Friday, August 03, 2007

scorpioの成り立ち

scorpio初期のメインプロジェクトであるパフォーマンス フェスティバルのことを先ず語りたい。だが、その前にscorpioの成立と、シュウ ウエムラとの関係について述べておかなくてはいけない。scorpioは中野の丸井本店の駐車場に面した中野住研コーポの5階にあった。雑誌「肉体言語」の発行人であった星野共が持ち主である住宅用のマンションの一室を借りて事務所に使っていた。その頃、プロデュースの仕事は、やる気があればそれなりに仕事がとれる状況であったが、結局いちばん思うように仕事ができ、アートにも近いシュウ ウエムラの仕事一本に絞ることにした。

shu uemuraすなわち植村秀は、ハリウッド帰りのメイクアップ アーティストで「ジャパン メイクアップ」という会社をつくっていた。化粧品メーカーというよりアトリエ メイドのハイレベルの化粧品を、美容師さんにメイクアップの技法を教えるのと平行して美容室に化粧品の販売を依託していた。私はウエムラがシャンソンを歌っていた時から友人だが、彼がつくった日本メイクアップ協会の事務局長に依頼されてからは、メイクアップショーの演出から始まり、メイクアップスクールとエスティティックの準備、1983年には表参道の最初のビューティブティックの開店まで手伝うことになる。

だが、これらのことがその後のフェスティバル製作にどれほど役に立ったか知れない。たとえば、当時私の技術面の片腕だった弦間隆がパフォーマンス フェスティバルや東京アートフェスティバルを支えてくれなかったら当時のプロデュースの仕事は不可能だったろう。

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