Monday, August 20, 2007

暗黒舞踏

数年前、元藤燁子の誘いで土方巽の故郷、秋田羽後町の西馬音内(にしもない)盆踊りを細江英公、田中一光らと観に行った。その旅の直ぐ後で田中一光が逝き、元藤燁子がその後を追った。この盆踊りは生者が死者を迎えると同時に、死者が生者を呼ぶのだろうか。

人々はそれぞれ絹の端切れを縫い合わせた“パッチ”の衣装できめて、夕方から夜おそくまで優美な踊りを幻想的に繰り広げる。成人の女性は編み笠を深くかぶり、男性と未成人の女性は黒い“彦三頭巾”で顔を覆って大通りを円をつくって踊りながら回るのだ。踊りがいかにも生活にしみ込んでいる様子を観ているうちに、土方が踊りを止めきれず再度上京した気持ちが分かるような気がする。また、向こうの死の世界から、からだを斜めにして肩からするりとこちらの世界に入ってくるような、あの土方の踊りのしぐさ。それにあの死者の姿そのままの、顔を黒い紗で覆った踊りはどこかで見たような気がするではないか。そうなのだ。土方が各所で行なった異様なハプニング。人々に暗黒舞踏と呼ばれた、その動きの基本形は、黒いパンツ一つの裸形の若者たちが顔を黒い紗で覆って、まるで死の世界から復讐のため立ち上がったように、背を丸くして、互いに擦り寄って円をつくる。それを細江英公が写真に収めていたのだ。その演技者は「禁色」につづいてマイムのメンバーが行なっていた。何しろその頃は、土方には弟子もいないし技術もなかったのだ。ただやる気と観念だけでもがいていた。
帰りの列車の窓から眺めた、湯沢の山々の姿はやさしく、土方が時々見せたおだやかな踊りの線を思い起させる。あの唐突な、他者に攻撃的な土方が、案外、傷つき易い柔らかな心を持っていたのではないかと想像しながら心地よく列車に揺れていた。

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