Thursday, August 06, 2015

10月公演のために


4)  加藤英弘さん
         
             南部家の人たち(A)

大串孝二さんは、何時も思わぬ発想から意外なことを言い出す美術家です。前のメールでのデッサンの形に対する発言もそうですが、「ひも理論」の時もそうでした。美術と物理学と次元が違うのですが、そんな時、それを私はノーベル賞受賞者の南部陽一郎氏の学説と対比してみるのです。
この“かたち”あるいは“結晶”との“いろ”との関係については、南部陽一郎氏の「量子色力学説」について私は誤解していたようです。南部陽一郎氏の後を追って研究している学者の研究成果を読んでいた時に、「素粒子には色の付いたものがある」と不思議に思いながら読んだ経験があったのです。
しかし、その学者が南部氏の説を信じて、素粒子には色があると仮定して実験を進めていたからなので、結合組織を知るための「仮定の三色」だったのです。
では、大串さんの「デッサン論」の色は仮定でしょうか、これは真性に向う仮定とも思われますが、実際にそう見える場合もあるのです。

自己の真性が自ら働く時、そして真実性が実際に心の中に生じたとき、色とかたちが表出される。それは事実です。しかしそれを中心で動かしているのは、空海の論で言えば、心の中の“智慧”が悟りを開いた結果の、“般若”という状態になったとき、そう見えるのです。
その“本性”を全ての人が “こころ” の内に持っている筈なのですが、そこまで“悟る”ことが難しいのです。
一方、“こころ” なるものは、目の前の“大空”と同じような広がりを持った大きな空(くう)の存在ですが、それが外界で経験した記憶と関係性で充満しているのです。それらを無いものとする浄化した“こころ” の状態を「無相」の状態といいますが、“かたち” を描いても直ぐ消える、“真実性”や“本性”または“仏性”を見い出す前の座禅によって作りだされる状態です。

しかし南部陽一郎氏の「無相」はそうではなくて、新しい事を見い出す時にも、心の空間の中は外界で経験した記憶がそのまま残っていて、「それに注意を傾けながらもある意味で切断されていて」南部さんの心はいつも“般若”の状態なのです。“般若”の正しい思いでいる、ということは、あらゆることに関わっても、それに執着しないということです。なぜか、南部さんはすでに知らぬ間に自分の修行を終えていて、彼の心の“般若”という状態の中で、“智慧”を思う存分に周りの物と関わらせながら、自分の研究対象に向って無数の発想を作り出すことが可能な人になっていたのです。
なにしろ、あのアインシュタインと論争して、相対性理論と量子力学とが矛盾しないということを予現した方ですから。

実は、南部陽一郎さんは福井県の出身というこでしか、身を明かさないまま亡くなったのですが、出は岩手県の盛岡市の南部藩の家系なのです。この家系は優れた才能持つ家系で、陽一郎さんの従姉妹に当たる数学者の南部範子さんから直接聞いた話しですが、当時の福井県の大野村に、南部藩が所持していた別地があり、近くの寺(というと、永平寺に相応すると思うのですが)にその管理を依頼していた、というのです。が南部範子さんの父の代になって、父の弟がその別地に住むことになり、その子が南部陽一郎さんなのです。

南部家はすでに盛岡の城(石川啄木に「不来方 ( こずかた ) のお城の草に寝ころびて、空に吸はれし十五の心」と詠われた)と、忠臣蔵の「南部坂での別れ」で有名な江戸の上屋敷と、今は「有栖川の宮公園」となっている広大な下屋敷など、すべてを上納させられており、南部陽一郎氏は第二次大戦では戦争にかり出され、帰国後は兵隊服のまま何も持たず、東京の研究所に直行し、夜はその研究室の机の上で寝泊まりして研究をはじめたのです。正しく座禅ならぬ、白隠和尚の“寝禅”で過ごした時期のことを考えると、氏の持って生まれた性質にもよるでしょうが、この仏道修行よりも凄い生活の明け方の目覚めのときに、数知れぬ発想が湧き起こったとしても不思議はないのです。


ここで空海に再び話しを戻し、空海がもっとも重んじていたマンダラについて触れたい。
もともと、曼陀羅には本質とか精髄とかの意味があり、その曼陀羅絵図の中に本質的なもの、あるいは事柄の精髄が含まれているということを意味する。仏の悟りの本質的なもの、あるいは悟りの領域の明確な図を描くために、最初は、土を固めて“壇”をつくり、その上に胡粉(ごふん)を塗って、それを幾何学的な線で区分けし、仏菩薩の集会を描いたのが最初の曼陀羅で、“壇”という字でマンダラを表わすことがあるのは、その歴史的理由によるのです。

曼陀羅には、胎臓マンダラと金剛界マンダラの2つがあって、胎臓マンダラは「大日教」に、金剛界マンダラは「金剛頂教」に由来しており、胎臓マンダラは大日如来の“理法身”、金剛界マンダラは大日如来の“智法身”によって表現されており、“理法身”は絶対なる理法を、“智法身”は完成した智慧を象徴しています。そして金剛界の方は男性的で、胎臓界の方は女性的見方としても見られ、両曼陀羅は唯一絶対者である“法身大日如来”の両面なのです。

胎臓マンダラと金剛界マンダラは、ちょうどエマヌエル カントの「純粋理性批判」と「実践理性批判」との対比に相応うものですが、上述のように作者が同じものでない「大日教」と「金剛頂教」は別々に発生したもので、2つの曼陀羅を両曼陀羅として合わせて崇拝したのは、多分空海の師の恵果(けいか)からではないか、と言われています。
空海は師に従って両曼陀羅を掲げて崇拝し、その解釈をもっとも大事にしていたことは前述した通りなのだが、空海独自の解釈が両マンダラに対してあり、胎臓マンダラは世界の素材として、地・水・火・風・空の物質の五大だけを原理的なものと考えているがそれが形成する全宇宙を生命的なものと捉えていて、金剛界マンダラへの発展的動きも考えていたのです。

そして,一方の金剛界マンダラでは、その地・水・火・風・空の五大に対するものとして、あえて“意識”ではなく、“識”を精神的なものとして、対立あるいは平等化させ、幅広い活動の方向性を持たせている。そして“識”に対する一方の“意”の方は、インド密教とそれを受け継いだチベット密教のタントラヨーガに委ね、これが父(フ)タントラと、母(モ)タントラに別れ、その中の父(フ)タントラから発生したのが「無上ヨーガタントラ」のダライラマの系統です。

この“意”というのは、意志とか意識とは違って、人間のいちばん奥に潜む人間の生命力に関わるもののようですが、それはインドとチベットだけの独自の文化のような気がします。私が思うには、空海はここで、人間だけの宗教的世界に奥深く入ることよりも、人間が自然の中で他の動・植物や有・無機物と生命的にいっしょになる方を選んだのだ、と考えたいのです。そのために身体中心主義の“意”から離れて、“識”だけになった場合、いかに物質的な五大との間に生命的なものを感じ取れるかを先ず試みることが第一だ、考えてくれた、と思いたいのです。これが私の幻想を交えた解釈学です。
それは単に、インド密教とチベット密教に対してのことだけでなく、大乗仏教のナガールジュナの「中論」依来、引き継いでいる、人類に与えられた宿題なのです。

10月公演のために


3)  大串孝二さん に 


                       眞言密教の空海(C)

この通信は、美術家の大串孝二・映像作家の加藤英弘 両氏と及川廣信によってキッド・アイラック・ホールにおいて数年の間行われて来た「アートは症状である公演」に、今回の10月公演では 、アルトー館のメンバーも加わって発表するに当たって、この転換の期に何がわれわれにとって必要なのかを探索する思考のプロセスを、通信として関係者に送り、芸術家の新しい共通の精神領域を作れればという願いから発するものです。

その思考の対象がどこに向うかはランダムですが、目標とするのは、この芸術のポストモダンの流れは未だに終息せずに続いているのは、世界が混乱のまま継続して
一定の方向性が定まらないためなのですが、しかしそのような時にこそ先に、方向性を明示した作品を製作して世界に訴えることが、芸術家の役割りなのではないかと思うのです。
その時に、日本独自の空海の思想をこそ、その新解釈によって世界に訴えればその混乱を鎮める一役を担うことになるのではないか、と思うのです。そして、思うことを、実践してその可能性を海外に向ってひらくことが今の日本の政治状況は必要としているのです。そのことを自覚することが芸術家の役目なのだ、ということを信じて実践するだけです。それこそが前述した空海の「成所作智(じょうしょさち)」の実践的な“智慧”であって、“智慧”のはたらきがそのまま行為として現れることなのです。

日本人としての私たちに、このような時、大切な暗示を与えてくれる人は空海ではないか、と直観的に感じているのです。宗教家としての空海は“慈悲”として、そして哲学者としての空海は、何よりも“智慧”としての空海です。
空海の“智慧”には、先に分析したように「妙観察智(みょうかんさつち)」という、あらゆるものをことごとく微細に観察する絶対なる“智慧”があります。これこそが現在の量子力学の科学の“智”なのです。
それに、現在の世界に欠けているものは、あらゆる生物、草木、山河、大地、諸物の上に充満している、空海の自然に対する“智慧”なのです。

その実践のためのプランは、われわれがこれから作品の上で取り上げる、空海の「識と、木・火・土・金・水」との関係です。
“識”は意識としての精神的なものから、意志的に構造化するもの、幻想を起すもの、識別するもの、細密な粒子としての性質を持つものとしてまで、身体的なものから抜け出して四大と関わることになるのです。

