Wednesday, August 08, 2007

大野一雄と“ひらめ”

大野一雄の踊りを解くことは難しい。それを解明できるのは、長いこと氏に付き合って、ちょくせつ氏の言動に触れることが必要なのかもしれない。以下、感じるまま、私の大野一雄論を断片的に語って行きたい。それが舞踏を継ぐ者たちにとって何らかの参考になればと思う。

大野一雄には「お母さん」という作品がある。
彼にとっては、お母さんはこの世のすべてに値するものだった。できれば、再びお母さんの胎内に戻ることが念願だった。冥界から出て再び冥界に戻る。これがすべての人間のすすむ経路なのだが、大野一雄のばあいは、それが踊りで実践される。
そのお母さんが、ある日、“踊り”の本質を彼に教えて下さった。両眼ともからだの左側面にある“ひらめ(平目)”が、海底に砂をかぶって横たわっている。両眼のある暗褐色の左側面を上に、眼のない白い右側面を下にして。そこで突然、周りに異変を感じた“ひらめ”は砂を蹴って、上へ向って身をくねらせて舞いあがる。これが“踊り”だ、と。
大野一雄はこれを、“ひらめ”の代わりに“かれい”と言ったりする。2つとも平目科なのだが、“かれい”のばあいは、両眼は反対の右側面にある。右側面は黒色で、左側面は白である。

大野一雄の踊りは、嵩じてくると、つねにS字を描いて上方に向う。それはエル・グレコの絵の構図に似ている。

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