Monday, July 18, 2016

池内 了氏の文


宇宙は「無」から生まれたのか?

今年の私のブログは「池内 了氏の文」から始めることにしました。それはわれわれの今年の活動は池内氏が掲げるテーマにより近く、しかも非常に刺激し、しかも最近の科学の開発された状況を丁寧に教えて下さるからです。しかし、あまり氏の研究成果に甘えてばかりおれない。それで「池内氏の文」のタイトルはこの5回目を最後とします。
そして、われわれがいちばん関心を持っている、上の「宇宙」と「無」のテーマについて池内氏がどのように考えていらっしゃるか、池内氏の以下の文を参考にしながら、われわれの仕事を前に進めて行きたい。
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「量子論」と「一般相対性理論」が結びつくと----------

 この宇宙は、3次元の空間と1次元の時間のなかに、次の三つの物質(あるいはエネルギー)が存在していると考えられている。

   「バリオン」でできた天体
   重力を支配する「ダークマター』 
   仮想的な「ダークエネルギー』

 
 観測事実としての宇宙膨張を認めれば、時間軸を逆にすると、必ず有限の時間で宇宙のサイズがゼロになる時点に行き着かざるを得ない。つまり、宇宙は有限の過去の、ある時間に誕生したことになる。では、宇宙はどのようにして誕生したのだろうか?
 もし、なんらかのものから宇宙が誕生したとするなら、それがどのようにして誕生したかが問題となるなら、「ニワトリが先か、卵が先か」の関係と同じで、答えは出てこない。結局、物質やエネルギーなどが何もない状態であ「真空」から宇宙は誕生したとせざるを得ないのだ。
 
 さらに、この場合には、時間も空間もない。空間(宇)や時間(宙)の誕生そのものを問題にしているのだから、それも考えてはいけない。このような状態を「無(む)」と呼ぶことにしよう。
 時間・空間・物質(エネルギー)のすべてが、「無」の状態から宇宙が誕生したとしなければ、本来の宇宙創成論にならないのである。もし、どれかが存在する状態から出発するなら、その起源がやはり問題となるからだ。

 しかし、「無」から「有(ゆう)」の宇宙が生まれるだろうか?
なんだか禅問答みたいだが、考えるヒントはある。宇宙誕生時は、極限まで物質が潰れた状態と考えられるからミクロな状態では物質は量子論的な状態になり、量子論の世界はマクロな古典物理学の世界の常識が通用しないことである。

 たとえば、量子論の世界では、物質の位置(空間点)と運動量(位置の変化率)、エネルギーとそのエネルギー状態にある寿命(時間点)は、それぞれ確定せず、不確定性関係で結ばれている。また、時間や空間は、絶対的なものでなく、物質の存在や運動状態によって相対的に変化すると考えるのが「一般相対性理論」なのである。
の立場
 もし、量子論と一般相対性理論が結びつけば、時間・空間・エネルギー(物質)がたがいに結び合い。たがいに入れ替わり得る(ゆらぐ)ということになる。そのような状態は、確定した時間や空間やエネルギー状態に生きるマクロ世界に私たちにとっては認識できないから。「無」でしかない。しかし、物的な作用はそこに生じているのである。

 といっても、量子論と一般相対性理論を結びつけた「量子重力理論」は、まだ完成していないから、私たちは、このよう「無」を取り扱う方法を知らない。そもそも、そこに流れる時間は、私たちが使う時間とは違っているのだから、どのように時間につながっているのか、いないのかすらわからない。
 といって、黙って拱(こまね)いていてもしかたがない。現在の私たちが知っている物理学を無理矢理延長して、なんとかそれらしい宇宙誕生劇を描けないものだろうか。



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これに対する私の“禅問答”ならざる、禅の立場からの考えを次ぎのウログで展開します。

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