われわれはポスト モダンをある意味で先導して来たパフォーマンスの試行者でした。しかし来るべき新たな世界と時代に向ってすすむ際に、次ぎは、どのような対策をすればいいのか。その実際的活動のための試作品としてこの10月公演を当てるのですが、そのためにも空海の解釈と同時に、これまでのポスモダンの解釈のためにもヒノエマタのアーティスト達の作品をあらたに読み直す必要が起こってくるのです。
これまでの大串さんの作品の中での未来的なもの、加藤さんのマンダラ作品の再評価など。それに、われわれの精神活動の「キー概念」である“智慧”の根源としての“金剛経”と「六祖恵能」のことにも戻らなくてはならないのです。

でもいっそ、大串さんのデッサン論と、先月の7月6日に逝去したノーベル賞受賞者の南部陽一郎氏の説との対比から、問題に入って行った方が“智慧”の問題に広がりが見え、結果としてその中心点が明瞭になるような感じがしますので、そこから始めることに致しましょう。

大串さんのデッサン論とは、「デッサンは、なだらか円形の線と、角ばった2つの線の交わりと、小さな曖昧な集まりの部分の三つの要素から成っており、その部分の本質的な色は、「なだらか円形の線」は青で、「角ばった2つの線の交わり」は緑で、「小さな曖昧な集まりの部分」は黄か、あるいは薄桃色かもしれない。

それに対して、南部陽一郎氏の2004年に物理学賞の対象になった量子色力学論は、「本当に色がついているわけではないが、3色のどれか1色を量子が持つと考えることで、素粒子が結びつく理由が説明できる」というものです。(この2つの論から始まる展開は、次回に廻します。)

Wednesday, August 05, 2015

10月公演のために


 1) 大串孝二さん に  
                   
                                眞言密教の空海(A)

「眞言密教を称える空海は、われわれの身体の外にある自然空間を、素材として「地水火風空」を挙げ、「地水火風」の四大に、それまでの歴史的な宇宙としての意味の「空」とか、大乗仏教の中観派が称えた有るでもない、無いでもない哲学的な「空」とも違って、われわれの眼の前に広がる日常的な空間を「空」を追加し、五大とした。
そして、その中でも空海は「水」を一番大切に考えていたのです。「水鏡」という言葉がありますが、「水面」に太陽の「光」が当たると反射します。密教の教主である大日如来は、天空に輝く太陽のことで、その陽の光は智慧なのです。
宮坂宥勝氏によると空海の著作とされる『秘蔵記』に、次ぎのように記されているという。「絶対の智慧を、遍満している水そのものにたとえており、また、あるがままにあらゆるものを映し出す智慧は、その水がよく澄んでいて万物を映すのにたとえている。そして、平等性の智慧は、いっさいの事物が水のおもてに平面的にまったく平等に映し出されるものにたとえ、さらにそれぞれのものを差別相さながらにありのままに映し出しているのを、水がさまざまな事物の色彩や形をそのままに映し取っているのにたとえる。実践的な智慧のはたらきは、その水が万物を養って成長させているのにたとえているのである。」

大串さんの、こんど作品に反射鏡を使うアイデアは、思いがけなく有効な働きをすることになります。よくも考えついてくれた、と感心しております。
と言いますのは、この作品の第2幕で展開する場面は、第1場面の現実世界のポスとモダンの「自己組織化から始まり、その停滞時期の反復と内省の時を経て、反省と過去への回帰に至る時代の流れ」を、ホモンクルスの役の里見さんが突然の豪雨の来襲を機に、舞台を「大地」の軸を中心に逆転させ地下の真相世界を露に見せることになるのですが、この内サイドの場面は空海の眞言密教の“陀羅尼の世界”なのです。(舞台を逆転させる里見さんのホモンクルスの役は、第2場の五大の中では「水」の役にしました。それで雨を操ることが得意ということになります。なお、このホモンクルスと、柳田国男が語る遠野のザシキワラシとの差については後述します。)

空海は日本を代表する宗教家であると同時に、最高の思想家でもあるのです。日本を代表する思想家として西田幾太郎と鈴木大拙を挙げるのが普通
ですが、その思想の根底を為すものが禅宗と言っても「臨済宗」で、その彼らの思想の根底に“華厳宗”が与えている影響について触れる人は少ないです。 
法華経からの中国の天台、日本の道元に与えた影響、華厳宗から密教への繋がりなどに注意を注ぐ人も多く出て来ていますが、この際、もっと紀元前後のそもそもの大乗仏教の始まる頃から歴史を細密に辿って調べて行かないと、旧来の歴史学の慣習に添って、奈良・平安朝の宗教は鎌倉仏教よりも劣っていて呪術的なものに過ぎない、と決めて終わるだけなのです。
顯教と密教との差こそ大事なので、それには密教というものを、これまでと違った別の観点から捉えて行かなくてはいけない、と思っています。
 
大乗仏教と密教とはどう違うのか。大乗仏教が起こり始まる頃から、大乗仏教への最初の徴候として般若系統の経本と平行して、密教的な呪術系統の経本も出ていたのです。
そして、はっきりと密教と類別されものが発祥したのは4世紀頃と言われていますが、時代がさらに下った7、8世紀の、大日如来の教えを中心とするものを「金剛乗(こんごうじょう)」と呼んでおり、同時期にインドにおいて『大日教』『金剛頂経』の経典を元にして明確な密教の体系を創ったことを基準に、それ以前の密教を雑密(ぞうみつ)、それ以後の中国に伝わり、不空を経て恵果から日本の空海に伝わった密教を含めて純密(じゅんみつ)としたのです。

しかし、同じ純密の「密教」でも、空海の「眞言密教」は違う。それだけ空海の「眞言密教」は独自なものです。
でも、その前に「密教」の“密”とはどういう意味を持っているのでしょうか。西紀初めの頃の「密教」は呪文(「じゅもん)を称えて呪術的効果を願うものだったのですが、『大日教』『金剛頂経』の経典が出てから以後の純密教の“密”は、日常的な領域を越えた真相の世界の状態を“密”と解釈し、それを対象としたのです。そして空海は、そこに至る独自の道を“眞言”に求め、自らの「密教」を「眞言密教」と称したのです。
では、空海の“眞言”の“眞なる言葉”とは何か。それは「日常の言葉では達し得ない“密”なる世界に達するためには「からだでサインをつくり」“眞なる言葉”としての“陀羅尼(ダラニ)”を称える道を考えたのです。
人は「それが哲学か」と言うでしょう。そうではないのです。これは理解出来ない真実、真相を見い出すためのそれは空海の宗教的手段であって、その背後の空海の哲学は両マンダラの、これも理と智の構図の内側に隠されているのです。

その内側にどうしたら入って行けるかの解釈の紐が、今度の作品のテーマなのです。そうです。“紐”と“かたち”と“色”が今度の三大テーマなのですが、その内側に秘められているのが空海の哲学です。

インドにナガールジュナ(龍樹)という大乗仏教の「中論」を称え、「空」の問題を提出した人がいます。西暦2世紀頃に活動したと言われていますが、その龍壽の『大智度論』には、上の大乗仏教と密教とが同時に隣り合い、発祥して行った時期のことが書かれていますが、その両方に詳しかったナガールジュナの大乗仏教の龍樹こそ、一方で内側の教えを説いた密教の初代の祖である“龍猛”その人ではないか、と問わているのです。

東大の名誉教授で「仏教学会」の理事長でもある高崎直道氏は、禅宗の曹洞宗の方ですが、同じ禅宗でも臨済宗と違って仏教の歴史を釈迦の時代から大乗、禅宗、浄土宗、唯識論、仏性論から密教まで、全てを通じて詳細に眺める態度を崩さない方です。そのような思考観察によってしか、空海の偉大さを知ることが出来ないのかもしれません。
 以下、3度に亘って、空海とこの作品との関係について進めて行きたいと思っております。

10月公演のために


  2 )  池田 一さん に 


                       眞言密教の空海(B)

それでは、われわれの身体と外部の自然界を包む、この宇宙の存在の“いわれ”としての原理の“理”と、その中心的存在である太陽、即大日如来の“はたらき”としての現象の“智”の2つの特性、それは象徴的に密教の2つの胎臓マンダラと金剛界マンダラに仕込まれていて、それを解く道が空海の哲学そのものであるのですが、先ず、大日如来の“はたらき”としての現象の“智”、すなわち“智慧”から入ることに致しましょう。

大日如来の太陽の光が水の表面に反射するとき、どのような反応を示すのか。
今は亡きメイクアップ アーティストの第一人者シュウ ウエムラは、この世で一番大切なものは“水”だと言い、次ぎに“光”は「反射」だ、と断言しました。
そして、その反射という意味をもっとも効果的に、断層的に捉えることができるのは、光の水面への反射なのかもしれません。
空海は、空想的に描くその“水鏡”の光の反射の特性の上に、どのように彼の密教哲学のキー概念となる用語を選び出したのでしょうか。

まず、1)光の水への反射があり 
   2)その中に智慧を見た。
   3)その上に慈悲も感じとり、
   4)更に活力性も覚えたのです。

そして、ここからが空海の宗教家としての独自の解釈が始まるのですが、この「智慧」は法身の「智慧」ですので、法身は「智身」とも言われるのです。そして全ての人間は、その心の内側に「仏性」を秘めたまま自覚していませんが、仏の智を身内に持っていて、誰でもが「智身」となる可能性を持っている、というのです。そして空海の世界では、この「智慧」があらゆる生物、草木、山河、大地、諸物の上に充満していることになるのです。

