大野一雄が最初問題にしたのは「皮膚感覚」だった。モダンダンスも舞踏も、それまで誰も気を向けていない事だった。1960年代の半ばの数年間、大野一雄は日本マイム研究所の土曜日のクラスを受け持っていたが、授業内容はいつも同じ2つのテーマだった。
1つは、じぶんは眼が見えないと仮定して,からだの皮膚全体で空間に触りながら前へ進んでゆく。からだの部分々々の“しこり”をほどいて、どうしたら瞬間的に皮膚で触覚を感じとれるかを試みる。
もう1つは、例えば、鳥になれ、馬になれ、また“ひらめ”になれ、とその日によって出される題はちがうが、「動物への変身」がテーマ。
これは、しばらくの心の準備の後、ハイ! という合図で、全員演技しながら前へと歩みはじめ変身に努める。この間、大野一雄は槌で床を小刻みに叩きながら、時々声も発し変身へと導こうとする。
しかし、大野一雄のばあいは、フォルムでまねる術を選ばないから、演ずる者は内部の変身にもだえるのだが、外見からは一向に変身した姿には見えない。スタジオ内は、まるでアルトーの“器官なき身体”から、“降神術”による変身の実験室の様相を呈する。レッスンの後は、男より、とくに女性のばあいは、心理的に入り込む度合いが深いせいか、極度に疲労して口も利けない。
今考えると、大野一雄はこの皮膚と変身との関係、触覚と他の視覚・聴覚・味覚・臭覚との通底路をどのように捉えていたのだろうか。
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