Saturday, August 11, 2007

孤立の佇まい

大野さんは、踊りの仕事のとき以外は、まったく目立たない存在として片隅に居る。只そこに、こつねんとして“非存在”としている。70歳を過ぎてから大野さんは世間的に有名になり、それから間もなく世界の舞踊界のトップの座に位置することになるのだが、そうなっても偉ぶることは微塵もなく、以前と同じように普通の人という感じで、目立たず只そこにいる居るという感じなのである。

大野さんのからだは自然態で、つねに自分とからだを密着させたかたちで踊りを待ち受けている。大野さんの踊りは音楽によってロマンと結びつくことはあっても、つねに実在的である。しかし、大野さんはクリスチャンで、老子の思想も受入れているので、踊りは直ぐこの実在の体からすり抜けて、無の状態になり、またスピリチュアルに上昇する。

大野一雄を“向こう側の人”というのは、象徴世界の対象である、現実世界の人だというのでなく、踊りの時だけでなく、日常でも現実世界の隙間から空白のスペースに落ち込んで、混沌とした無の状態にいる、ということである。内部が、いろいろな欲望で亀裂していて、纏まらずに無の混沌の状態にあるのだが、言語によってそれを同一化することはせず、大野一雄のばあいは宗教心でそれを抑えようとしている。
だが、大野一雄は熱心なクリスチャンだが、自分のことを“ユダ”だと称する。
また、女装して『花のノートルダム』の世界を踊るのである。

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