それでは、大日如来の智慧というのは果たしてどういう性質のものかというと、空海の言葉に添って説明しますと、以下のようになります。

第1)法界体性智(ほっかいたいしょうち) ちょうどわれわれが、今問題にしている場面にそのまま相応するものです。それは全宇宙のことを“法界”という言葉で差しているのですが、その本性は“智”である、と言っているのです。
そして、そのことは前述した“地・水・火・風・空”の五つの粗大な物質要素と、“識”という一つの精神要素とが「六大」として“法界”という宇宙の本体をなしている。そしてこの六つの要素が、「法身」大日如来の象徴として全宇宙の生命的活動を行っているということになるのです。しかし、“識”へのその時の解釈によって、それに対する「五大」の要素との関係がどの様にも解釈できるので、それまで「現象学」的な“場”であったものが、「解釈学」的な“場”にもなり得るのです。

第2)大円鏡智(だいえんきょうち) 絶対の智慧の働きを“鏡”にたとえているのです。つまり“法身大日如来”の絶対なる智慧のはたらきによってあらゆるものが明かに顕われている、ということです。

第3)平等性智(びょうどうしょうち) “法身大日如来”の絶対の智慧によって、あらゆるものが平等に顕われていて、それを平等性の智慧といい、無知なるものの差別的、また部分的な視野とは区別されるのです。

第4)妙観察智(みょうかんさつち) その絶対なる智慧はあらゆるものをことごとく微細に観察することができる。

第5)成所作智(じょうしょさち) これは実践的な智慧であって、智慧のはたらきがそのまま行為として現れる。

空海は偉大なる宗教家であると同時に、以上のように類い希な哲学的な思考の保持者でもあり、また“書”や“文学”や仏像のあしらい方などにも美術的な才能が見い出されます。そしてさらに、漢字から日本独自の“ひらがな”への美的転換を行った当事者にも推測され、日本各地には庶民に対する仏教的な「慈悲」から行われた遺跡
が残されています。

私はシュウ ウエムラが創設した、高知県の室戸岬のホテルのすぐ傍にある、青年時の空海が修行したという場所、そこは海辺の近くにある2つ並んだ洞窟なのですが、そこに何度か足を運び、洞窟の中で波の音を聞きながら中国に渡る以前の空海のことを想像するのが好きでしたが、そこでは多分青年空海は、波の音を聞きながら「生命の海」を感じていたに違いないのです。

その事を考えると同時に、今、私は日本のランド アーティストの池田さんの作品を思い起さざるを得ないのです。
池田氏は1984年に始まった桧枝岐(ヒノエマタ)フェスティバルに参加したというより、このフェスティアルを先導した人とも言えるような、時代の先を見たアーティストでした。
彼が最初にこのフェスティバルで提出してくれた作品は、彼を中心とした男女の数人と1人の子供を含めて、公演の広場で行う「泥の朝食会」なるもので、衣服から顔まで全身、それにテーブルと椅子、皿までが全て泥まみれで朝食会を演じるパフォーマンスで、周りを囲んで観る人全員を驚かせたものですが、食事会が終わると全員、道具類を運んで、公演の下にある川に同時に跳びこんで、泥がじょじょに溶かれてゆくまでのパフォーマンスでしたが、これは今考えると、「ゴッホが描いた農夫の泥のついた靴のデッサン」を例に、ハイデッカーが説く「大地の美学」に通じるものを感じるのです。

次の年に池田氏が提出した作品は「水鏡」という作品でした。これは自然の風景のど真ん中に、木枠の十字の掘を作って水を溜め、その中に池田氏が大きな眼鏡をかけて顔だけ出してボイス パフォーマンスを演じることから始まるのですが、作品の意図するところは全くこのメールで空海について語って来た内容と驚くべきことに殆ど同じなのです。

だが、空海は前述した“智慧”の解説の後、宗教家としての空海の“慈悲”について解説すべきなのですが、今われわれは空海の哲学と芸術面だけを提示し、それを話題にしているので、空海にとっては大切な“慈悲”の問題には触れていませんが、各地に伝わる空海の伝説と共にある、見ようによっては「ランド アート」的に見える伝説の遺跡は、全て庶民に対する“慈悲”から作られたものです。

池田氏のこの「水鏡」はその後、美術の三大国際フェスティバルの一つであるブラジルのサンパウロ ビエンターレでヨーゼフ ボイスの後、メイン ゲストとして招待され絶賛を受けてからは、世界各地でランド アーティストして活躍していますが、私の観るところ、池田氏の作品は地球とか環境、社会問題に直接関わるテーマで動いていますので、いわゆる「ランド アート」の域を越えているのです。

Monday, November 17, 2014

再度の投稿に当たって

 
 随分ながい間、このブログに投稿せずにおりましたが、それはシュウ ウエムラの伝記をを出版することを(株)シュウ ウエムラ化粧品から依頼され、それを七月堂から出版するまでに4ケ年も経りました。そして出版後の疲労から回復するのに、さらに1年半も要しました。
 『シュウ ウエムラ』という1冊の本を出すのにそれほどの年月をかけるのは、自分の人生をそれだけ削ることと同じことになる、という現実もあるのですが、シュウ ウエムラが日本の文化とアートにどれほど貢献したかを確認し、その恩返しとしていろいろ考えながら関連事項を調査し、思考し、文章に纏め上げるという作業は、結局自分のためでもあり、それを書物として出版することも社会的なことだ、と思ったのです。
 なぜ、こんなことを言うのかというと、今は新書のベストセラーの書き手は、1册の新書を出すのに2ケ月以上かけて仕上げ、もしそれがベストセラーにならないばあいは赤字になる、という現実の条件の下に立って書作しているのです。
 この七月堂から出版された本は新書ではなく単行本ですが、(株)シュウ ウエムラ化粧品や、日本メイクアップ協会からの援助があったから出来たものの、それが4年も経過すれば常識が外れているので、大きな赤字が著者に残ることになるのが必定。

 しかし、それとは別に、これからの暫くの間、このブログをその本の余録として、シュウ ウエムラを背に、今の日本の文化と芸術の方向性を探りながら他者に語りかけて行きたい。

Thursday, May 20, 2010

マイムとパントマイムの違い


アルトー館第一回公演のカタログにマイムの歴史を私が書いているのですが、ざっと説明すると、それはアリストテレスの『詩論』の芸術論の定義「現実の根源を知るために、虚の場において実を真似または模写すること」の定義の中核をなすミメーシス(真似すること)から始まり、ローマ時代になってからは、mimeまたはpantomimeの2つの呼称が演者自身か、あるいは観るものからその内容によって交互に代って呼称されたのです。

panvitanという薬がありましたが、それはpan-vitaminを略したもので「すべてのヴィタミンを含んでいる」ことを示しています。panはpantoで「すべて」です。それでmime(真似する演技)もpantomime(すべてを真似する)も同じなのです。

つまり前にやっていた人たちのマイムと違うようにやるばあい、俺のやっているのはパントマイムだと言うわけです。
ルネサンス時代のコメディア デラルテのあと、19世紀後半あたりからパントマイムが衰弱し、フランスの女流作家のコレットあたりが最後のパントマイム役者だったでしょう。

それでもドゥクルーがあたらしく自分のやるものは近代マイムだと宣言してマイムと称するまでは、つまりその直前のアルトーの時代には、彼のばあいは根源的な動きの動作(つまり日本の民族芸能の原初の模擬的しぐさ)でもパントマイムと言わざるを得なかったでしょう。

そしてドゥクルーの弟子のマルソーが独自につくったスタイルを今度はマルソーがパントマイムと自称したのです。
それ以来、今はマイムというと芸術的なもので、パントマイムというとポピュラーな感じを持つようになったのです

しかし、このマイムの歴史の中で、いちばん過激で観衆の人気を呼んだのはローマの“マイムダンス”
だったようです。それと対立するのは中世の教会の神秘劇でしょう。これはほとんどマイム劇
です。

要するに、アルトーは演劇、ダンスの根源としてマイム(アルトーの時代はパントマイムと言った)を考えていたのでしょう。
原初のミメーシスから分離したダンスもパントマイムも演劇も根源的なものを失っているということです。
能楽の出発の“猿楽”も、あれは猿真似でなく、“実”を“虚”の場でミメーシスしたことでしょう。


マイム

アルトー館第一回公演のカタログにマイムの歴史を私が書いているのですが、ざっと説明すると、それはアリストテレスの『詩論』の芸術論の定義「現実の根源を知るために、虚の場において実を真似または模写すること」の定義の中核をなすミメーシス(真似すること)から始まり、ローマ時代になってからは、mimeまたはpantomimeの2つの呼称が演者自身か、あるいは観るものからその内容によって交互に代って呼称されたのです。

panvitanという薬がありましたが、それはpan-vitaminを略したもので「すべてのヴィタミンを含んでいる」ことを示しています。panはpantoで「すべて」です。それでmime(真似する演技)もpantomime(すべてを真似する)も同じなのです。

つまり前にやっていた人たちのマイムと違うようにやるばあい、俺のやっているのはパントマイムだと言うわけです。
ルネサンス時代のコメディア デラルテのあと、19世紀後半あたりからパントマイムが衰弱し、フランスの女流作家のコレットあたりが最後のパントマイム役者だったでしょう。

