Thursday, August 09, 2007

“向こう側の人” 大野一雄

大野一雄さんという人はほんとうに分からない人なのである。向こう側の人なのだ。何しろ、おふくろの胎内から出て、今でもへその緒で結ばれているような人なので、こちら側からは、というより理屈では理解できないところがある。それはどういうことか?常識の判断では難しいことなのだが、事を逆転させてみると、なるほどと納得がいくかもしれない。

こう説明してみよう。われわれはことばで話し、言語で物事を解釈し、理屈を言う。すべてがそれで了解されて事が運ぶのだが、それでも、実はまだ残余の部分がある。言語の網の目から漏れている、まだ解釈されていないものを含んだ、われわれの言葉では掬いきれぬ大きな実体が向こう側にあるのだ。
この言葉やカテゴリーなどによって対象を指示命名し、関係づけ、分節し、解釈し、意味づけて、その対象の実体に対する象徴世界の中でわれわれは生活しているわけである。この象徴世界の向こう側の対象の実体をカントは「物自体」と名付けたのだが、フロイドの後のラカンやジジェクはこの隠されている実体を<現実界>としたのである。ここで現実がこちら側から向こう側に移動し、現実が逆転したのである。とすると、大野さんは向こう側の<現実界>に立っているということになる。

しかし、この<現実界>に立ったばあい、意味と判断がつかない矛盾のただ中にいるわけで、対立した思考がいつまでも解決されず、反問しつづけることになる。逆の立場で、向こう側から迷路を辿ってこちら側の網の目にむすびつくかが問題なのである。

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