Wednesday, July 13, 2016

アルトー館公演



北山研二さま

ブログが通じないということで、昨日は随分悩みましたが、よく調べましたら
メールでアドレスをペーストしたとき、ズレが生じ、scorpio oikの間のーが消えていたのです。たいへん失礼いたしました。

なお、一昨日にお送りした、アルトー館9月公演の演技者宛のアドバイスとして文、「華厳経に述べられている「華厳観」による演技方針」の説明とその全体選出方針に関する注意事項は、演出者に対しても、もっと全体的な説明が必要なわけで、あれでは安易な伝達メモに終っており、十分に納得できたか危ないものです。

しかも、あれは最初の演劇、第1部を含めた3部構成のダンス作品の中の、その第2部の京都の龍安寺の枯山水の「庭」をテーマにしたもので、その砂地の庭に置かれた神霊を呼ぶ岩の代わりに人間の身体を置く構想なのです。
そこで発生する「場」の問題に取り組むことからこの仕事が始まったのですが、この後に続く、第3部と、序として最初に付け加えられる予定の第1部の演劇の部については追って説明致しますが、この企画は、昨年10月のアルトー館公演のテーマ的には後を追うもので、自然とか宇宙とか、また、今回は昨年の「智慧」につづいて第3部に至っては、老子の「無」の問題にアルトの演劇論なども絡んで来るという、たいへんな難問題を抱え込んでいるのです。

そしてこのような難問だらけの作品を提出して、皆で考えて行こう、と演出のほかに体調不調を理由に出演も放棄した自分としては責任を大いに感じて、その作品内容と資料及び制作進行方法についてはひたすら奉仕の構えで努力せざるを得ない立場に追い込まれ、関係者一同のこの公演制作に向ってのいろいろな意見交換と制作検討の場として今年はこのブログを中心に置くことにしましたが、出発早々にまず、事の説明の丁寧さに欠けていたとを反省し、あらためて「制作に関わっている全員に万全の奉仕精神で事に当たることに決めました。

それで、先日の最初の第2部の説明に当たって、一作日のブログで欠けていたものとして、もう1人の出演者の蒼さんのことがあります。
なぜ最初のブログでの第2部の説明で彼のことに触れなかったかといいますと、あの日は最初の岩を演じているときの3人のダンサーの演技の、天台宗の座禅の「止・観」の観る者と演じる者との交換、つまり演技者が観客の観る眼に立って、もはや魂が身体の背後に抜け出て、身体が完全な「モノ」に変じていて、しかも観ている者の側に反応して操作するという、正しく岩が神を呼ぶ神霊的なものを演じる第1場面に関しては説明なしに送ってしまったのです。

次に3人のダンサーが立ち上がって、砂地を歩いて、いよいよ3人が別々に、そのキャラクタ−が別々に、華厳宗の修錬を通じて、そのキャラクターなりの演技を行ってもらおう、と思ったのです。
というのは、自分の五臟六腑に拠らない演技というのは、深みがないからです。
それで木星の相良さんには華厳観の“海印三昧”を、高橋さんは金星ですが、修行として2つの華厳観のつながりとなっている、その後の方をやってもらうことにしたのです。

では、第2部の3人のダンサーのうち、蒼さんには何にも触れなかったのは何故かと申しますと、彼のキャラクター水星なのですが、修行としては彼だけは別で、華厳宗ではいちばん修行に打ち込んだ、京都佐賀の高山寺の明恵上人をやってもらいたかったのです。というのは彼は、10月半ばには大磯の神社で私の代わりに“耳無し芳一”を演じなくてはならない立ち場にあり、そして明恵こそが実は“耳なし芳一”なのです。
そして、すでに私は蒼さんのために本屋に講談社文芸文庫の『明恵上人』白州正子を注文しているのです。

たとえば、この本の中で白州正子氏は、明恵上人のことを次のように紹介しています。
「伝説を造り出したのは、当人の力といってもよく、それより上人は信仰の深い父母を持ち、特に武士の家に生まれたということが、将来人間を形成する上に、大きな影響を与えたように思います。
『仏教修行」はけぎたなき心あるまじきなり。武士などはけぎたなき振舞しては、生きても何かせん』(遺訓)
 当時、武士道と名づけるものは、未だ成立されていなかったでしょうが、明恵の生活態度には、僧侶というよりはるかに武士的な、いさぎよいものがあり、既に四歳の時、こんなことをやってのけました。」
それは父がたわむれに烏帽子を着せてみると、よく似合ったので、「形美麗なり。男になして、御所に参らせん」と口走ったのに対して、法師になれないなら、いっそのこと方輪者になろうと縁側から転げ落ちるのですが、僧侶になった後には、身の周りの女性をさけるため、自分の右耳を切りとってしまうのです。
ここまで来ると、もはや華厳観などの修行は必要としないのでしょう。


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