それでもドゥクルーがあたらしく自分のやるものは近代マイムだと宣言してマイムと称するまでは、つまりその直前のアルトーの時代には、彼のばあいは根源的な動きの動作(つまり日本の民族芸能の原初の模擬的しぐさ)でもパントマイムと言わざるを得なかったでしょう。

そしてドゥクルーの弟子のマルソーが独自につくったスタイルを今度はマルソーがパントマイムと自称したのです。
それ以来、今はマイムというと芸術的なもので、パントマイムというとポピュラーな感じを持つようになったのです

しかし、このマイムの歴史の中で、いちばん過激で観衆の人気を呼んだのはローマの“マイムダンス”
だったようです。それと対立するのは中世の教会の神秘劇でしょう。これはほとんどマイム劇
です。

要するに、アルトーは演劇、ダンスの根源としてマイム(アルトーの時代はパントマイムと言った)を考えていたのでしょう。
その根源的なミメーシスから分離したダンスもパントマイムも根源的なものを失っているということです。

Monday, November 23, 2009

豊島重之氏の『マウストmouthed』公演


空海の中心的な思想「身・口・意」は、からだ、ことば、こころの三つが人間のこの世の人間の生活の様体を作り出している元である、ことを提示しています。
豊島氏のこの演劇は、この“口(マウス)”の言語表現のことばを、読むことでなく、聞くことから始まって、その対比として植物と動物と人間性の絡み合う系譜の断面を、フラクタルに描いている身体の“足の裏“から、視覚的にからだの上部へと光を投射し、演技者のアチチュード(固定した様態)の中に“意”のこころの内を辿って存在の真意をさぐっています。

そして、豊島氏のこの演劇では、ことばを外に向けるのではなく内側に入っている。各々の俳優は自然的な発話なのだが、それは人に聞かせるためでなく、かすかに自分にしか聞こえない頭の中の暗闇から糸をたぐってはつなげて言語として意識化したもの、まだ発声されて有声になる前の無声の声を聞きながら話している。
ということは俳優は、矢野静明氏の書いた文を読むのではなく、自分の頭脳の“泥丸”からはじめて意識化されて出てきたような無声のことばを聞いて、それをひとりごとのように話しながら頭で理性的に確認しているのである。そして観客は矢野氏の書いた文を読むのではなく、そのような過程で聞くことになる。

なぜ、このような面倒な周り道をとらなければならないのか。なぜいつも地面を踏みつけている足の裏を感じなければいけないのか。
それは、これまで眼の明晰な意識と論理と理性に支配されてきた文化というものを、体内の五官が絡みあった細密な次元で、視覚を内側に向けて関わらせ、その明晰な明るさを曇らせたいからである。そしてその時、耳の聴覚がとらえる波長の旋律が隣り合っていることを知るのである。 


事柄の真実、または誠実を求めることは、“意”の生命的なものの奥をさぐることにある。いわば「存在とは何か」に付属するもの。
現実の表面の様相の奥にひそむ“真”をさぐるのは、芸術の“美”を求めるのと同等の役割だ、と歴史は伝えているように思われる。それらのことはアリストテレスの『詩論』の“実”の世界を“虚”のステージに「ミメーシス(真似または模写する)」することによって“真”を見出し、また観る者は感情的にドラマに同化して「カタルシス」の作用を起し、自身を振りかえることによって内部の広がりを得る。
そてとカントの『判断力批判」においては“美”の最高のものとして「崇高美」を挙げている。
  
この存在の真意をさぐる作用として、芸術の近代の歴史はムーブマンからジェスト、そしてアチチュードへと向かいつつある。これは演劇、ダンス、音楽、美術のすべてに亘ってのことのようです。
近代劇の出来事を追った数を基本とする三幕、五幕、あるいは序破急のムーブマンのながれ。
それに対して、ベンヤミンはブレヒトの演劇をジェストの演劇と評した。資本家とプロレタリアが持つ、衣装と動作のがちいに中心を置いている。いわゆるモダンのスタイルはジェストである。

西洋の近代とは違った意味で、日本の古典の能はムーブマンの演劇で、歌舞伎はジェストの演劇である。
それらに比してこの豊島氏の演劇は完全なアチチュードの演劇です。存在の真意を問うためには、このアチチュードの構造と数の配置が必要なのである。


この芝居の話題にのぼる丸山真男と滝口修造は、どちらも歴史的に誠実さをもって時代にいどんだ2人である。しかし歴史の洗いなおしにおいては、私の感じる限りでは、2人はイメージ的、観念的過ぎたのではなかろうか。歴史のつながりとして、というより歴史の穴埋めをするように、豊島氏が演劇のこの“虚”の場において提出する素材は、身体内部の臓器と細密に関わる眼と耳の問題である。食べ物を入れる口を通して、ことばだけでなく、目の働きも含めて外部から内部への方向性をとったのであろう。

そしてブルトンのシュールリアリズムの上に立った滝口修造の晩年の郷土への密着を肯定しているものの、ブルトンのリアリズム意識に反抗してグループを脱したアルトー、またブルトンに対立したバタイユ。あるいは眼と耳に迫ったベケット。声と触覚の問題に取り組んだデリダ。そして飽くまでも追求の筆と、彫刻の鑿を休めず、からだの中心線と宇宙との連結を求めつづけたジャコメッティ。それらが、この作劇の配置の内容を深めているように思われる。

公演終了後、鵜飼哲氏の黒田喜夫氏に関する地理的、風土的な別な角度からの話しがあり、公演内容とは関係がないように見えていながら、時間的ムーブマンからの見地から地理的、空間的、風土的な観点で観ることを暗示していた。
今の社会的、政治的な観点の傾向、それは『地中海』の歴史家ブローデルからはじまって、地勢学を基盤とする社会学のハーヴェイに至る線ではなかろうか。
それはまた、この豊島氏の重要な演劇のベースであり、現在豊島氏が関心を抱いている写真家の関口啓二氏のアイヌの痕跡を遡る仕事でもある。


ここで作品制作者をさらに検証してみよう。
私が気付かなかったことであるが、ブラージュという俳優が立つ“光面”に、ひとつ俳優の誰もその上に立たなかった時があると、演出家の豊島氏から告げられた。それはたしかに重要な意味をもつと思う。しかしそれよりも、それは4番目の展開の時だという。この4という数。それに8という数が豊島氏にとって大きな意味をもつようだ。
ということは、このアチュチュードの劇においては4と8が大きな転換の意味をなしているということだ。
チェーホフの劇が他の劇作がすべて3幕か5幕で書いている時代に彼だけが4幕の芝居を書いていた。豊島氏のばあい、このチェーホフの4の意味とは違うようだ。4より8の方に重きをおいているように思われる。そして、その8はヨーロッパのキャラクターの類別の8とも違うようにも思われる。これは私のひとつの宿題としておこう。

音響担当の作曲家根本忍氏の今回の作品は画期的な仕事である。マイクをスピーカーにしてステージの周辺を取り囲ませたということは、豊島氏の外に向うべき話術を内に向わせたことを
的確に演出している。このように、器材が人間のように演技するという設定は、私は始めて経験する驚きであった。

最後に、演技者について語ろう。
鷹司章伍という俳優、この公家の出かもしれない男性の“たおやか”な声が「主張しない演劇」を、観客の瞼を閉じらせたままはじめる。
大久保一恵、田島千征、秋山容子、高沢利栄の4人の女優は“光面”の場を交互に入れ替えて演じる。4箇所の“光面”の場は、同じく肩幅サイズで狭く、位置を移動するムーブマンをすることができない。殆ど固定したアチチュードをとって下から光線が身体を仰ぐかたちとなる。
また、時にはアチチュードが変じて、からだの一部が動いたり、表情がついたりのジェスとの状態となる。

私が思わず眼を見開いて見たのは、これは理論的には考えてはいたのだが、移動できない位置にいながらステージの上にムーブマンが見えるのである。ここではじめて、大文字のアチチュード(Atttitude)が、小文字のアチチュード(attitude)とジェスト(geste)とムーブマン
(mouvement)を含みもつことができたのである。





Saturday, October 31, 2009

かもめマシーン(12)

3)萩原氏の「かもめマシーン」


チェーホフの『かもめ』とハイナーミュラーの『ハムレットマシーン』との繋がりは、だいたい推測できたと思います。

が、果たしてそのような結びつきを考えた上で、萩原氏が「かもめマシーン」を自分の劇団名としたかどうか分かりません。

しかし、彼が上演した『家族』を観た限りでは、テキストを大切にしていると同時に、それを再現するにあたって、ハイナー・ミュラーやロバート・ウィルソンなどの手法を頭のどこかに置いていたように思われます。


ステージに配置する役者の幾何学的構図

舞台ぜんたいの方角的な使い方

断片化したセリフのやり取り

会話の論理的な進展と、突然の頓挫

沈黙の場の息使い

薄明の中に浮かぶ赤いランプの光

精神病者の言葉にならない声

ラジカセから聞こえる外部の音楽


『家族』は家庭劇ではあるが、家族間の交流は閉ざされていて、外界は空間的には遮断されているのに家族に死刑犯が生じたために、外界からの空気の圧力が強く、家族全員が死に隣接したいのちの淵に立たされている。

