あれは15年ほど前のことであったか。パリオペラ座のプロマイド売り場で、衝撃を受けた私はしばらく棒立ちになったままでいた。なんと、カウウンターの後ろの壁面の上部に、オペラ座のエトワールたちの写真を従えて、ひときわ大きく大野一雄さんの写真が掲げてあったのである。まるで王座に居座るように。
私は、70年代の大野一雄舞踏講座の受講者の感想を思いだす。それは「あの人は踊りのことを何にも分かっていないですね」だった。また、60年代半ばの大野一雄が憔悴してスタジオに帰ってきた姿を思い出す。それは現代詩の協会に踊りで招かれたのだったが、「こんなものを何故招いたんだ」と幹事が全員に攻撃され、冷たい目で会場から追われる始末だったのだ。この時は土方らもいっしょだった。しかし、この後数年も経たずに、詩人だちが率先して土方、大野を讃えはじめたのだ。
大野一雄が90歳直前、シアターXでピアニストの三宅榛名との2度の競演につづいて「花火の家の入り口で」の公演を経て、神奈川県民ホールで90歳記念公演を行なう。このあたりからその後のニューヨーク公演までが大野一雄の舞踏人生の最高潮の時期だったように思う。
三宅榛名がピアノを弾く指と同じに、大野一雄は手の指を動かすことから、体内の踊りを演じていたのだった。もうすでに各指からの経絡が五臟に連結し、踊りの通路を見出していたようだった。又、この頃から幽霊に親しみを覚えはじめていた。ニューヨーク公演の時、同伴した夫人といっしょのホテルで幽霊を呼び、夫人がノイローゼになって入院することになる。帰国後半年ほどして夫人は逝去し、愛妻を失った大野一雄はそれ以後急速に力を失って行く。
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