Thursday, August 09, 2007

大野さんの “無”

大野一雄を向こう側にいる人と想定してみると、元藤燁子さんが亡くなる前年に、突然「及川さん、大野さんの踊りを良いと思ったことがありますか?」という不思議な質問を受けて、戸惑ったあげくあげく「90歳を越えてから良いと思いました」と応えたのだが、それ以前の大野さんの踊りに明確に向こう側の踊りだと判断することを出来ずにいた。

アルトー館主催の「部屋」での共同作業のとき、こちらが言うと、ことごとに「いやー」と疑問をもって否定するので、最後には腹を立てて「大野さん、それじゃ猿が “なまねぎ”の皮を一枚々々皮を剥いて行って最後には何も残らないのと同じでしょう」と言ったこと。
また、翌年のアルトー館主催の土方巽主演の「ゲスラー/テル群論」の後、アスベスト館で土方、大野の2人が交互にワークショップを開いて意見交換した末、土方が怒り出して「大野さんには何にもない」と言って目黒派と上星川の2派に決別する結果になったこと。

しかし、大野さんにとってはこの「無」が大切だったのに違いない。こうしてみると土方巽と大野一雄はまるで近親関係のように秋田の同族の地への執着によって結ばれていたのだが2人の立場はやはり違っていた。土方巽は対象を詩的に解釈するのに対して、大野一雄のばあいは無の空間が対象だったのである。その後、数年経って訪ねた上星川の家で、大野さんと2人で話し合ったとき「私は老子の本を読みはじめているんですよ」と楽しげに語りだして、いつまでもその話題からはづれない。こちらが話題を変えても「そうですか」とそっけなく応えて、直ぐまた老子の話に戻して思いがそこから離れない風だった。

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