そのあたりがチェーホフの『かもめ』とハイナー・ミュラーの『ハムレットマシーン]がのぞく世界と共通したものがあるような気がします。


演劇は“実”から“虚”の世界へ踏み込むことですが、その踏み込む跳躍のエネルギーが演劇の歴史の上の世代によってそれぞれ違う。

1997年以降に演劇の世界に入った人たちは、それを軽やかに飛び越えているように見える。

それは虚の世界と実の世界が平面化したコンピュータ世代の特徴かとも思うが、サブカルチャーの動きのせいもあって、日本の風土がじかに身に付いて、芸術の「形式」において底辺から変革が行なわれつつあるような気がします。


最後に、前にも触れましたが、「集団」のつくり方が求められる時代になってきたように思います。それは、芝居づくりをする時の集団の力の配分と言ってもいいでしょう。演出についても、すでに独裁的な演出家の時代ではないような気がする。

もし天才的な演出家がいたとしても、一人の才能では間に合わないものが今は演劇に対して求められてきている。それは脚本、美術、映像、音楽のそれぞれが芝居の中心的な部分に入って来ることが要求されており、各部門がこれまでのような一人の演出家のスタッフとして協力すれば済む段階を越えてしまっている。

これまでの劇団づくりとスタッフへの依頼の時代から、緩やかな集団づくりと同時に、関連する学問、芸術分野の研究体制をこそ考慮すべき時代となったような気がします。

かもめマシーン(11)

2)ブレヒト/ハイナー・ミュラー/ウィルソン

『ユリイカ』の「ハイナー・ミュラー特集号」の中で、聞き手のペーター・フォン・ベッカーのインタヴューの冒頭の質問「あなたは折り触れておっしゃっていますね。あらゆる芸術は、自分の書いたものを含めて、死者の記憶である、と。」に対してハイナー・ミュラーは「ふむ」と応じた後、次のように語る。

「私が戯曲を読み始めたのは、 10か12の時。確か最初はヘッベルで、それからシラー、その後クライストとシェイクスピア。そこにして死者たちのダイアローグです。そしてどの時代でも戯曲というものは後に生まれるもの。まず叙情詩、叙事詩、それから散文。それはつまり、戯曲は前もって作られた素材を、源を頼みとするものだとも言える。最初の特殊な例外はチェーホフであり、家庭劇に限りますがストリンドベリとイブセン。」(本田雅也訳)

私はこの中にハイナー・ミュラーの『ハムレット/マシーン』の秘密のすべてが含まれていると思う。


ハイナー・ミュラーが『ハムレットマシーン』を書いたのは、マテリアルなもの(素材)を対称にしながら、戯曲の形式では多くの大切なものが漏れるので思い切って詩の形に凝縮して、それを元にどのような形式の演劇でも演じれるマシーンにつくり変えたのである。
それには、最も矛盾を含んだ、複雑なテキストとして彼の記憶の中に残っていたシェクスピアの『ハムレット」を素材として使うのが最良と考えたにちがいない。

そもそも戯曲は演じるがためにあるもの。アリストテレスの「ミメーシス」論によれば、現実の問題を解くため、虚の場を借りて仮に仕組みを建て、事を起して、見えなかった現実の事柄の底辺にあるものを掘り起こして見せるのである。そして観る者は、それを見て「カタルシス」を感じ、己れを浄化し、外に開く。
それは祭りにも準じる催し物だったのである。

その上演にあたっては、劇の仕組みとしての時間的、空間的構造が必要で、またいづれも「数」の問題が重要だったのです。
たとえば、時間であるなら、日本では序破急という三段階がある。幕仕立てなら三幕劇、またその中の山場の“破”の部分を、さらに序破急の三段階に分割して五幕劇にする。
それに対して、四幕劇に三の破綻の元を含ませて家庭劇をつくったチェーホフという作家はミュラーの言うように変わった作家だったのだ。

芸術家の創作とはいえ、しょせん頭の中の過去の歴史の記憶の組み合わせに過ぎないので、それは形式づくりの競争にすぎない、とミュラーは言う。
そして演劇のばあいは、時間的なストーリーにこだわり過ぎた結果、再演(現実を仮の虚のステージに模倣、再現する行為。 ミメーシス represantation )の中で演出家たちはその演出法に足掻いて来たのである。
その代表的な演出家とは、まずブレヒトであり、その影響を受けたフランスのブレヒティアンのロジェ・ブランション。同じくフランス人のヴィテーズとシェローたちであった。

東ベルリンの“ベルリーナ・アンサンブル”を率いるブレヒトをハイナー・ミュラーは尊敬していた。それを正統に受け継ぐ者として自らを任じてもいた。1970年、バルリーナ・アンサンブルの文芸部員となる。
しかし、ブレヒトの若い時の「マテリアル」の時代は納得できたが、スターリン体制下の東ベルリンに移動してからのブレヒトの作品については、その演出法と演技術の“異化効果”は別として、共産主義へのプロパガンダ的な“教育”向けの戯曲については肯んじなかった。
ブレヒトの友人のベンヤミンは、ブレヒトの演劇を「階級闘争を明確化する“ジェスチュア”の演劇である」と評していた。
それは京劇または歌舞伎に類似した、一般民衆にも明確にその社会的位置とキャラクターが了解できるような演技と舞台構成だった。

19777年にミュラーは『ハムレットマシーン』という作品を世に提出した。それはひとつのスキャンダルだった。この『ハムレットマシーン』をどのように演出するかが、世界の演劇界に与えられたテーマでもあった。
1979年に『ハムレットマシーン』はパリで自作『モーゼル銃』と合わせて初演されたのを皮切りに、幾多の演出家によって試みられた。1983年にミュラーはアメリカの演出家ロバート・ウィルソンと知り合う。
そして翌年の1984年、ウィルソンの『死・破壊そしてデトロイト1(DD&D1)につぐ大作『ザ・シヴィル・ウォーズ』ドイツ版のボッフム初演にテキストを提供。1986年にはミュラー自身から白羽の矢を向けられ、1988年に『ハムレットマシーン』はロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出される。東ドイツの国家賞を受賞。
そして1990年には、ドイツ座にて上演時間7時間半におよぶ『ハムレット/マシーン』をミュラー自ら演出する。またフランクフルトでは、ミュラーを17日間にわたって特集する<エクスペリメンタル6>が開催され、インタヴュー集『人類の孤独』が刊行される。そしてこの年10月3日に東西ドイツの統一が行なわれるのである。

ここでわれわれは、あのベルリンの壁のあった「鉄のカーテン」の時代に、このように自由に西側で自由に動いて仕事をしているハイナー・ミュラーという人間の不思議さを思う。
実際には、彼は東側のベルリンでは“ベルリーナ・アンサンブル”に籍を置いているものの、危険人物として作品を東側では発表することが出来なかったが.しかし西側でドルを稼ぐ人間として自由に「鉄のカーテン」を越えて出入することが出来たのである。

1990年にミュラーによって東ドイツのドイツ座で7時間半におよんで上演された『ハムレット/マシーン』(壁の崩壊と前後して構想されたこの公演『ハムレットマシーン』ではなく、『ハムレット/マシーン』となっている)は、本体の『ハムレット』をそのまま新解釈で上演し、進行する中程の、ハムレットがイギリスへ旅立つ場とオフェリアの狂乱の場の中間に『ハムレットマシーン』を挿入している。

それに対する1988年の、ロバート・ウィルソンによってニューヨークとハンブルクで演出され『ハムレットマシーン』は、ウィルソンの質問に対して50分ぐらいが適当だろうとミューラーが応えたのだが、実際には上演が2時間半にも及んでいる。
それは最初、俳優の動きだけが振り付けされ、後からテクストが分割されて配分され、5つの場面のシークエンスがそのまま角度を変えて繰替えされるような、凝縮されたテキストをあらゆる面で拡散、拡大するような演出であった。

このようにして、上演不可能とされていた『ハムレットマシーン』がロバー『ト・ウィルソンによって(配置)と(イメージ)を主眼とした見事な静的ドラマツルギーが展開されたのだった。
ウィルソンはすでにフィル・グラスの音楽監督といっしょに1976年にオペラ『海辺のアインシュタイン』を上演していた。そして1995年、アメリカのテキサス州ヒューストンのアレイ劇場で『ハムレット ー独白』ウイルソン構成・演出・主演の一人芝居が上演された。
それはウィルソンのドラマツルギーとセノグラフィーの空間にハンス・ペーター・クーンの音の協力が加わったものだった。
その年の12月30日、ハイナー・ミュラーは癌に肺炎を併発し死去。


Thursday, October 29, 2009

かもめマシーン(10)

1)チェーホフのドラマツルギー

萩原雄太氏は『家族』では作家/演出家で、またプロジューサーでもあったが、ときには俳優の役を買って出ることもある。ただし役を演じるのは自分の「かもめマシーン」以外の他の劇団に依頼されたときである。じぶんの「かもめマシーン」の公演のときは彼は舞台には出ないそうだ。
以前、集団「たま」の公演のときには彼は俳優として出演していた。今度の『家族』の配役のなかに集団「たま」の中西彩華さんが出演しているのは、2劇団の交流を意味しているのだろう。

そのように萩原氏は多彩な才能を持っているのだが、本筋は劇作家ではないだろうか。ただ、書くだけの劇作家に止まることなく、演出構成を予測した描き方をする作家である。
それが新しいドラマツルギーの発生の傾向なので、戯曲の根幹としての「時間的な劇の流れ」としてのドラマツルギーから脱出した「空間的な場面構成」として演出法と密着する、新しい観点からのドラマツルギーである。

