という。
 どこか、学校の数学の教師をしていたそうですが、人間関係が嫌になって、今はデザインの仕事を店の奥でやっていて、古着の売り上げは野良猫のエサ代と、あとは社会奉仕としてどこかに寄付をつづけているそうです。

 彼女は下町のマンションにつつましく一人で暮らしているのですが、時々掘り出し物が店に置いてあったのは、知り合いの“シロガネーゼ”に依頼して店に出したものだったようです。
 忠臣蔵の「南部坂の別れ」の坂には南部家の上屋敷があった処で、港区の「有栖川公園」は下屋敷だった処なのです。「今はもう何も無いです」と微笑みながら語ってくれたのですが、戦前ならば、彼女は“伯爵令嬢”なのです。

Tuesday, January 13, 2009

豊島重之(1)

 「illumiole illuciole」
   2008年11月9日、於:月島、旭倉庫 TEMPORARY CONTEMPORARYにて所見 ー1ー
 
 これは昨年11月9日に観た作品のことなのだから、今になってブログに書き込むなんて、おかしなことなのですが。
でも、これについてはすでに、公演あとに5日間に亘って書き済みで、「下書き」として保管してありました。しかし、
いろいろ考え過ぎて、そのままの状態で放って置きながら、何時も頭のどこかで気になっておりました。
 それが年末になって突然、高沢利栄さんから電話がありました。「いま、豊島重之といっしょに東京に出て来ていますが、会えないでしょうか」。宇野邦一さんの台本の、勅使川原三郎のシアターXでの公演のための上京の翌日のことでした。

 突然のことだったが、早速新宿の中村屋のカフェで待ち合わせることになった。在京中のご子息も一緒に見えて、そのあと場所を新宿南口の駅ビルの中の店に移動して、ビールを飲みながら話がつづいたのです。
 豊島氏はつねに、時間と地域性に追い込まれ、つねに性急に問題の核心に迫って討論しがちなのですが、すべてが散発的な私との場合はそうも行かないようで、結局まとまりの付かない話になってしまうのです。

 今になってはもう、その時に何を話したのか分からなくなってしまった状態なのですが、永いこと接触が途絶えていた豊島氏が今どのあたりに居て、ものを考えているかが朧げに分かってきたような気もするのです。
 あの3日間の公演の内容と、演劇論の「アフタートーク」については、私は1日だけの参加だったので、正直なところ了解しかねている部分もあるのですが、自分としては、直観として何が目的であのように作品が布石されていたかは推測できた積もりでいたし、その後八戸から送って来られた3枚の新聞批評コピーを参考にしながら、私なりの、あの作品をベースにしての、作品批評ならぬ豊島論を、このブログにおいて何回かにわたって展開して行きたいと思います。

 今日は、その導入部になるのですが、先ずその解析的な方向性を示しておきましょう。
 豊島重之氏は、これまで精神医学の立場を軸に、言語学とフランスの現代思想を方法手段としてやってきたのですが、時代の流れを観るのに聡い彼としては、現在注目されている脳科学の最前線と量子力学の新たな発見に目を向けはじめています。  
 しかも、決定的なことは、脳と身体との対比から、こころの定義を脳と身体からも拡張して捉えるようになったことでしょう。
 それは、おそらくドーキンスの生態学的アプローチの影響によるのかもしれないが、たとえばドーキンスが蜘蛛の巣が蜘蛛にとってそのまま、こころの表れとしての生活様態だとするならば、人間にとっての言語を手段としたウェブの世界も、さらに動きと言語を手段とした演劇も即、“こころ”の様態だということができる訳です。

 そして、それはまた一方で、人間と環境との繋がりを行為によって展開してゆくアフォーダンス(環境が生体に対して行為の可能性を提供する)の文脈でもあるのです。ここにおいて、“こころ”は脳の中に閉ざされた段階から、身体各部の内蔵に分散され、しかも環境への繋がりの行為として延長されてゆく。しかも、宇宙の“波動”と“光”がそれに及ぶときどうなるかを提示しているのです。

 さらに、これまでの“装置”を中心にした現象学的な手法から、パサージュ(通路)から文脈的な構造に変容させた演劇の構造体において、また一つ、氏によってその中心的なものを探るために文脈に対して工作がなされ、問題が提起される。
 空間と時間とがねじ曲げられ、したがって幾何学と代数学とが分離される。その時、はじめてこころが、生命がどの位置に閉じこけれれているのかが判明される、という仕掛けになっている。
 このあたりを、詳細にというより、漫談的にというか、渉猟してみようというのが私のこのブログの狙いです。