9月公演「庭」の参考資料として
『般若心経』について
観自在菩薩 と 舎利子
ー 経の舞台と主役 ー
いよいよこれから経の本文に入る。経文はに日用読誦聖典などをそばに用意しておいて、参照していただきたい。お経の講釈は経文の順序を追って一語一語果たして行くのが通例であるが、本書では経文の全体を眺めわたしながら解説していきたい。
本説はこの経典の舞台に登場する二人の人物について考えてみよう。
二人の人物とは、観自在菩薩すなわち観音さんと、舎利子である。舎利子は舎利弗(ほつ)ともよばれる。仏弟子中の筆頭で智恵第一といわれている。この二人を二人とよぶのは、とくに観音さんの場合には不当かも知れないが、ともあれ、わたくしたちの知る限りでは、一応人間の姿をしておられるので、二人とよばせていただく。
さて、二人のうち、観音さんはまずお経の冒頭で、
「観自在菩薩、深(じん)般若波羅密多を行ぜし時、五蘊は皆空なりと照見して一切の苦厄を度したまえり」と見える。これがその名の出る唯一の機会であり、そのなさったことのすべてであるように見える。
次に舍利弗であるが、これは右に続く文中で、
(一)「舎利子よ、色は空に異ならずーーー」
(二)「舎利子よ、是の諸法は空相にしてーーー」
の二回、よびかけの相手として現れる。つまり舎利弗はこのお経では、説法の聴き手、聴聞者として登場していることがわかる。
ところで、このお経を説いているのは誰なのか。前にも述べたように、お経は「仏説」であり、この経も「仏説摩訶般若」云々とよばれることがあるから、仏さんが舎利弗にむかって法を説いておられるのだと考えられるであろう。ところが、どうもその状況はちょっと違うのである。
右の「舎利子よ」を仏さんのお言葉とすると、冒頭にあった「観自在菩薩」云々は一体何を意味し、何のためにあるのか。何故、観音さんがそこに登場しなければならないのか。
まあ試みに芝居の舞台を想像してみよう。舞台中央やや右手に仏陀が坐り、左手には大勢の仏弟子たち
が仏陀の方を向いて居ならんで説法を聴いている。その先頭にいるのが舎利子で、仏陀はとくにこの智恵のすぐれた弟子に向って、深遠な般若はらみつの教えを説いておられる。
その時、観音さんは一体どこにおられるのか。舞台には現れないで、ただ仏の説法の中でだけ、その行跡が物語られるのであろうか。それならば、なぜ観音さんの話がそこに出たのであろうか。
あるいは、観音さんもやはり舞台上にいるかも知れない。たとえば、右手のはじの方でひとり禅定に入り、深遠な般若はらみつを行じ、諸法の空なることを照見しておられる。
それを見、その方向を指し示しながら、世尊が舍利子に向かい、「あの観音さんのようにお前も照見しなければいけないよ」と諭しておられるのかも知れない。
実はこの二つともちがうのである。これは「心経」二百六十二文字だけではわからないのであるが、前(第二節)に述べた「広本」を見るとはっきりする。広本は通常の経典のように、「如是我聞」ではじまり「歓喜奉行(かんぎぶぎょう)」で終っている。つまり、経典として完全な体裁を整えている。それを見ると、この経の舞台装置がよくわかるのである。その書き出しは次ぎのように」なっている。
このようにわたしは聞いている。
ある時、世尊は大勢の仏弟子や菩薩たちとともに王舍城の霊鷲山(りょうじゅさん)におられた。
その時世尊は「深淵なさとり」と名づけられる三昧に入られた。
そのときの偉大な菩薩である観自在は、深遠な般若はらみつを行じつつあったが、次のように感得した。
--------- 五つの諸要素のあつまり(五蘊ーー<及川註 色・受・想・行・識>)がある。それらはみな空で
ある------ と。
そのとき長老舎利子は、仏の威信力を承けて、観自在ぼさつに次ぎのように言った。
「もし誰か善男子が深遠な般若はらみつを行じたいと願ったならば、どのように学習すべきでしょうか」
かく問われて聖なる観自在ぼさつは長老舎利子に次のように説いた。
「舎利子よ、ーーー」
以下、経の主要部分は大体現行の『心経』と同じで、最後は次のようになっている。
「ぎゃーてい;ぎゃーていーーーーぼーじーそわか。---------------
舎利子よ、深遠な般若はらみつを行ずる時、菩薩はこのように学ぶべきである。
そのとき世尊は三昧から立ち上がって、観自在ぼさつに賛意を表された。
「そのとおり、そのとうり。善男子よ、深淵なはらみつを行ずるには、そのように学ばなければならない。
そなたの説いたとおり、諸仏たちも喜んで承認されるであろう」
このように世尊は仰せられた。そこで舎利子や観自在菩薩をはじめとする、その会座に居合わせたすべての
ものたち、および神々、人間、アスラ、ガンダルヴァたちを含むすべての世間のものどもは、世尊のおこと
ばに歓喜したのであった。
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高崎直道『般若心経の話』曹洞宗宗務庁 より
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