チェーホフは他の劇作家と違って、波乱を含んだ3幕、5幕の方式でなく、周期的な日常の循環性をベースにした4幕形式をとっているが、進行する機械(マシーン)の内側の微妙な軸のズレから土台柱が破損の道に向うかたちになっている。
とくに『かもめ』の劇進行においては、第三幕までの時間的な劇の流れのドラマツルギーとはちがって、第四幕は「空間的な場の構造」の新しいドラマツルギーへと変じている。そして現在の演劇・ダンス界のドラマツルギーへのフォーカスは、このチェーホフの作劇術を初原としているように思われるのです。

チェーホフの『かもめ』の演劇史においての重要な位置は、はじめての記念すべきモスクワ芸術座の成功というだけではない。次の『かもめ』第四幕での、ニーナのトレープレフに向ってのセリフにもあるようです。
「------ 今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたものではなくて、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよー だわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」(神西清訳)
このチェーホフの主調音が『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』へと変わることなく伝わってゆく。それがソヴィエ連邦の社会主義リアリズムの方針に折よく吸収されて行ったのだと思う。

演出と密着する、場面構成と場の構造の「新ドラマツルギー」はやがて「間テキスト」の方向へと向う。一人の作家の文章だけでなく、幾人かの作家の文章をコラージュする。まさしく、ことばが俳優からも、聞くものからも離れて中間に位置し、たがいに他のセルフと結びつきながら自動的にすすんでゆく。この方法は豊島重之、イエリネク、ロバート・ウィルソンなどが使用している方法である。

私はここで言っている「新ドラマツルギー」というのは、かっての作劇術の意味とは違うもので、具体的に演出と溶け合ったかたちで構成を重要視する。劇作家が突出した、今の時代の傾向を指している。
それはかってパトリス・シェローなどが美術家の援助のもとに、歌舞伎的なステージの転位を行なって観客を驚かした「セノグラフィー」につぐ動きである。
つまり、ピラミッド型の演出独裁の時代ではなくなりつつあるのだ。
このあたりを理解するには、ブレヒトからウィルソン、ハイナー・ミュラーにかけての演出上の経緯を述べなくてはいけないのでしょう。
どうも今日一日では纏められなかったようです。



Wednesday, October 28, 2009

かもめマシーン(9)

最初、私は「かもめマシーン」というグループは普通の劇団なのかと思っていた。
その代表が萩原雄太氏だと思っていたのでした。ところが劇団と名乗っているものの正規の団員は萩原氏一人しかいないというのです。つまり、萩原氏がスタッフとか俳優を一人でかき集めて、自分の書いた作品を演出しているプロジュース・システムの仮の劇団システムなのです。
それで公演チラシの裏に<公演主宰者募集>の欄など載せている。またその下には<脚本公開>の欄もあって今作の脚本をwebにて公開します。読んでから来るもよし、来てから読むもよし、来ないで読むもよし。 
ぜひご欄下さい! とある。

ところが、その作/演出 萩原雄太 かもめマシーン『家族』の観想・批評をこのブログで10回に亘って書きつづける積もりなのですが、私は今になってもまだその脚本を読んでいないのです。その芝居を観たまま書きつづける内に、だいぶ台本の筋と食い違って理解しているような感触を持ちつつあるのだが、あえて私なりの考えがあって、観て聴いた限りでの観想・批評を述べつづけているわけです。それもこの今日の9回の後の、明日のブログで最終回にしたい。

それで、萩原氏のプロジュース・システムのことだが、今はそういう時代なのかと知ったと同時に、その方が面倒が起こらず、じぶんが思った通りに事が運べるだろうな、と気付かされたのでした。そういえば、ヤン・ファーブルの芝居づくりもその形態を取っている。
でも常住のマネージメント・ディレクターを抱えているし、最初募集した中からこれはと思った女優は今でも出演している。

劇団というものは、なかなか経営の維持が大変だし、団員を抱えていると人間関係が厄介で、とかく問題が起こり易く、そこから内部分裂が始まることが多い。個人の意見というものは、本人が有名ならば、納得してそれに従う人も出てくるのでしょうが、強引に自分の意志を通すためにはこのプロデュース・システムがいいのかもしれない。

「かもめ・マシーン」という名前からは当然チェーホフの『かもめ」とハイナー・ミュラーの『ハムレット・マシーン』を思い起すことでしょう。
萩原氏の芝居への道は『かもめ』から始まったようです。それに“マシーン”を付けた理由は、その後ハイナー・ミュラーの影響があってのことのようです。そしてチェーホフとハイナー・ミュラーとの間には創作の上でひとつの繋がりを見い出せる。

「かもめ」は単に最初にやった脚本だからという理由だけでしょうか。そもそも最初にそれを選んだ理由、それに萩原氏が惹かれた理由があったのでしょう。それとハイナー・ミュラーの「マシーン」というもの。その繋がりが今度の萩原氏の『家族」という芝居の演出を観察すると理解できるような気がします。

チェーホフの四大戯曲の中でもこの最初の作品『かもめ』は同じ四幕仕立てですが、いちばん矛盾を抱え込んだ作品だと思います。そして同じシェークスピアの作品の中でも『ハムレット』は、よく読んでみるといちばん分かり憎い面を持っていますが、そこが似ています。
ハイナー・ミュラーが『ハムレット・マシーン』という作品をつくった理由がそこにあるのですが、萩原氏が「かもめ・マシーン」というプロジェクト・システムをつくって、今後彼の作品を上演して行こうとする意図がそこにあるようです。

次のブログで、この萩原雄太氏の「かもめ・マシーン」の特徴を、私なりに箇条書きに記してみます。


Tuesday, September 08, 2009

かもめマシーン(8)

そろそろ、この辺りでこの『家族』の公演批評の結論に近づきたいと思います。
それには先ず“かもめマシーン”という劇団名(劇団員は萩原雄太さんだけで、その都度、プロジュースシステム方式によって演技者、スタッフを選択して公演を行なったいるようですが)から始めた方がいいような気がします。

この中の“かもめ”はチェーホフの戯曲『かもめ』からとったようです。
チェーホフの四大劇はすべて四幕で出来ています。その中で最初の作品である『かもめ』はいちばん演出の上で困難を極めた作品で、その原因は4の中に3の要素を多分に含み持っているからに相違ありません。モスクワ芸術座がこの作品を見事に成功させた記念すべき公演の記憶をその後も保つため、かもめのマークをモスクワ芸術座の座章としたほどです。

チェーホフの四大劇はすべて循環する、自然的な時間の流れの上に立っています。しかしこの『かもめ』の若い作家志望の主人公トレパーノフは、領地内の湖を望む一角に仮のステ−ジを設置し、湖面をバックに自作の実験的な上演を試みます。
観客といえば、ごく身近な人たちで、日常の循環的時間の中に安住している家族と、それを取り巻く一群の人ばかりです。

劇の内容は、もはや生き物が絶えた20万年後の地球の有様を、恋人ニーナのナレーションと鬼火と硫黄の匂いの効果によってイメージ演劇を現前させる意図を持つものです。
ト書きには以下のように書かれています。
(幕があがって、湖の景がひらける。月は地平線をはなれ、水に反映している。大きな岩の上に、全身白衣のニーナが坐っている。)
ニーナはナレーションを始まる。「人の、ライオンも、鷲も、雷鳥も、角を生やした鹿も、鵞鳥も、蜘蛛も、水に棲む無音の魚も、海に棲むヒトデも、人の眼に見えなかった微生物も、-----もう、何千世紀というもの、地球は一つとして生き物を乗せず、あの哀れな月だけが、むなしく灯火(あかり)をともしている。----- -----」(神西清訳 以下同)

ところが、有名女優の母親のアルカジーナはそれを観て、小声で「なんだかデカダンじみてるね。」などとチャチャを入れるし、他の観ている人達も乗ってこない。作者のトレープレフは遂に我慢できず、芝居の途中で幕を降ろしてしまう。

その後、女優志望のニーナはトレープレフから離れ、アルカジーナと同伴していた流行作家のトリゴーリンに惹かれ、彼を追ってこの地を発つ。そして結局はトリゴーリンに子を産まされ捨てられる。噂では彼女にとって俳優の道はなかなか厳しく、いまは地方公演で巡業中だという。

第一幕から2年後の最終幕では、作家となってトレープレフは仕事部屋で一人作品について思案している。と、デスクの最寄りの窓を、誰かが叩くのを聞く。ガラス戸を開けて、夜の庭を覗くと、誰か石段を駈け降りる姿を見る。ニーナだった。急いで連れもどして部屋にかえり、久し振りに会う2人の感動した会話が交わされるが、やがて奥の間にアルカジーナとトリゴーリンの笑い声を聞きつけて帰り急いだ時の、次のセリフを下に記す。
「------わたしは楽しく、喜び勇んで演じて、舞台に出ると酔ったみたいになって、自分はすばらしいと感じるの。今、こうしてここにいるあいだ、わたしはしょっちゅう歩き廻って、歩きながら考えるの。考えながら、わたしの精神力が日ましに伸びてゆくのを感じるの。------今じゃ、コースチャ、舞台に立つにしろ物を書くにしろ同じこと。私たちの仕事で大事なものは、名声とか光栄とか、わたしが空想していたののではなくって、じつは忍耐力だということが、わたしにはわかったの、得心が行ったの。おのれの十字架を負うすべを知り、ただ信ぜよーだわ。わたしは信じているから、そう辛いこともないし、自分の使命を思うと、人生もこわくないわ。」
しかし、トレープレフは自分の信念が持てず、何が自分の使命なのか分からない、混沌とした状態にある。
ニーナはじぶんを捨てたトリゴーリンのことをまだ愛していることを口走り、さらに2年前のトレープレフとの“晴れやかな、暖かい、よろこばしい、清らかな生活”を懐かしみ、ながながと2年前のトレープレフの芝居の最初のナレーションを朗読して後、発作的にトレープレフを抱いたあと、ガラス戸から走り出る。

