大野一雄はことばによる象徴世界の網の目の隙間に入り込んで、ことばでは解釈できない対立項の真っただ中にいるわけで、こちらがひとつの問題に意見を述べるとそれを否定し、さらに自分が思いつく意味付けも思い返して否定して、俗なことばで言うと「ああでもない、こうでもない」と“無”の奥底に沈んでゆくことになる。
それが“ことば”でなく、何かを演じようとしても、「これは違うんじゃないか」という疑問が湧いてくる。要するに、行為の道がいつまでも解決されずに永遠に続くのである。
1966年、草月会館ホールで行なわれた「部屋」の公演台本は、短編小説の名手と言われ、若くして亡くなった阿部昭に依頼したのだが、苦労して書き上げた初稿を例の通り大野さんは肯んじない。改稿しても又同じで、さすがの阿部さんも「あの人は何ですか!?」と私に怒りだす始末。それでも大野さんは意に介せず、「ああでもない、こうでもない」と考えつづけ、阿部さんの家に電話する。ちょうど阿部さんは風呂に入っていて、慌てて裸で電話口に出たらば、延々と作品について語りだして終わらない。だが、阿部さんは、向田邦子が「阿部昭の発表する作品は見逃さず読みます」というだけのことがあって、次ぎに私と会ったとき笑顔で最初に言ったことは「大野さんって、面白いですねぇ!」だった。
結局、阿部さんは意味付けなしの、A,Bという記号の2人の人物が部屋の中で行為する、その数学的な関係公式だけの台本を渡すことになる。そして演出の私自身も、ステージの上で最終的に始末がつかず、「あとは慶人と勝手にやってください」と放り出すことになる。ところが、今度は開演寸前まで一雄・慶人の親子の二人の間に激しい言い争いが続いたのである。今にして思うと、あの「部屋」はいったい何だったのだろうか。ヘーゲルの弁証法とは、「正・反・合」の公式通りには解決がつかない、事象が内に含む“矛盾”を言いたかったのではなかろうか。
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