Monday, August 13, 2007

大野一雄と慶人

何時頃から慶人が、父一雄の作品の演出をやり始めたのだったか。舞踏に関しては、その出発である『禁色』以来、初めの頃は慶人が花形で、父一雄は後からこの運動に加わったのだった。その内、一雄が大学の仕事を引退し、慶人が代わりに一家の支えとなって薬局の仕事に打ち込んでいる間に、70歳を過ぎた一雄の方が、第一生命ホールの公演でとつぜん有名になったのである。もうこうなると大野一雄という人は、息子に踊りの代を譲ろうなどとは考えもしない人なのである。しぜん慶人は父一雄を立てて演出の側に回ることになる。

大野一雄のこの人気の理由の一つは、土方巽との交替の意味もあった。その前に土方巽は大野一雄との分離を機に、大野慶人、石井満隆、笠井叡の3人の男性舞踏手を中心とした第一期の暗黒舞踏グループを解体した。そして目黒のアスベスト館で芦川洋子を主役に第二期の「暗黒宝塚」を連続公演し、そのピーク時にあえてそれを中断する。しかしその間、時代の傾向が代わり、土方の演出はもう通用しなくなっていた。

大野慶人の周りの人は、折角の慶人の才能が開かれぬまま、機会が失われて行くのを嘆いており、慶人自身も踊りの面では一雄の上を行ける自信があり、いつまでも一雄の支え役であることに焦燥感を抱いていた。そういうこともあって演出側から父一雄に強く当たっていた。ところが一雄が90歳になり初めた頃から事情が一変した。何かおそろしいエネルギーと底知れぬ深さを父一雄の中に感じはじめたのだ。そのことは私自身も感じ慶人と話し合ったが、そこで「親父にはとても適わない」と、彼の口から漏らすことになったのである。

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