私は前述のニーナの最後のセリフの内容とフランスの思想家アランとそれを継ぐシモーヌ・ヴェイユの「人間は決してあきらめてはいけない。他人を信頼すること。ねばり強く努力して生きること。」のモットーとの類似を知って驚いている。
チェーホフのこのセリフの主調は、この『かもめ』の後につづく『ワーニヤ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』にも流れる。

スターリン時代からの社会主義リアリズムにゴーリキーといっしょにチェーホフの戯曲が受け入れられたのは分かるような気がする。しかしドストエフスキやメイエルホリドが排除されたようにこの『かもめ』のトレープレフが否定的に解釈されることが残念である。
そこに「かもめマシーン」の“マシーン”の解釈の意味が浮上してくる。















Tuesday, August 18, 2009

かもめマシーン(7)

前回、「家族」の演出と能の形式との、本質的なところでの類似について気がついたまま述べましたが、じっさいには演出家の萩原氏が世阿弥、あるいは能楽そのものに関心を抱いているかどうか、私は知らないのです。
しかし、世阿弥の演出論においては、とくに彼が得意とする「夢幻能」においては、ギリシャ劇のように人間の運命をテーマとし、また作品を上演する演出上においては、その時代の空気、上演される場所の環境、その日の天候と客席その他の様相をつねに計算に入れいたということです。

その事は、当時の日本民族特有の、時間に対しての“易”、空間に対しての“風水”の配慮が演出術のなかに組み込まれていたと思うのです。それを基本に宇宙的な張りのある空気の波動と、劇の進行につれて調和が崩れてゆくことをバランスによって何とか支えようとする、その根底の“原理”と、それにまつわるテーマの最終的な筋道としての“真理”というものを求める人間の姿勢。それを描くための能楽の手法を観阿弥、世阿弥父子は求めつづけたのでしょう。

この室町時代につくり上げられて、日本の伝統としてこれまで受け継がれてきた能楽とこの「家族」の作品と演出法とが、どこかに連結したものを感じられる、ということがこの私の批評の中心テーマでした。
今日は昨日につづいて、さらに類似点を2つ挙げてそのことを強調したいと思います。

世阿弥は彼の論書「花鏡」の中で“せぬ所が面白き”という巧いことばを使っています。
 「見所の批判に云う、“せぬ所が面白き”など云事あり。是は、為手の秘する所の安心なり。まづ、二曲を初めとして、立ちはたらき・物まねの色々、ことごとくみな身になす態(わざ)也。せぬ所と申すは、そのひまなり。このせぬひまは何とも面白きぞと見る所、是は、油断なく心をつなぐ性根(しょうね)也。舞を舞いやむひま、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物まね、あらゆる品々のひまひまに、心を捨てずして、用心を持つ内心(ないしん)也。此の内心の感、外に匂面白きなり。」
萩原氏の演出においても、各場面でのセリフの終わり方、照明と音のフェイドアウトの“ひま”、その間(マ)の時間的な配慮に、私はこの世阿弥の演出意図を汲むことができ、その“内心”の面白さを充分に堪能することができたのです。

そして世阿弥の文は続きます。「かやうなれども、此の内心ありと、よそに見えては悪かるべし。もし見えば、それは態(わざ)になるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す安心にて、せぬひまの前後をつなぐべし。是則ち、万能を一心にてつなぐ感力(かんりき)也。」とあります。
充分に意を使って行ないながら、そのこころが無心であるため、何げなくつなげているように見える。それを「内心」と云っているのでしょう。

もう一つ。この劇の中で2度ほど、高度の認知症なのか精神病者なのか分からないのですが、母親の役がことばにならない、うめきに似た音の羅列をえんえんと発しながら室内を徘徊すします。
世阿弥のいわゆる四番目物として「狂女」の出し物があります。この「物狂い」について世阿弥は以下のように述べています。
「此の道の第一の面白づくりの芸能なり。(中略)夫に捨てられ、妻に後(おく)るる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。よき程の為手(して)も、ここを心に分けずして、ただ一遍に狂ひはたらくほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂をば、いかにも気色を本意にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入て狂へば、感も面白き見所も、定めてあるべし。」

この狂女の例も、前述の“せぬ所が面白き”も、私が思うのには、その底に「無」があってこそなのです。先のブログで世阿弥の禅宗との関わりを述べましたが、世阿弥は足利義満から義教の代になってからは不遇の立場に追われます。
そして曹洞の竹窓智厳の門に入り、60歳になって出家します。曹洞宗の家に生まれ、臨済宗の五山を統率する将軍義満の庇護を受けて後、ふたたび曹洞宗に帰ったことになります。

私がここで云いたいのは、同じ禅宗でも臨済宗と曹洞宗では「無」の捉え方が違うということです。これはこの批評の本筋ではないので、ここでは詳しく述べませんが、しかし重要なことです。
道元と良寛は曹洞宗で、一休と利休は臨済宗です。一休、利休がつくった茶道と世阿弥の能楽との差異は、「無」への対処法から来ているのでしょう。それは両者の座禅の仕方に表れています。







Monday, August 17, 2009

かもめマシーン(6)

前述したような萩原雄太の劇の文体と構成の抽象性、上演に当たっの方角的な気の配慮にあたって思いおこされるのは世阿弥の演劇論です。
彼の「風姿花伝」から始まって中期以降の「至花道」や「花鏡」などに入る頃は、“物まね”のリアリズム表現から抽象へと向ったことです。
それに観客と演技者との対立関係ですが、初めの“珍しき”をねらった段階から、“無”と“妙”の心理的状態へ、禅宗の自然に融合する“無”を経て、さらに宇宙の広がりのなかでの主客の“妙(たえ)なる交流”に、そしてそれを土台にして「離見の見」という哲学すらつくるのです。

ここにおいて、時によって変化する山寺から諸社寺の祭礼、河原などに設定する能舞台の周りの自然環境、気候と時代の移り変わりによって変化する観客の気分などを、座頭の立場としてその日の上演の仕方に考慮を入れるのです。
同様に、この劇団「かもめマシーン」のただ1人のプロジューサー兼作家・演出家の萩原氏はじぶん1人で劇場前に入場者を迎え、受付、楽屋、観客の様相を調べながら、つねに万遍なく開場前の準備を整えるため動いておりました。

世阿弥は曹洞宗の出で、将軍足利義満に見出されて後は、同じ禅宗でも貴族や武士の臨済宗の教養の中に入り、また「風水」の気風は奈良や平安の天皇家を中心にした公家の時代から、この時代には武士階級から庶民にまで浸透していたのでした。
“無”という内面の表現、沈黙をベースにした演技の“間(マ)”の取り方、太鼓、小鼓の打ち方までがこの時代に決められたのです。

萩原雄太の作品と演出のは、ここように近代の心理主義からその方向に回帰しようとしているように見える。
その具体的な特徴として、以下の3つを述べることができるでしょう。

1)具体的な演技よりも、そのテーマや役なりを通して、舞台に立つ生命的な存在感。
2)演劇というものは、表面的なドラマティックな面白さではなく、底辺にひそむ真理または原理をさぐるものである。
3)人物の年齢、性格、職業とか、生活の様態とかセリフを交わすことによって生ずる意味性とか面白さということよりも、重要なのはその人物たちが運命的な時間によって配置された構図である。

劇場と演劇制作のかたちが変化するにつれて、また歴史が前進からレフレクション(回顧)へと転換する時代となってみると、この萩原氏の例のように、同じ能楽への通じ方において、60年代、70年代とは違ってより本質的な部分に直接的に触れているように見える。



Friday, August 14, 2009

かもめマシーン(5)

しかし一見、この芝居は死刑制度をテーマにしているようですが、その問題をきっかけにしてドラマのタイトルが示すように、ほんとうは「家族」を中心テーマにしているのでしょう。
現代は個人のことばかり考えて、じぶんが属する家族のことを忘れがちです。

たとえば、“風水”の重要な判断の要素として次のような項目があります。
色/方位/季節/家族/臓器/十干/十二支
ここで“風水”の例を引いたのは、この劇場の空間配置がどうもそのことを感じさせるからです。
劇場空間がまったく風変わりな構造をなしている。ステージの半分を取り巻み、東側の正面と南側の側面が客席で、ステージは劇中の客間の場面で、その西側の中央に居間を取り巻く廊下に通じる入り口がある。しかし、居間と廊下を隔てる壁の部分が、立て板が並ぶ隙間が大きく空いていて、しぜん壁の向こうの廊下を通る人物の姿が透けて見える。
北の部屋から西の廊下を通って居間に入ってくる者、南の部屋と西側の部屋と玄関から入ってくる者とが、方角によってそれぞれ違ったニューアンスを持って出てくることになる。

北は「水」で黒く冷たく、沈黙する。西は「金」で白く乾いた感じで、居間の入り口に近いテーブルで交わされる会話は硬質である。それに対して南の客席の裏に当たる部屋から出てくる人物は内側は火が燻り、組織を崩すはたらきをする。
それらに対してステージ正面の東の客席は、「木」で青く静かな風の様相を示し、観劇する者の心は揺れている。そしてステージの前面、ちょうど劇場のスペースの真ん中に位置するソファの場所は「土」で黄色く、黙りこんで寝転ぶ役の場所である。

それら空間的なものに対して、時間的なものとしては、場面のカット数と、同じ人物の客間への出入りの繰り返しがある。それらが抽象化され、周期的な線を描く。
ソファの傍に置いてあるラジカセから時々流れる音楽は、家族の内に対して外を表示している。

これらを総じてみると、劇の流れがぜんたいに記号に向っている。しかし、抽象化されていても、現実との連結があるため、劇そのものがドラマの筋をさぐるミステリー劇の様相をなしているのです。






Wednesday, August 12, 2009

かもめマシーン(4)

この作品の製作を共に担った演出家と俳優及びスタッフたちは、作品に含まれた意図を、このばあいは事件そのもよりも、被告に課せられる死刑判決という事実を -----これまで日常の生活の上で感じとれずにいたのが、家族という役に身を置くことによって直接、肌身に感じざるを得なかったに違いない。
肉体的により緊密な固まりとして約束された家族という結合体を中心に演じられる芝居だからのでしょう。

この劇をつくる発端は作家、萩原慶太の死刑制度です。
この作家によってあらためて呼び起こされた“生と死への感触”に向って、俳優たちがそれぞれの役を担ったのでしょうか。
だが、この芝居の特徴はそれを表現する身体と言語による表層的な技術にあったようです。そのテーマを観念的なセリフでやりとりでするのでなく、語句または演技を諸制約によって配置し、オブジェ化し、線とフォルムを簡潔にすると同時に、始めてそこに現れたようにしている。

そのことによって、表面的に描かれる一方、その表に現れた意味性を越えて、深層の心理構造を垣間見せてくれるのです。
これこそが、20世紀の初め以来、あらゆる芸術が試みてきた芸術形式なるもので、その本質を突いているように思われます。

しかし、形式と言っても、それはパサージュや色彩や、灰色の効果または空間構造、ことばと演技による描写、かたちと光と影による交錯のあとに、今は“物への触覚的な探索”が中心となってきたのではないでしょうか。

それには、始まりとしての“もの”。つまりオブジェの問題があり、それを描く“はじめての線”、無意識から引きだされる“はじめての意識化(アウェアネス 気付きの心)”、それに本質的なヴァルールとしての<濃淡や明暗の度合い>が重要な要素となるのでしょう。

この芝居の室内に置かれた“赤い花”が、重要な場面転換で、その濃淡と明暗の度合いを微妙に変化させてゆく演出効果は、そのことをシンボリックに表出していました。

かもめマシーン(3)

台本の奥にひそむ、作者の無意識の真意である構造体。
無意識ということ、潜在するもの。あわよくば意識化されて表面に浮かび立とうとするもの。

全てが、すべての実体がなぜか目の前から遠く去ってゆく。そして、そこにあいまいに動いて残されているもの。かたちを構築しようと、方向をねらっているもの。それが残された生命の“意”というものか。

遠近法を越えて、直ぐ目の前の中央のソファに、沈黙だけを演じる役の人物を放り出し、それがこのドラマを一貫するオブジェ化のシンボルとなっているのだが。あとは、それを後方に取り巻く幾何学的な構図の上に登場人物が位置することになる。細密化する意識の場の緊張から、分子構造がそのまま方位的な力学として投射されているように見える。

一つの鍵になることば。モ ド ヴァルール(Mot de valeur 価値のある言葉、実質のある言葉)。たとえば、この芝居では被害者の屍体が埋められてあった場所の“観覧車”ということば。また、家族の一員である被告人を指す代名詞。
それらのことばが、曖昧にゆれては消えてゆく事象の中で、突然ふっと浮き立つと、内側から湧き起こった意念が、急激にそれにしがみ付いてゆく。

それは立体派のブラックやピカソが辿った道をとっているのではない。すべてが細密化して見える感覚の底に、分子構造のゆれが、こころの奥に見え隠れしているからなのだをろう。そのコンポジションは台本のモチーフから、しぜんと作られたものだろう。

この芝居の俳優たちは、すべて“演劇ごっこ”をしていない。じぶんの体の内部を観察しながら、観せるためでなく、自らに演じている。これが上に述べたような演出効果のたしかな支えとなっている。

かもめマシーン(2)

しかし、確実な存在物としての対象があるのだろうか、また現実に自分自身も確実な存在者なのだろうか。そのような疑問が底辺にあるからこそ、このミステリアスな芝居が存在したのではないだろうか。

そのシンボルとして、芝居の初めから終りまで一言も語らず、居間として設定されたステージにしばしば登場しては、その中心にある陥没したソファにからだを沈めては黙り込むだけの人物の役が置かれていたのだろう。

芝居は当てもなく何かはっきりした対象、または概念を、というよりいろいろな関係性の中での明確な意味と価値を持つものを捜していた。それがミステリアスな雰囲気を纏っていた理由なのだろう。

この芝居は感情的なドラマを求めているのではない。しかし確実な存在感というより、ぼんやりとしたミステリアスな関係性の中に、命のひらめきが危うく消えかかっているのを感じる。

事物と表象の中間に置かれた身体の、その内側のもつれた感覚から生まれるイメージだけが実感として存在しているのだ。それこそが唯一支えられる触覚的な感性だ、というかのように。

私はここまで書いて、チラシに書かれた筋書きを始めて見る。それは以下の通りである。
その街では3年前に事件が起こった。
幼女2人が殺害され、遺体は観覧車の下から見つかった。
未成年の犯人が逮捕されると、マスコミの報道は加熱したが、しばらくすれば人々はその事件を忘れ去った。裁判は進み、どうやら彼には死刑の判決が下るようだ。
家族は70年代に建築されたその街の団地にひっそりと住んでいる。
観覧車はもうそろそろリニューアルオープンされる。
判決が下るまでにはまだ時間がかかるらしい。
たしかに、筋書きはそうなのだろう。それを今始めて明確に知る。また配役を見るといくつかの思い違いがあった。それほど表面的な事実というもは不確かなものなのだ。

絵画が描かれる内容の主題より、色と形とそれらの混合した関係性で作り出されるものだが、それと同じようにこの芝居づくりの本当の狙いは、そのドラマを描く素材、その動きと語りの物質的な関係性のなかに、萩原雄太の創作の真の意図があるのではないかと思う。
私はそれだけをこの芝居の中に捜し求めていたのだ。
私は、ラカンがポーの小説を対象にして精神分析で読解した「盗まれた手紙」のように、この芝居に当たろうとしていたのかもしれない。

かもめマシーン(1)

8月1日(土)西荻窪の劇場“がざびい”で観た、かもめマシーン「家族」の作品について以下に述べたい。萩原雄太の作/演出である。

この作品の話術について語りたいのだが、それには“からだの動き”の分類から話した方がいいようです。マイムの技術用語を使うのでフランス語になりますが、英語で推測される範囲内です。

いわゆる“動き”という概念を大文字のMouvement(ムーヴマン)とすると、以下のように3つの様態に分類されます。
  1. geste(ジェスト からだの1部分が動くとき)
  2. attitude(アチチュード からだの内側と外側との関係から体全体でつくる形または型。それは停止の内に過去と未来の動きを含む)
  3. 小文字のmouvement(ムーヴマン 空間的にA地点からB地点に移動するばあい。歩行、跳躍、飛翔によって)
ヨーロッパのばあい、ディドロの俳優術の伝統を変えたのがブレヒトの演技術だと言われますが、ベンヤミンはブレヒトの演劇を、資本主義による各階級の様相を染み込ませた“ジェストの演劇”だと評している。ブレヒトの脚本でなく、ブレヒトが演出した作品のことを言っているのですが、じつに的を得た批評だと思います。

そのことから推して、私の言い方をすると、“舞踏”はアチチュードのダンスなのです。それは空間の中にからだを素材として動き(mouvement ムーブマン)を描く、それまでのダンスの創作法とは違っています。跳躍して空間的に移動することが無いのです。

私はここで萩原雄太のこの「家族」という作品は、からだの空間の配置もそうであるが、まず話術を主体とする“アチチュードの演劇”を作り出している、と思うのです。
それはどういうことかと言うと、会話の文章がつねに完結せずに、動きのattitudeのような体言止まりで、そうでなければそれに付属されたgesteのような副詞、あるいは接続詞の後はぷつりと切れて、沈黙の時間となる。そして時間的なmouvementといえば、知能の廻らない娘役のセリフ、言葉にならない断絶した音の連続なのです。

孤立した、動きのアチチュードまたはセリフの体言というものは何を指しているのか。それは人間の「立ち位置」、“存在”に焦点を合わせているからなのでしょう。

「かもめマシーン」という劇団名は、チェーホフの作品「かもめ」から取っているそうです。それとマシーンはハイナー・ミュラーの「ハムレットマシーン」から来ているに違いないのですが、そのあたりから迫って行かないと、この作品を解読出来ないのかもしれません。